五年後
ニシキゴイ
『久しぶりに天本さんの神社を
のぞいてみたら、
すっかりさびれていて、
だれもいなかった。
引っ越してしまったようだけど、
どうして、誰にも何も言わずに
行ってしまったのだろう?』
一陣の冷たく強い風が吹き、海が揺れ、山が震えた。
慰霊碑の隣に腰を下ろしていた主人公――水野 隆はコートの襟をすぼめ、大きく白い息を吐いた。
「……もうあとちょっとかな」
腕時計を見て水野がつぶやく。待ち合わせの時間にはあと十分ほどある。相手はとても久しぶりで、懐かしい相手である。もう五年間も連絡すらとりあっていなかった。手紙に記された待ち合わせの時刻と場所、そしてなにより差出人の名を見たときは驚いたものだった。そして当然のように次の瞬間には嬉しさがこみ上げてきた。
分針が進むあいだ、水野は風の音と潮の香りを楽しんでいた。彼が日の出島を訪れるのは久しぶりのことであった。そして会うのはもっと久しぶりの人――自然と気分が高揚するものである。
少しうとうとし出したとき、ふいに誰かが草を踏む音がした。水野が気づき振り返るより、誰かが口を開くほうが早かった。
「こんにちは。水野さん……」
「天本さん――」
水野が立ち上がり、天本 玲泉の顔をしかと見て、驚きと嬉しさが合わさった笑みを浮かべた。
約束の人がようやく来た。いや時間には間に合っているのだが、手紙が来たときからこのときを待っていた水野にとってはようやくだった。興奮し、何を話していいのかわからなくなる。
「お久しぶりです。長い間ご無沙汰していました」
「あ、うん、久しぶり……あ、天本さん。君はいったい、今までどこでなにを――――」
水野の口が止まる。天本が人差し指を赤い唇に当てていた。ずいぶん色っぽくなった――と不覚にも水野は思ってしまった。微笑みを絶やさずに天本が言う。
「その話は、またあとで……少し歩きませんか?」
水野たちが日の出高校を卒業してから五年が経っていた。彼らはそれぞれ違う五年間を過ごした。その時間は少しずつ彼らを変えていった。それは日の出島も同じであった。しかし少しではない。劇的にだ。
二年前つまりは卒業の三年後、大神グループが日の出島の買収を目指すと発表した。もちろん島民は困惑し、そしてすぐに怒り反対した。大神がどれだけの大金を積もうと決して土地を売ることはなかった。人々の結束は硬かった。
しかし状況が変わった。島に危険な伝染病が広がったのである。感染力がとても強く、人々の一家に一人は感染してしまった。治療をしようにも大金が必要だった。島民にそんな資産家はおらず、また大神が買取値を引き上げたため一人、また一人と家と土地を売っていった。家族を助けるためだった。そして発表から二年後の冬には、島は穏やかな廃墟となった。
大神グループは年明けを待たずに工事を始める予定であったが、作業用の船が原因不明の事故で沈没。人々はたたりだとはやしたてたが、大神は時期も時期であるため年明けに工事を再開すると発表した。
もちろん二人はそのことを知っている。舞台はそんな十二月である。
水野は天本の提案で商店街を歩いていた。当然人はいなかったがまだ居なくなって日が浅いからか、まだ人の温もりの欠片が残っていた。
「――ここが本屋さんで、あちらがスーパー。ここは……喫茶店ですね。懐かしいです」
天本の表情は明るい。懐かしさのおかげだろうか。心なしかいつもの微笑も温かい。
それに比べて水野の表情は暗かった。それはそうだろう。五年間なんの音沙汰もなしでようやく会えたのに、出会った瞬間に口を閉じさせられてしまった。何度たずねてもまた後でと繰り返すだけだった。怒りを覚えたとまでとはいかないけれど、上機嫌とはいかなかった。
そうしてしばらく歩いていると、ふいに天本が立ち止まった。
「……ここ、神木さんのお宅ですね」
「えっ、あぁ、そうだね。よくわかったね。シャッター閉まってるのに」
「子供の頃からきてましたから」
天本と言葉を交わし、店を見た。よく見ると確かに唯の自宅だった。店というのは案外シャッターが閉まっていると見分けがつかないものだ。やっぱり彼女の故郷なんだなと思い、またその故郷の末路を嘆いた。でも先のことを考えても仕方がない。
「……神木さんとは今もおかわりありませんか?」
「うん。うまくやってるよ。明日もまた会う予定なんだ」
そう、水野はユイと付き合っている。けっこうおおっぴらだったので、よく山田たちにからかわれたものだった。
「そうですか。高校のときから仲が良かったですものね」
「はは、おかげさまで」
そこで天本が、さもおかしそうに笑った。
「そんなことないですよ。私は何もしていません」
「でもユイさんがだいぶ助けてもらったって。俺との関係とか、ね」
これは本当だった。ユイとは一度別れたこともあったが、天本が彼女を励ましてくれた。そのおかげで今もなんとかやれている。ほかにも数え切れないぐらい助けられていた。
「いえ私は少し口出ししただけです。むしろ、そうしなかったほうがよかったかもしれません」
少しムッときた。なぜそんなに否定する?もともと謙虚な天本だが、どうしてそこまで謙遜するのかわからなかった。……少しだけ、本音を言った。
「そんなわけないだろ。……五年間ずっと俺もユイさんも君にお礼を言いたかったんだ」
天本が目をそらし、プイとそっぽを向く。昔はそんなことしなかったのに。水野も今はさすがに怒っていた。話題を変えるように天本が明るい声を出す。
