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寒い。
その日も寒い一日だった。体を暖めあうような彼女がいる奴らはまだしも、一人者にはとくに厳しい寒さであった。
「暑は夏い」はあるのに「寒は冬い」がないのは何故だ、と常識という名のストライクゾーンからボール十個分は外れた事を考えているのは東江 隆也。(あがりえ たかや)
何を隠そう野球部のキャプテンでもあり、そして野球馬鹿ともいえる男だった。
木枯らしが吹く度に体を縮ませる隆也は野球部のユニフォームしか身につけず、マフラーはおろか手袋すらしていない。ユニフォームにマフラーは異常な考えかもしれないけれど。













桜通りを飛ぶ悪魔

山鳥マオ



















「たーかやくーん!」

間の抜けた声を背中に受け、震える体をゆっくりと動かした隆也は声の主を確認した後に、白い息をゆっくりと吐き出した。

「どうしたナオ」
「特に用はありませんが?」

胸張って言うことじゃないけどな、とは思ったが口にはださなかった。以前そういった際に訳のわからない言い掛かりをつけられた事を隆也は忘れてはいない。
しかし、と隆也はナオの体を眺める。とは言っても、何も異性としての欲求ではない。隆也の目はナオの衣服――防寒具に釘付けになっていたのである。そもそもナオの体に釘付けになるような凹凸は微塵もない。

「今、何か失礼な事考えませんでした?」
「べ、別に? それより暖かそうだな、ナオ」

隆也はナオの首に巻かれている赤いマフラーをじっと見つめ続けていた。願わくば俺に貸してくれ、と念力混じりの目線で。

「貸しますですよ?」

ナオの言葉に隆也は心の中で大きくガッツポーズをした。しかし、五十ペラで。というナオの言葉に心の中の自分がガタガタと音をたてて崩れ落ちる。せめて手袋だけでも、と自分の財布を開けてみるが僅か十ペラしかない。隆也は何も言わず財布を閉じた。しかしナオにばっちり写真を取られていた事に気付き、寒さが倍増した気がした。

「隆也君、そんなに寒いならナオの体で暖めましょうか!」

願ったり叶ったりな意見に隆也はしまりのない笑顔を浮かべナオに近付こうとするものの、千ペラで。というナオの言葉にまたしても崩れ落ちた。しかし、千ペラを貯めれば幸せな時間が過ごせる、と隆也は千ペラを貯める事を決意した。後輩から少しずつせびろう、と頭の中で「千ペラ貯金(?)計画」のプランを練り始めている隆也の頭に衝撃が走った。
ぐわんぐわんと揺れる瞳で自分の頭を強打した者の姿を確かめる。

「貴様ぁあ、姉……ナオちゃんに何をさせる気だ!」

黄色まじりのツインテール。ぴょこぴょこと跳ねるような歩み。隆也よりも一つ下の後輩――桜井いつきだ。

「い、いつきちゃん、まだ俺なにもしてない……」
「まだって何だこの野……」

いつき、とナオが可愛い後輩の頭を握った。いつきはというと顔面蒼白、目は泳ぎまくっている。手が震えているのは恐らく寒さが原因ではないだろう。
証拠と言わんばかりにいつきの口からは、あ、と小さく声が漏れていた。

「いつき……ちょっとこっち来てごらん」
「ちょ、待ってよナオちゃん! ホントに死んじゃうってば!!」

いつきの姿が小さくなっていく様を見ながら、隆也はまたしても寒さに震えていた。練習時にかいた汗がひいていく感覚がより一層寒さを際立たせている。話し相手がいた方がいい。少なくとも寒さが少しは紛れるはずだ。
隆也は冷たい息を深く吸い込み――とは言ってもブレスを吐き出す訳ではなく、出来る限り大きな声をはりあげた。

「大変だ、ナオ!! あそこで越ゴリラが告白されてるぞ! スクープ&ミラクルだ!」

隆也はリアリティがあるのかないのかよく分からない嘘をはき、ナオを上手くおびきよせた。問題は指差した方向にナオがカメラを片手に駆けて行ってしまい、結局一人になってしまった事だ。

