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一陣の風が吹いた。
俺の言葉に目の前の少女ははっきりとした拒絶を示した。
彼女は、泣いていた。
やがて迎えがやってきて、彼女はその身を翻す。彼女は振り返らなかったし、俺も何も言わなかった。
彼女がいなくなった後、俺は、彼女の姿を求めて、視線を彷徨わせた。

月が出ていた。

涙が出そうなくらい綺麗な満月だった。

俺はただ、それを呆然と眺ることしかできなかったんだ。






















 

And yet

夕雨

















感触はなかった。
白球は見る見るうちに飛んでいき、スタンドに突き刺さる。
試合を決定づける一打に湧くスタジアムの歓声を受けながら、俺はゆっくりとベースを回った。

 屋外球場独特の夜風が心地いい。

「次の守りから替えていただけませんか?」
ベンチに戻り、開口一番そう告げた俺を監督は怪訝そうな顔で見つめた。
「どこか痛めたのか?」
「えぇ、まぁ。ついでに言うと先に帰らせてもらえたらなぁ、なんて」
監督は今度こそ目を見開いた。
「……ヒーローインタビューはどうする?」
俺は、大人になって覚えた曖昧な笑みで応え、お願いします、とだけ言って頭を下げた。
 監督は、しばし、逡巡するかのように間を置いた後、しょうがねぇな、と呟いた。
俺は、ありがとうございます、と言ってベンチを後にした。


 一歩、外に出るとスタジアムの熱気とは真逆の冷たい夜気が俺の身体を包み、俺はぶるっと身体を震わせた。
球場の側でハザードランプを点けて停車している車を見つけると、おもむろに助手席に乗り込む。

「お疲れさま。大活躍だったわね」
「えぇ。全く嬉しくないですけどね」
「いや、嫌味だから」
あはは、と笑ったのは白瀬という女性だ。
野球選手のコネクションとは馬鹿にならないものだ、とつくづく思う。大神ホッパーズというチームのある選手から紹介してもらった彼女は、堅気の人間ではない。

―CCR、という。

「はい、約束のブツ」
白瀬さんが差し出した紙袋に包まれたそれをしばらく、見つめる。
「……もしかしてびびっちゃった?」
「……いえ」
かぶりをふって、伸ばした手は、しかし、空を切った。
白瀬さんが紙袋引っ込めたのだ。俺は顔を上げ、白瀬さんの方を見、

―殺される、と思った。

それほどまでに白瀬さんの眼光は鋭かった。

「アンタ、本当に覚悟してる? 中途半端な気持ちなら……」
白瀬さんが言い切る前に俺は目を逸らし、紙袋を強引に掴んだ。
「正直、俺は自分の気持ちがよくわかりません」
俺の言葉に何か言おうとした白瀬さんを遮って、でも、と言葉を繋いだ。
「彼女を放っておくことはできない。それだけは俺のホントの気持ちです」
それだけ言うと、俺は目を閉じた。それでも、しばらく、白瀬さんの視線を感じていたが、
「ホント、バカね……」
やがて、エンジン音がして、緩やかに車が動きだす。
車のステレオから流れる音楽に混じって、そういうトコがアイツに似てるのよね、と呟いた白瀬さんの声が聞こえたが、俺は、目を閉じたまま答えなかった。



「教祖?」
「噂でやんすよ」
久しぶりに会った荷田くんはタガが外れたようにマニア化していた。
親切高校での禁欲的な生活は荷田くんをマニアの道から救ったかに見えたが、時間の流れが荷田くんを再びマニアに戻してしまったらしい。
それはともかく、ガンダーロボの新シリーズについての熱烈な講義の後、ぽつり、ともらしたのだった。
「あのスプーン曲げかなんかしてた…」
 名前は何といったか。
だが、荷田くんはちっちっちっと指を振った。
「そんなインチキとは違うでやんす。何でも、可愛い女の子らし…っと」
ステーキ(勿論、俺の奢りだ)を咀嚼しながら、荷田くんは言葉を続けた。
「それで、そいつの話を聞くと心の内から力が出るらしいでやんすよ」
「……女の、教祖」
ぽつり、と溢した俺を、荷田くんは、一瞥すると、都市伝説でやんすけどね、と締め括った。
たわいもない噂と思うことも出来たかもしれない。

 だが、俺の頭の中には既に一人の少女の姿が渦巻きはじめていた。


「ビンゴみたいね」
白瀬さんに2回目会ったとき、彼女はニヤリ、と獰猛な笑みを浮かべた。
「私の部下が2人偵察に出て、返り討ち」
「すみません」
「アンタが謝ることではないわ。とんでもなく強い騎士(ナイト)様がいるみたいね」
「ナイト……」
聞き覚えのある言葉、だった。

―あたしは、仕えるべき人を見つけたの

 その小さな少女は今も主人を守り、戦っているのだろうか。

「これは私が行くしかないみたいね。情報提供、感謝してるわ。じゃあ……」
「白瀬さん」
話を切り上げようとした白瀬さんを俺は引き止めた。迷いはなかった。
「一つ、お願いがあるんですけど」



 白瀬さんが選んだ方法は単純だった。
つまり―

「し、CCRだ!」

 CCRによる殱滅。
聴衆のほとんどが敵対勢力、ジャッジメントの人間なのだという。
そのジャッジメントグループの子会社の所有であるというこの小さな講堂の構図は頭に入っている。
白瀬さん達が派手に立ち回ってる間、俺は、一直線に奥に向かっていた。

