夕顔
夕雨
私はきっとどこかで求めていたのだ。
……愛、とやらを。
社会人野球の選手だった父が自殺したのは私が小学生の頃だった。
――聞いた?
――夜路さんのとこのお父さん。
――まだ子供も小さいのに。
周囲の声が五月蝿かった。同情と憐れみの視線がいつも付き纏った。
しかし、彼らは所詮は他人だった。それが同情と憐れみですらなく、ただの好奇心に過ぎなかったのだと気付くのにそんなに時間はかからなかった。
そんな時――
「……プロペラ団?」
必要とされたのは初めてだった。
手を差し伸べられたのも。
どんな形でも、ただ私は認めてほしかった。自分の価値を証明したかった。
だから、私はその日、迷わず伸ばしたのだった。
――掴んだその手が、悪魔のものだったとしても。
プロペラ団に入った私は、順調に仕事をこなしていった。
騙し、欺いた。他人も自分自身も。
その結果には目を逸らし続けて。
心の中では空虚さが拡がって私を縛り付けた。
そんな中で私は貴方に出会った。
初めは任務だった。
だが、どうしようもなく惹かれていった。
そして、私は、私に私という居場所を与えてくれたプロペラ団を裏切った。
分かっている。
とうにそれで清算できるような過去でなくなっているということくらい。
そもそも、私は彼を騙していた。彼からみても私は裏切り者である。
それなのに。
それなのに、彼は、裏切り者として支部長に閉じ込められていた私を救けに来てくれた。
甲子園、決勝の日の朝だった。
彼が差し伸べた手を私はぎゅっと掴んだ。今度は少し迷ったけど、人生2度目のその手を私は決して離すまいと決めた。
これはその後日談――
「どうして私なんかを助けにきたの?」
私の問い掛けに彼は一瞬、虚をつかれたような表情浮かべた後、彼は笑った。
「俺には甲子園とプロ入りと智美のどれか1つなんて選べないよ」
そうだった。
さも当たり前のことのように、クサイ台詞を吐くこの男は呆れるくらい甘い、ヒロイズムを体現している男だった。
そして、多分、私はそこに惹かれたのだ。
自分と正反対の存在。
彼は眩しい太陽で、私は陰日向でひっそりと咲く夕顔だった。
手を伸ばしても決して届かない、生きる世界の違い。
私は、彼の横顔をそっと盗み見た。
今更その距離の近さを感じ、胸の鼓動が速くなるのを感じる。
今なら、届くかもしれない。
「……私は一つしか選ばないわよ」
私は彼の頬に――
どん、と言う音とともに、物陰から私達を覗いていた悪趣味なクラスメイト達が傾れ込んできた。
私としたことが、気付かなかった。
あがっていたのだろうか。
自分の鈍感さに呆れる。
柄でもない。
柄でもないが、不思議と悪い気分ではなかった。
いや。
思わず、笑いが零れる。
久しぶりに心から笑った気がした。
絵に書いたようなハッピーエンド。
私はハッピーエンドが苦手だ。
だから、照れ隠しに呟いた。
「……まぁ、ありがちな『オチ』ってヤツかしら」
―――
――
―
――全くだ。
わずかに目を見開いた智美はそう、思った。
幸せそうに微笑んでいた少女の姿はそこにはなく、ただそこにあったのは虫の息となった女。
叶わなかった夢、あるいは、あったかもしれない一つの未来。
求めたのは、人並みな幸せだった。
ただ、それだけだったのに。
だが、現実は。
「……み!」
声が、ひどく遠い。
あんなに聞きたかった人の声なのに。
やっと会えたのに。
今の智美にはもう届かなかった。それほどまでにビッグボスに撃たれた傷は深かった。
だが、いや、だからこそ、今までより彼の存在をより強く感じている。
そのことに智美は少し感謝した。
だから、せめて、声を振り絞る。
あの時、言えなかった言葉を、贈る。
「……甲子園優勝……おめでと……う……」
本当に1番伝えたかった想いは言わなくていい。
智美は、薄くなっていく意識の中で、先程まで抱いていた甘美な夢を思い出そうと試み、でも、それすらも出来なくて、ただ容赦ない現実が智美の身体を蝕んでいくのを感じ、嗤った。
――ねぇ
知っていたかしら?
出会ったときから、きっと私は貴方のことだけを見ていた。
けれど、貴方の瞳の中に私はいなかった。
つまりは、それだけのお話。すれ違った物語は決して交わらない。
故に導かれる結論も。
まるで太陽に手を伸ばし、その身を焼いたイカロス。
ふふ、と暗闇に沈んでいくていく微かな意識の中で、智美は泣くのでも怒るのでもなく、笑った。
――とんだ……オ……チね……
そう。
これが本当のエンディングなのだ。
Fin