「寒……」

寒い時にもっとも言ってはいけないワードをつい口にだしてしまい、隆也は一つ真っ白な溜息をはいた。
ふ、と目を前に向けるとフラフラと歩いてくるいつきが見えた。とりあえずは話し相手を得たい。

「大丈夫?」
「くっ、敵に助けられるとは屈辱……」

敵、か。
似たような言葉をナオに言ったな、と少し微笑んだ。それがカンに障ったのかはわからないが、いつきは物凄い剣幕で隆也を睨んだ。

「何を笑っているんだ、この悪魔……」
「隆也君! よく考えるとそんなのありえませんよ!」

ビクン、痙攣するかのようにいつきの体が動いた。ナオの走ってくる音が背中越しに聞こえる。頭の中に名案が浮かんだ隆也はいつきの手を握った。

「逃げるぞ!」

いつきは三歩ほど走った後、ハッとしたように歩の手を掃ったものの、黙って隆也の後を追ってきた。
これなら走って体も暖まるし、話し相手だって出来る。隆也は満足気な笑みを浮かべながら走り続けた。




















「ふぅ……」

少しだけ息の乱れた隆也と肩で大きく息をしているいつきは二人で屋上にいた。風が強い分中庭よりも寒い気もするが、既に体は暖まっている隆也にとってはさして問題ではなかった。いつきはともかくとして。

「す……少しはペース……考え……ろ」

大きく肩を上下させているいつきは怨めしげに隆也を見つめた。ほんの少し殺意の入り交じった目線に気付いた隆也は、いつきのいる方向に向かって大きく手を振った。

「おぉーい、さらー!」
「せ、先輩ジュースでも買ってきましょうか!?」

さら、というワードに反応したいつきは振り返ることもせずに早口で言った。隆也は肩を竦めて意地悪く笑う。当然、いつきの背後にさらの姿はない。
いつきの表情が怒りと恥ずかしさのこもったものに変わり、華奢な手が隆也の胸倉をつかむ。

「貴様ぁあ! 私を謀ったなぁあ!」
「あー、じゃあホットコーヒー買ってきてー」

いつきは腕に力を込めて拳を固める。隆也は両手を上げ素直に降参すると、たった今屋上に入ってきた人物に声をかけた。

「さら、今日も来たのか」
「いくら私でも二度はひっかからな……」

いつき、とさらが可愛い後輩の頭を握った。いつきは体を強張らせると、再び怨みのこもった目で隆也を睨んだ。ただし、今回は少し涙で滲んでいたのだが。

「いつき、ちょっと来てくれる?」
「ちょ、待ってよさらちゃん!」

マズイな、と隆也は顔を曇らせる。このままではまた一人になってしまう。屋上の風に当たって寒くなってきたうえに一人に逆戻りになってしまうのは身体的にも精神的にも辛い。
少なくとも、どちらか一人には残っていてほしい。

「さら、ちょっと待ってくれ」

隆也の声にさらは素直に振り向き、ほのかに頬を赤くそめた笑顔を向けた。いつきは何も言わずに、隆也を見つめたまま動かない。まだ恐怖から逃れられてはいないようだった。

「実はこれから、いつきちゃんと用事があるんだ」

風が強く吹き、さらは恥じらいゆえにスカートを抑えた。顔を真っ赤に染めながらいつきの頭から手を離し、隆也の側へと優しくいつきの背中を押した。

「す、すいません、お邪魔でしたか……」
「い、いや、邪魔なんてことはないけど」

じゃあ、と言って隆也は再びいつきの手を握り、屋上のドアへと歩きだした。いつきは握られた手を乱暴に振りほどこうとしたはものの、さらの視線を激しく背にうけていることに気付き、苦々しい笑顔で手を握り返した。
肩を並べて歩くのは初めてかもしれない、隆也はぼんやりと考えていた。別に深い意味があるわけではない。さらは屋上に本を読みにきていた事に気付いた、だからいつきにした。多分、それが理由。隆也といつきは二人同時に屋上のドアをくぐった。


