「そこまでよ」

懐かしい声。
思わず振り向いた俺の顔を見て、彼女は驚きの色を浮かべ、次にやれやれ、と言わんばかりに肩をすくめてみせた。

「アンタのしつこさは敬服に値するわね」
「……誉め言葉と受け取っておくよ」
けいふくというのはどういう意味だろう。
そんな場違いな考えを抱いている自分に思わず、苦笑する。

変わらない姿。変わらない声。それが逆に時間の流れを感じさせた。

「しつこい男は嫌われるって言ってんのよ」
俺の苦笑いが勘に触ったのか、かつてのクラスメイト―浜野朱里は俺を睨み付けた。



浜野が突然、視界から消えた。
そう思った直後、掌底で突き飛ばされていた。白瀬さんから受け取った銃を構える前の早業に思わず舌を巻く。
銃を落とさなかっただけでも自分を褒めてやりたいほどだ。
あまりの衝撃に、こほっと咳き込む。
だが、当の浜野はその感触に訝しげに首を傾げた。

「……アンタ、まさか」

浜野は俺の答えを待つより、自分で確かめることを選んだようだ。
浜野が懐から取り出したレーザーナイフが空気を切り裂き、俺の腹を抉った。
痛みはなかった。
代わりに焼けるような熱が俺の身体中を伝わった。
俺は顔をしかめ、歯を食い縛る。
だが。

「何で……」
ぽつり、と洩らし、動きの止まった浜野の腕を掴む。
チャンスはここしかない。
浜野は、小さな女の子のようにびくり、と肩を震わせたが、直後、反射のように銃を取り出した。
浜野がその引き金を引くより先に俺は、発砲した。
浜野は力なくその場に倒れた。
俺は、ふぅと大きく息をついた。
想像したような感情は湧かなかった。
ただ、どっと疲れが出て、俺は数歩後退し、天井を仰いだ。
暫くして、俺は、先に進むべく歩き出し、だが、途中で振り返った。

銃を、取り出す、浜野の姿が、視界に、入った。

まずい、と頭は警告を発するが、身体は動かない。
だが、響いた銃声は浜野のものではなかった。
浜野の後ろにやってきた白瀬さんが発砲したのだ。
浜野は今度こそ崩れ落ち、二度と動かなかった。
「……」
 浜野は最後に何か呟いたようだった。それが人の名前だったのか、あるいは、呪いの言葉だったのかは俺には分からない。

「まだ死んでない敵に背を向けるなんて自殺行為よ」
「……敵じゃないですよ」
 呆れ顔の白瀬さんに俺は答えた。

「昔のクラスメイトです」

 そして、歩きだす前に、最後にもう1度だけ、浜野の方を振り返った。

おやすみ、浜野。

君は俺のことを嫌っていたみたいだけど、俺は君のこと、嫌いじゃなかったよ。



この扉の先に彼女がいる。
そう考えただけで、動けなくなった。

「はぁ。全くそんな役回りだわ……」
「白瀬さん?」
 振り向くと、人が集まっていた。ジャッジメントの人間だろう。
「さ、とっとと行きなさい」
「でも」
「心配ならいらないわ。アンタはお姫様のところに行ってきなさい」
「…すみません」
 俺は意を決して、扉を開く。
意外にも簡単に開いた。
そして、俺は、悲しき独裁者と対峙する。


やぁ、ようやく君に逢えたね。時が忘れさせてくれるなんてウソだ。
俺は君のことを忘れた時はなかったよ。
なんて言えばいいのかな。
久しぶり、なんて普通の言葉を君は不満に思うだろうか。
でも、バカな俺にはそれくらいしか思いつかないよ。

……紫杏。


「…お前はバカだ」
俺の心を読んだかのように紫杏が口を開いた。
「こんなことをして何になる? ましてやお前は今やプロ野球選手だろう。それは何だ?」
紫杏の視線の先には浜野に抉られた傷跡があった。そこから覗くのは機械に替えられた臓器だった。
「ここに来るためにサイボーグ化したのか?」
 俺は、答えなかった。ふん、と紫杏は鼻で笑った。
「……やれやれ。私が何をしていたか教えてやろうか」
 俺は、答えなかった。紫杏は、少し間を置いて、口を開いた。
「人殺しだよ」
 紫杏はそう告げた。



「言葉の魔力だな。人は言葉によって狂信者になりうる。人間の可能性を狭めているのは理性だと思うか?」
沈黙を守る俺の答えをもはや期待していないのか、紫杏は構わず話を続けた。
「それは半分正解だ。だが、人の可能性を狭めているのはむしろ、本能だよ。無意識による働き掛け。それをなくしたらどうなると思う?」
それが、恐れを知らない狂戦士(ベルセルク)。狂信者。紫杏が作り出しているモノ。
「私の話を聞いた者はジャッジメントのために平気で命を投げ出すらしい」
くくく、と押し殺した笑いをもらす紫杏。
だから、私は人殺しなのだよ、と言った彼女の言葉はひどく弱々しかった。
「それでも……」
俺は、口を開いた。

「それでも愛している」

紫杏は驚きに目を見開いた。そして、たぶん、笑った。泣きじゃくるように笑う彼女は昔と何一つ変わらっていなかった。
「お前はバカだな」
紫杏は銃を取出し、俺に向けて構えた。俺も銃口を紫杏に向けた。
紫杏は笑って、俺もつられて少し、笑った。
昔のように。

あぁ。俺は確かにバカなのかもしれない。紫杏は人殺しなのかもしれない。
それでも。

「何度でも言うよ」

それでも君を愛している。

愛しているんだ。

直後、乾いた銃声が部屋に響いた。

Fin