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桃色パレット

木沢

 

 日の出島が再処理工場になるという話を俺は山田から会社の電話で教えてくれた。その計画は皮肉にも俺たちと共に甲子園を目指した大神博之の父親の発案だった。最初は環境団体とやらが島民に呼びかけ反対運動を起こしていたが、それも大神グループの圧倒的な力なのか単に飽きただけのかそう長くは続かなかった。
 相槌を打ちながら、俺はそれはどうしようもないなと思った。いかに元甲子園優勝校という実績はあれど、所詮過去の産物。俺たちが日の出高校を卒業した後も、大神君の尽力によりなんとか持ちこたえた野球部も今は同好会に成り下がり日の出島はせいぜい自然がいっぱいの島程度の価値なんだろうな……となんとなく言い訳している自分に気づき電話口で舌打ちをする。
 その舌打ちを聞いた山田は自分に向けられたものと勘違いし、憤慨してきたので俺は慌てて謝ったが機嫌を損ねたのか最後にぽつりと呟いて電話を切った。
「四河君も大神君もプロになってからずいぶん偉そうになってたでやんすね。……変わったでやんす」
 軽くため息を付いて俺は受話器を下ろした。五月が心配そうに聞いてきたがなんでもないと答えた。席に座りなおし食事の続きを取った。少し冷めた味噌汁を啜りながら、思った。
――変わった……か。
 自分では変わったとは思っていなかった。プロに入っても日の出高校のみんなとは連絡を取っているし、決して見下すことはなく普通に接していたはずだった。しかし、もしかしたらそんなことを考えている時点で、自分は変わったのかもしれないなと思い、また舌打ちをした。今度は五月に嫌な顔をされた。
 ふいに、大神と最後に交わした手紙のことを思い出した。日の出高校卒業前のことで、彼は日の出高校のコーチになりたいと書いてあった。だが、今彼は父親の持つ球団のエースとなっている。彼がもし日の出高校のコーチになっていたら再処理工場の計画も無かったのだろうか、そうかもしれないしそうじゃないかもしれないかもしれない。彼は後悔しているだろうか。
 日の出島の元住人としては後悔してほしいと思っているし、野球部の先輩としては後悔しないでほしかった。そんな微妙な思いをかき消すように味噌汁を一気に流し込んだ。もうそれはすっかり冷めきっていた。




 五月は腕を上にうーんと伸ばしながら「空気がおいしいね」と笑っていた。俺も笑い返そうと思ったが、どうしても顔がこわばる。それはやせ我慢をしている彼女への対応の苦慮でもあるし、島に来たことへの後悔の意思表示でもあった。俺は結局五月の手を繋ぎ歩くことでごまかした。
「なんだが、さびしくなっちゃったなこの島も」
 沈黙に耐え切れずに俺は喋り始める。
「数年前はこの商店街も賑わっていたよ、一通りの生活用品手に入ったし、野球の帰りに寄り道ついでにコロッケを食べたり父さんに頼まれて神木電気店で電化製品を買ったりしたよなあ」
 最初はその場凌ぎで話していたがだんだんと自分の言葉に悲しみが生まれてくる。辺りを見回しても既に店を構えているところなど少数。後は追い出されるしかない島から本土へと行ってしまった。今いる人たちもやがて大神グループによって立ち退きされてしまうだろう。
 俺は自分が泣いている事に気づいた。五月を見るとちらっとこっちを見ていたようだが、何も言わなかった。その事が俺にとってはとてもうれしくて「ありがとう」と思わず言ってしまった。俺はなるべくゆっくり彼女と歩くことにした。




 泉はこんな島になってからも透き通って美しく、太陽の光が当たりきらきらと光っていた。俺はこういう時は泉に向かって手を合わせるべきなのかと考えたが、五月が何もせずただじっと泉を見ているのを見て、俺も同じように泉を見た。
「葉月おばあちゃんが亡くなって、何年経ったのかしら」
「戦争が終わってからすぐだから……六十年ちょっとかな」
 戦後六十年と言うことでドキュメンタリーやドラマが多かったことを思い出した。
「もし、さ。私たちが葉月おばあちゃんたちと同じ状況だったらどうしてたかな。やっぱり同じような約束をしていたのかな」
 ――無粋な質問だ、それは。
 俺は目を閉じもし葉月さんが死んで男のほうだけ生き残ったことを考える。命からがら生き延びたとして彼はもう一回死ねるのだろうか。そもそも「どっちかが死んだら後を追う」という約束自体酷いものじゃないかとも思った。
 だけど、もしそれが無かったら俺と五月は出会うことが出来なかったわけだし、だからこそ葉月さんたちと俺たちを重ねることはどうしてもできなかった。結局沈黙を答えとした。
 五月も深く追求はしてこなかったものの、しばらく気まずい沈黙が流れた。やがて俺は自然と帰ろうかと言った。彼女も異論は無いようだ、こんな時ばっかり。
 俺たちは起き上がり、帰るために歩きはじめた。十m歩いたところで不意に草木を分けて進む音が前から聞こえた。その音はどんどん大きくなって、やがて後ろに遠ざかっていった。

