おぼろ月
いすと
森の暗闇の中から黒い刃が飛来する。走りながら最小限の動きでかわし、懐から手裏剣を取り出して背後に飛ばす。
「ぐぁっ! 」
くぐもったうめき声が聞こえ、ドサッ、と重いものが地面に倒れる音がした。いちいち気にかけてなどいられない。
少しでも注意を向けたら、次には自分がそうなっているかも知れないのだから。
(あと、どのくらいだ? )
後ろからはまだ濃密な殺気を感じる。同時に聞こえてくる幾つもの風切り音。
走る勢いのまま上方の枝へと手を伸ばす。手に硬質な感触が伝わると同時に腕に力を込め、身体を回し宙へと飛ばす。
重力に逆らう感覚。空を飛んでいるかのような快感にわずかに心が高揚する。
宙に浮く体を操って先程の枝よりも幾分細い枝の上に着地する。
(…………、五人か)
見下ろす視界に映る五つの影。標的(わたし)がいなくなったことに戸惑っているのか、少し動きが鈍い。
一呼吸の間。枝から身を落とすと共に、指に挟んであった三本の句無を真下に投げる。
「がっ!? 」 「ぎゃあ! 」
首と背中から二本の、肩から一本の句無を生やした男達が崩れ落ちる。前者の傷が致命傷であることを確認。
(あと4人)
仲間の悲鳴から襲撃にいち早く感付いた反応のいい男の首に匕首を滑り込ませる。
頭部を落とした胴体から赤黒い液体が噴水の如く吹き出す。
(3人)
「柳!……この野郎ッ! 」
激昂した一人が襲いかかってきた。その手には日本刀。
口の中で軽く舌を打つ。リーチが違いすぎる。
「死ぃねぇぇっ!! 」
振るわれた日本刀を匕首で受け止める。手に衝撃が重く伝わり、匕首を取り落としそうになる。
徐々に近づいていく刃先。後ろにはまだ残党がいる。
頭の中にある幾つかの選択肢を切り捨て、最良と思われる一つを選んだ。
腰にあった句無を開いている左手で投げる。手首のスナップだけで投げたので速度も命中精度もあったものではない。
男は下卑た笑みを浮かべ余裕を持って句無をかわした。
わずかに力が抜ける隙を突き日本刀を匕首で思いっきり押して軌道をそらす。
肉を断つ音。浅く肩を切られた。痛みで思わず匕首が手から離れる。
元々捨てるつもりだったので特に気にすることも無く、もう一度斬りかかられる前に男の間合いに一歩踏み込み、
思いっきりその股間を蹴り上げた。
「――――――――!! 」
声にならない絶叫を上げて、男が股間を押さえながら崩れ落ちる。
ぐしゃりと何かを潰したかのような気色悪い感触に怖気が走る。
それを払うかのようにちょうどいいところにあった男の側頭部を蹴り飛ばす。
飛んだ先の幹に強く頭をぶつけ、血をダラダラと流す男を見て少し溜飲が下がった。
(あと、2人)
隊長格らしき男に照準を合わせて、
「!」
発砲音。鉛の玉が黒装束をかすめ、遥か彼方に飛んでいく。
「今のを避けるか。さすが、というべきかな」
いつの間に出したのか小銃を手に持ちながら男が一歩近づく。
距離を取ろうと脚に力を込めると、すぐ近くを銃弾が通っていった。
「動くな」
ゆらゆらと白煙を上げる銃口がしっかりとこちらを向いている。
(……相当の腕前だな。その気になればすぐ殺せるだろうに何故……? 」
見逃すということはありえない。となると………。
(……怨嗟か)
仲間を皆殺しにされた恨みは、私を少しは苦しめないと晴れないとみた。
「…よくもここまで俺の隊をやってくれたな……」
予想的中。感情に流されてわたしの生存確率をわざわざ上げるとは………忍者失格だ。
とはいえ腐っても忍者、不穏な動きを見せればすぐに殺しにかかるだろう。
(さて、どうするべきか)
思考を巡らすために周囲の警戒を怠ってしまった。
再び発砲音。脚に熱が、次いで痛みが走る。撃たれた、と遅れて理解する。
「これで逃げれまい………」
二発の弾丸を私に撃ち込んだことで少しは恨みが収まったらしい。
男は残忍な笑みを浮かべて私の眉間に狙いを合わせ、
「死ね、鈴霞!! 」
「………! 」
考えていた策がすべて吹き飛んだ。頭の中が真っ白になった私に向かって引き金は引かれ、
ドォォン!!