「しかし本当に懐かしいですね。次はどこへ行きましょうか」
口もとにはまだ微笑。しかしどうも無理をしている感があった。水野が黙って聞き流す。
「学校――駄菓子屋さんもいいですね。梅さんはお元気でしょうか。もっとも、もう本土でしょうが……」
ハッとした。そうだ彼女は知らなかった――――
「……梅さんはもう、亡くなったよ。例の伝染病で…………」
――微笑が消えた――
「……お墓は本土のほうですか?」
長い沈黙のあと、先に天本が口を開いた。
「いやお店の近くだよ。……梅さんがこの島で眠りたいって…………」
天本が向きを変える。今までとはトーンの違う声で言う。
「お墓参りにいきましょう。そのあとで全てを話します。……あなたは聞きたくないことかもしれませんが……」
お墓は、つつましかった。隣にはわんこの墓もあった。みんなが一緒にしてあげたいと思ったからだろう。
もちろん駄菓子屋には誰もいない。聞こえるのはやまない風の音だけである。世界には二人しかいないと錯覚させる。二人とも黙って、祈っていた。水野は天本の顔を見た。笑顔は欠片も無く、唇をかみ締めている。涙もなかったけれど、何かを必死にこらえているように見えた。
「……慰霊碑のところに行きましょう。そこで……話します」
おかしい。いくらなんでも様子が変だ。さすがに水野も不安になる。
「別に無理しなくてもいいよ。また日をおいてでも……」
「イヤです!……もう終わりにしたいんです。もうこんなにつらいのは……」
水野は思った。――――五年は長すぎた――――
「わかったよ。慰霊碑へ行こう。全部、聞かせてくれ」
風はまだ吹き続ける。潮の香りが懐かしかった。
天本はずっと黙っている。水野は少しバツの悪そうな顔で口を開いた。
「天本さんには高校のときにすごく助けてもらったね。」
天本が下を向き顔を隠す。目が合わない。
「みんなそうさ。山田君も、島岡くんも、希美さんも、唯さんも……、代表して言うよ。ありがとう。」
「呪いのこともそうだよ。天本さんがいなかったら――――」
「違うんですッ!!」
急に天本が大きな声で言った。目が――――違う。
「違う違う違うッ!あなたは何も知らないんです!私はそんないい人じゃないッ!」
水野が目を見開いた。こんな彼女は見たことがない。
「悪いのは…………悪いのは全部私なんです!」
天本が全てを語りだした。呪いをかけたのは祖母であること、それを止めなかったこと、むしろ呪いに加担して部室に火をつけたこと、毒の入った弁当を用意したこと、そして祖母を見殺しにしたこと……。話を聞くにつれて,水野の顔色が変わっていった。
「これで終わりです。……どうです?私を嫌いになりましたか?」
悲しそうな瞳で水野を見つめる。水野がゆっくりと口を開いた。
「ひとつ聞きたいんだ。どうして今になってそれを話したの?」
天本がしっかりと水野を見る。今度は視線をそらさない。
「過去を清算したかったんです。もうこれ以上悩みたくありませんでしたから。完全に自分のためです」
「そうか…………」
天本が微笑を取り戻す。しかし自虐的だった。
「さあ、私を憎みますか?恨みますか?」
水野が天本を見つめ返す。顔には――――そう、哀れみが。
「そんなことはないよ。今もまだ、感謝している」
天本がキッと水野を睨んだが本当に切羽詰っている。
「どうして?私はひどいことをしたんですよ」
「……それでも助けられたことは変わらないよ。それに……君はもう十分苦しんだだろう?もうこれ以上苦しめられないよ」
「そんな、でも……」
「君がなんと言おうと変わらない。君は、いい人だ」
天本がうつむいて首を振る。今度は水野が笑った。
「さあ、本土に戻ってみんなに会おう。みんなきっと喜ぶ……」
「ダメです!私は……もう汚れてしまったんです!」
天本が叫ぶ。水野を見つめる目が赤い。
「大神の船の沈没事故。あれは私がやったんです!」
――――えっ――――
「嘘だろ……?」
呪いの裏より、天本のしたことより、これが一番効いた。
「本当です。この島を……この島を壊されたくなかったんです!」
沈黙の時間が流れる。天本はうつむいている。水野は頭を整理しきれていない。だが、それでも先に口を開いたのは水野だった。
「それでも……君を嫌いになることはできない。この島を好きなのは俺も同じだから……」
天本はもう見つめてこない。水野はゆっくりと、だけどしっかりと彼女に近づいていった。
「……さあ、島に戻ろう。みんなに会いに行こう」
「でも……皆さんが許してくれるわけが……」
水野がコートのポケットに手を入れる。携帯を取り出し、少し操作する。
「なんですか……?」
「これを見て。みんなからだよ」
天本が携帯の画面を見る。メールが表示されていた。
――天本さんから連絡があったって本当!?すぐに電話して!
――本当でやんすか!?オイラもはやく会いたいでやんす!
――天本が帰ってきたっって!ちょっと詳しく頼むよ!
ユイ、山田、希美、ほかにも小山、島岡、堤…………
天本が嗚咽をする。もう止められない。水野がやさしくほほえんでいた。
「でも……みなさん……知ら……ないんです……」
「全部知った俺でも変わらないよ。天本さんは、優しい人だ」
「うっ……うえ……うっ……あぁ…………」
泣きじゃくる天本を水野が抱きしめた。顔には心からの安堵。
「今度、同窓会を開こう。みんな喜んでくれるよ」
「……はい……みなさん……お元気でしょうか……」
風がやみ、海と山がしずまった。