「ストライク、バッターアウト!」

寒空の中いつきはニヤリと笑い、三振だ、ザマミロと心の中で悪態をついた。引退した隆也は少しでも上手くなるために、とほぼ毎日野球部に顔をだしていた。今日に至っては紅白試合にまで参加している。呆れた、といつきは少しだけ息をはいた。
昨日は二度も助けられてしまったが、奴はナオをたぶらかす性悪男だ。一時は奴の優しい言葉に騙されて敬語で話してしまったこともあったけれど、尊敬に値しない先輩に敬語を使う必要はない。ナオとさらは別だけれど。
そういえば、といつきは自分の右手をみつめた。あの男に手を握られたんだった……少しの嫌悪感はあった。が、それ以外の感情もほんの僅かに生まれたような……。
その感情は曇りガラスを通した景色のようにぼやけていて、まだしっかりと見つめることはできなかったけれど、確かに、いつきの胸の中のどこかに存在していた。そして隆也を見る度に曇りが少しずつ、晴れる。
いつきは視線を隆也から外した。何故か今までずっと隆也だけを追っていたような気がしたからと、もやもやとした想いを写しださないように。
ナオとさら。あの姉妹の仲はあの人によって元通りになった。私は何年も二人の側にいたのに何もできなかった。どんどん離れていく二人をわかっていながら何もできずに、気付かないふりをして逃げていた。それを自分の行動であの人は変えた。少し、悔しかった。そんな自分から目を逸らしたかったから、私はあの人を嫌っていることにしていた。
いつきは顔を上げて前を見据える。たった今チェンジになったようでライトの位置――いつきの方向に隆也が走ってくるのを見て、いつきは慌てて校舎に引っ込んだ。
……嫌いじゃない。最初から。
いつきは体を縮ませながら教室に入った。暖房器具が故障中のこの教室は寒い。自分の席に座ったところですることもない。とはいえ、妙な気分なので野球部の練習見学も避けたいな、と考えたいつきはナオに会いに行くことに決めた。この訳のわからない感覚、感情――ナオなら全てハッキリしてくれそうな予感がしていた。














「愛だよ愛!!」

ハッキリ言われた。
いつきはわざとらしくよろけ、床に手をついた。冬場のひんやりとした床のためすぐに立ちあがり、ナオと目線をあわせる。

「……絶対、違うと思うけど」

半ば拗ねた表情のいつきの頭を撫でるように触れたナオは優しげな微笑みをうかべた。
昨日の隆也の表情に近い物を感じたいつきは思わず数歩のけぞり、不審に思いながらもナオの言葉を待った。

「じゃあいつき。その気持ちは何?」
「……わからない」

わからない、だから来たんだよ。とは言いづらいのか、いつきは簡潔に答えた。でも恋愛感情ではないよ、と心の中で付け足しをする。俯いた顔をあげると、ナオはいつもの明るい表情でいつきを見つめていた。

「いつき――クリスマス、暇?」
「クリスマス? ……暇だけど」

ナオはまた隆也と酷似した笑みを浮かべ、よろしいと言いながら大きく頷いた。いつきは何かあるの? というような顔でナオの顔を見つめる。それに気付いたのか、ナオは人差し指をピンと立てながら言った。

「クリスマスパーティー」

はぁ、と了承した息を漏らしたいつきは回れ右をしてナオに背を向け、手をふりながら教室に戻った。訳のわからない感覚、感情はいつきの中で少しずつ膨らんでいった。


















「メリークリスマス!」

華やかな飾りつけ、豪華な料理。サンタクロース姿ではしゃぐナオと恥ずかしさ故に隅で縮こまるさら。サンタ服の効果かご機嫌な隆也。
そして――楽しいクリスマスパーティーの中、般若のような表情なのがいつきであった。そのいつきの両手にはシャンパンの瓶がしっかりと握られていた。

「いつき暗いよ! フィーバーフィーバー!!」
「無理だよ……」

何であの人が……と尋ねるのは簡単だった。しかし、それで変に意識していると思われるのが嫌だったいつきは押し黙っていた。ただ、シャンパンをグラスに注いで一気に飲み干すという将来が心配になる行動を繰り返し、ひたすらに溜息を繰り返し続けていた。