男の手が爆発した。
「ぐぁぁぁぁっっ!!? 」
句無を銃口に詰め込まれた銃を取り落として男がうずくまる。
「ぐ、おおぉぉ…な、何が……!? 」
驚く男を無視して句無を投げる構えを解く。
歩けないほどではないが脚が少しふらつく。走るのは無理かもしれない。
ちら、と後ろを見る
塗ってあった毒が効いたらしく、初めに肩に句無を喰らった男が口から泡を吹いて死んでいた。
(……あと…一人)
気配から男が逃げようとしていることを察し句無を放った。
小さく悲鳴が上がる。
前に向き直ると、狙い通り句無が男の足首を貫通していた。
「う……ぐ……! 」
句無で足首を断たれ、動くことすらままならない男が憎悪と怒りを込めた目で私を睨んでいた。
あえて毒の塗ってない句無を使ったから、これで直接死ぬことは無い。
(……人のことは言えない、私も忍者失格だ)
男の目を見返す。私の瞳の中に何を見たのか、男の目から憎悪と怒りが消えた。
代わりにあるのは、恐怖。
「……貴様らのような輩が、その名で、私を呼ぶな」
「ぁ………あ……」
がたがたと震えだす男の股間から液体が広がる。失禁したらしい。
特に気にも留めず、かなり小さな玉を取り出す。
男は呆けたように動かない。動けない。
懐からライターを取り出し、玉についている細長い糸の先に火をつけ、
「餞別だ。持っていけ」
開きっぱなしの口目がけてゆっくりと放った。
放物線を描いて飛んでいく玉は線が燃え尽きる直前に男の口の中に入った。
直後、
ドゴォォン!!!
男の頭部が爆発し、あたり一面にその残骸が飛び散った。
後に残ったのは下顎から上が無い死体が一体。
ただそれだけだった。
「ふう………」
ようやく傷の手当が終わった。
肩、脚、どちらの傷もそこまで深刻なものではない。
一日もすれば元の通りとまではいかないが動かすことが出来るだろう。
……その一日が危ういことは言うまでも無い。
偶然見つけた山小屋で簡単な食事と治療を終え、特にすることも無かったので匕首を研ぐことにした。
シュッ、シュッと小気味いい音を立てて刃を滑らせる。
研ぐ前の匕首は所々刃が欠けていた。折れる時もそう遠くないのかもしれない。
いつか来るだろう日のことを思い、少し名残惜しくなる。
代わりがあるとはいえ、幼少からの思い出の品を手放すのには抵抗がある。
一旦砥石から外し匕首の刃を眺める。
十分に研げていることを確認し匕首を定位置に戻した。
戻した途端に、今まで感じなかった疲れがドッと押し寄せてきた。
深く息をつき、ズルズルと壁にもたれて座り込む。
自然と見上げるような姿勢になり、小さめの窓から覗く月が視界に入った。
上限がやや膨らんだ形の月は薄い雲に遮られて少し霞んでいる。
……そういえばあの馬鹿に初めて町で声をかけた時もあんな月だったな
あの馬鹿。五条。五条 皐月。
私があの町にいたときに変化球のコーチとして指導し、再会を誓い……愛した男。
まだ追っ手が本腰を入れてなかった時は隠れて試合を見に行ったものだ。
今はそんなことは出来ないが、それでも彼の噂を耳にすることがある。
順風満帆とまではいかないが、それなりに頑張ってはいるようだ。
彼との思い出が脳裏を過ぎる。
迅雷隼人としての、師弟ともいえる関係での修練の日々。
埼川珠子としての、思い人との甘美な時間。
そして、鈴霞としての……。
「…………っ」
考えなければよかった、と後悔した。
考えるほどに隠していたものがあらわになるから。
今まで抑えていた感情が溢れ出す。 想いを募らせて、満たされない体が、心が彼を求める。
会いたい。
彼に、五条に、会いたい。
目が熱くなり、慌てて腕でグイと拭う。 濡れた感触が肌に伝わる。
あの町を出てからまだ一年と半年余り。 だが、果てしなく長く感じられる時間だった。
いつ終わるのだろう、この命がけの鬼ごっこは。
私はいつまで孤独の寂しさに耐え続ければいいのだろう。
そう思ってしまうほどに、長い時間だった。
また目が熱くなるのを感じ、腕で膝を抱き寄せて顔をうずめる。
しばらくの間、そのままじっと動かなかった。
虫の鳴き声や木々のざわめきを響かせて、それでも静かに夜は過ぎる。
――――やがて、顔を上げる。涙は流れていなかった。
会いたい、という気持ちは残っている。だが、まだ会えない。会ってはいけないのだ。
会うのは全てが終わってから。
「……あいつが必死になっているのに、私が泣き言を言って、どうする……」
自分を叱咤するかのように呟く。
追っ手の数は確実に少なくなってきている。
終わりはある。
もう少しで、終わるのだ。
「…そう…だ、もう少し、もう…少し……だ……、………」
段々小さくなる声は消え、代わりに寝息が聞こえてきた。
一人で戦い続ける彼女の寝顔を、朧月が優しく照らしていた。
終