「なんだろう、今の音」
「誰かが泉に向かっているんじゃないのかな? 」
 何の用なんだろう。そう考えると気になって俺は五月の手を取って半ば強引に泉の方へ戻った。




 俺は迷っていた、行くべきか否か。やめたほうがいいのは分かっている。触らぬ神にたたりなし、とも言う。だが、元来人間にある好奇心というものはそう簡単に抑えきれるものではなかった。
「ちょっとここで待っててくれない? 」
 その言葉で察した五月はやめたほうがいいわよとでも言いたげにしかめっ面をしたが、俺にしても今更「やっぱりやめようか」というのもなんとなく癪だったので構わず前へと歩を進めた。
 ここは相変わらず静かで、聞こえるのは水のせせらぎと鳥の鳴く声ぐらいだから、どんなに慎重に歩いても足音が聞こえてしまう。しかし、前方にいる男はよほど夢中になっているの俺が自分の所に来ていることに全く気づいてないらしい。
 そう、この男こそが心に巣食う好奇心の対象だった。俺はどんどん大胆に進んでいき、男のすぐ後ろまで着いた。俺よりも長く人生を多く経験したような感じの男は泉の淵で前かがみになっていて、水でも飲んでいるかと思ったがその右手には花束があった。花の匂いが苦手な四河はその青臭い匂いに少しげんなりしたが、気を取り直しその花が菊であることに気づいた。――死者への弔いの花か。そう思い俺は妙な親近感を覚えた。もしかしたら、と言う思いがあったからだ。
 左手では水をかき混ぜるように回し、ぶつぶつと呟くそのさまは不審者ともとれるが、遠くから聞き取れなかったその言葉は「葉月」と言っていることが分かり四河の考えを更に肯定させた。
「あの、すいません」
 四河は声をかけた。男はびくっと体を揺らすと、おそるおそると言った様子で振り向いた。男も突然声をかけられて驚いただろうが四河はその比ではなかった。その瞬間さっきまで自分の持っていた考えも何処か彼方、アンドロメダ星雲まで吹っ飛んだ。そして思わず呟いた。
「山田君……? 」




 年恰好はどう見ても山田君ではなかったけど、その特徴のある顔や独特の雰囲気、眼鏡の形まで生き写しかと思えるほどそっくりだった。
 俺の言葉を聴くとその男は非常に罰が悪そうな。それでいてうれしそうな微妙な表情を見せた。だが、やがてその男の顔に狼狽と恐怖の色が浮かんだ。ある一点の方向。――それは俺のほうを向いてはいたがそれよりも少し上、だがそれは、いつの間にか俺のすぐ後ろにいる五月の方ではなくさらに奥、そこに彼女は立っていた。
 灰色の髪におっとりとした性格でいつも笑顔を絶やさなかった彼女、天本怜泉は今もまた笑顔でいた。その微笑は美貌も手伝って天使のようにも見えた。――しかし、俺はその笑みのほんのどこか少しに猟奇的な何かも感じさせた。
 男はひぃと悲鳴を上げたあと、奇声を発しながら俺から――つまり天本さんから逃げ出した。彼女の方を向くが、特に興味もないといった感じで男の逃げるさまを眺めていた。そして、彼女と目が合った。ゆっくりと彼女は会釈をして、男の逃げた方とは反対方向へと歩いてしまう。俺は何か声をかけようとして――やめた。言いたかったこと、言わなければいけないことがあるのかもしれないが今は全く浮かばない。
 五月の方を見る。恐ろしいものを見たようなそんな顔で「あの人、誰? 」と言った。「高校の時の同級生」と答えると少し嫌な顔をされた。
 また人影が見える。一瞬天本さんかと思ったが、それはよく見知った懐かしい顔だった。
「山田君? 」
 今度は本物だった。電話や手紙くらいでしか交流の無かった山田君は社会人になった今でも変わっていなかった。ただ、なんだか疲れたような顔をしていた。仕事のストレスでも溜まっているのかな、とか。
「天本冷泉……来なかったでやんすか? 」
「さっきまで、いたよ。もう行っちゃったけど」
「そうでやんすか、そういうことでやんすね」
 山田君からため息がひとつ漏れた。大きく、一回だけ。それが済むとくるりと身を翻しじゃあねと言った。
「ちょっと待てよ。山田君」
 俺は今度は呼び止めた。
「そういえば、四河君。年食ったジジイがここにいなかったでやんすか」
「ああ。でも、天本さん見た途端に逃げちゃったけど」
「四河君」
 止まった。沈黙が支配する。「何? 」と続きを促す。
「おいら達ってずっと、親友、でやんすよね」
「ああ、もちろん」――すぐ、言えた。
 山田君は泣きそうな顔で何回も頷くともう何も言うことなく去っていった。




 例え島が再処理工場になろうとしても、周りがこんなにややこしいことになっても、泉は何事も無かったかのように澄んだ水が静かにささやいた。ちょうど夕日が射し赤く光ってきている。それは幸せなことかは分からなかったけど悠久の場所と言うのはあってもいいのかもしれない。
「……静かですね」
「そうだな、うん」
 本当に静かだ。時間も今はゆっくりと流れている。
「四河さん」
「何? 」
「私、葉月さんと行った所へ行ってみたい。これから一緒に行こう。葉月さんとどんな所行ってたの? 」
 俺は笑う。葉月さん、か。それも悪くはない。これからだ。始めていこう。泉が夕日の光に当たり、一瞬ピンクに彩られたような気がした。五月の頬も夕日に当たって少し赤く染っている。そこに、俺は幸福を覚える。
 だけど――ほんのちょっと悪戯心も沸いた。ニヤリと嫌な笑みが浮かぶ。
「……じゃあ、マニアショップへ行こうか♪」


 ――痛っ! 肘鉄するなよ馬鹿。


fin