「いつきちゃんどうしたの? 荒れてるね」

シャンパンが気管に入りかけ、いつきは盛大に噎せた。隆也は慌てていつきの背中を摩り一つ溜息をついた。

「大丈夫?」
「大丈夫……ですから」

隆也はいつきの背から手を離すと自分のグラスにシャンパンを注いだ。少し息の乱れたいつきは隆也の手からシャンパンをひったくり、一気に飲み干す。

「もう私に関わらないでくださいっ!」

パーティー会場は一瞬沈黙に包まれた後、複数の笑い声が響いた。ナオは笑いながらいつきに近寄って背中を軽くたたいた。

「さらのマネ? いつき上手いっ!」
「……いつき、後でキッチンに来てね」

今更、違うんだよとは言えなくなったいつきはそれとなく話題をそらした。少したってから気付いたことは、二人――ナオとさらを隔てていた壁はもう完全になくなっていたこと。喜びの感情が胸に染みて、いつきは今日初めて笑顔になった。シャンパンを隆也のグラスに注ぐとゆっくりと隆也に手渡す。隆也は何も言わずに受け取ると一口飲み、何かに気付いたかのようにいつきのグラスに自分のグラスを優しく当てた。

「メリークリスマス」

優しい微笑みを浮かべる隆也をしばらく見つめていたいつきは、ようやくメリークリスマスとだけ返すとまた、シャンパンを口に含んだ。これ以上飲むとさすがにお腹が一杯になりそうかな、といい加減グラスを置き、さらの元へ小走りで向かった。
さらのサンタ服をからかっていれば少しは間が持ちそうな気がしたからだった。楽しいクリスマスパーティーで、何故時間を稼ごうとしているかはいつきにもわかっていなかった。

「さらちゃん似合うー」
「いつき……」

さらは真っ赤な顔を帽子を深くかぶることでごまかし、小声で呟いた。

「いつき……」

さらはいつきを繰り返し呼んだ。いつきは真顔になってさらの帽子を取り上げた。さらは小さく声をあげ、いつきから力づくで帽子をとりかえし、また深くかぶった。実は気に入ってるのかな、と思いながらいつきはさらに尋ねた。

「なに? さらちゃん」
「た……隆也君とはどう?」

いつきの目が点になった。徐々に顔が赤くなっていって胸の奥の感情が暴れだした。真冬――暖房器具があるとはいえ暑くはない、しかしいつきの額にうっすらと汗がうかんでいた。
いつきは踵を返すと強い歩みでナオの元に向かい、顔を赤くしながらも言った。

「ナオちゃん! 変な事吹き込まないでよ!」
「え? 何の事ぉ?」

ナオは知らんぷりでシャンパンを口に含んだ。間違いなく何のことかはわかっている顔だ。理性も何もなく、恥ずかしさだけが先行しているいつきは勢いにまかせて言い放った。

「私が隆也さんを好きってことっ!」

ナオの笑顔がニヤニヤしたものではなく、優しげなものに変わった。ナオはよしよし、と言いながらいつきの頭を優しく撫でる。
隆也は聞いていなかったものの、いつきの口からそう言ったのは初めてだった。一度自分で感情を口にすると、その後は自然と口をつくようになる、とナオは満足気に頷いた。

「あ」

違う。恋愛感情ではない。練習を見ている時に湧き出た感情も、二人で話している時に生まれた感情も。いつきの中では区別できていたはずだった。
ナオの勘違い――いつきはずっとそう思う事にしていた。実際、そうじゃない好きじゃない。いつきは大きく首を振った。ナオはその姿を見て少し顔をゆがめ、一言呟いた。

「いつき自分でわかってないだけだよ。だって初めてでしょ?」
「初めて……?」

いつきは涙混じりの声でナオの言葉を繰り返し、何が……? と小さな声で呟いた。
ナオはすぐに答えずにいつきの肩を叩き、優しげに一言呟いた。

「恋だよ」

ナオが去ったその場で、いつきは何をするでもなく立ちつくしていた。
恋。人を好きになること。私って人を好きになったことがなかった? そう言われてみると、今まではナオやさらと遊んでいるほうが楽しくて、男なんかと遊んだことなんて一度もなかった気がする。
じゃあ恋愛感情なんてものも、当然私は……。

「知らない……?」

いつきは自分に尋ねるかのように呟いた。
人を好きになった事がなかった自分は恋愛感情を知らなかった、といつきは答えに辿りついた。じゃあ今まで、隆也さんにあった感情は本当は何? ナオやさらへの感情とは少し違うものだということはわかっていた。。
答えは今度はすぐにでた。自分は恋愛感情を「知らなかった」んだ。
曇りは晴れた。今はもう自分の感情が何だったのかが、ハッキリとわかる。高科家の愛犬モッチンの頭を優しく撫で、薄く微笑む。
いつきは振り返り、隆也と目線を合わせた。隆也はいつきの行動にすぐに気がつき手をふった。いつきは顔を少し赤らめ小さく――手をふりかえした。
ナオとさらは優しく、二人の姿を見つめていた。















溢れる人込みの中に、振袖姿のいつきが居た。
チャリン、と音をたてていつきの投げた小銭は賽銭箱に吸い込まれるように消えた。きつく目を閉じて手をあわせる。神に誓うのではなく自分の中に誓いをたてること。自分の気持ちに素直になる、受け入れる。いつきは小さく白い息をはいた。
我ながら恥ずかしい願い事をしたかなと、いつきは顔を赤らめ、ほんの少しだけ俯く。

「ふう……」

いつきは手にさげた巾着袋から携帯電話をゆっくりと取り出し、開いた。いつもはポケットに入れているぶん手間がかかるのが煩わしく感じる。着信無しを確認し、人込みをすりぬけるようにして神社から出た。
父と母は例年の様に二人での食事に向かっている。年に一度くらいは二人だけにしてあげようと、いつきから言い出したことだった。
帰路を歩みながら、神社の前に立ち並ぶ大量の屋台の意図がつかめない、と訝しむようにいつきは屋台に目をむけた。チョコバナナと神社に何の関連性があるのだろうか? 買う方も買う方だけど……。

「あ、いつきちゃん」

視線の先に右手左手両方にチョコバナナを構えた隆也があった。先程まではわたあめでも食べていたのか、ほんの少し甘い匂いが漂っていた。

「あけましておめでとー」
「……どうも」

……何しにきたんだろう、この人は。多分、お参りすらしていないのだろう。ただ単に己の食欲を満たすために来たんだろうな、といつきは少し呆れたように声を漏らした。
食べる? とさしだされたチョコバナナをいつきは押し返すようにしながら、丁寧に断る。

「……いいです、汚れると困りますし」
「あぁ、振袖? あ……あざやかだよね」

それは艶(あで)やかです、と前置きを入れて隆也を見つめる。少し動悸が激しくなる。いつのまにか自分では抑えきれなくなっていた想い。打ち明ける時はいつ来るんだろう。
それにしても、といつきは隆也を見つめた。私服姿は初めて見る。いつも野球部のユニフォームを着ていて制服姿すら見たことがなかった。服のセンスは予想していたほど悪くない、かもしれない。
いつきの目線に気付いているのかいないのか、話を切りだしたのは隆也の方だった。

「いつきちゃんさ、ナオやさらと一緒に来たの?」
「いえ、二人は今日はナオちゃんの家にいますよ」

少し寂しげな顔のいつきを前に、少し隆也は物思いにふけった。
喧嘩でもしたのかな? それに今日はやけに敬語を使うな。やけに大人びているように感じるのは振袖のせいなのだろうか?
思考を巡らせている内に隆也はやがて、一つの疑問点にたどりついた。

「いつきちゃんは?」
「行きませんよ、二人が二人で迎えるお正月なんて久しぶりでしょうから」

いつきにようやく笑顔が生まれた。二人はなんとなく神社の周りをぶらついた。どこを見ても人の波。溢れる人込みの中を、二人はゆっくりと歩いた。偶然出会えた喜びにほんの少し酔っていたいつきは我に帰ったように隆也に問い掛けた。

「あの……どこ行くんですか?」

いつきの問いは隆也の耳には届かず、歩みを止めることはなかった。神社での人込みからは一転、人気はまるでなくなっていた。沈黙に耐えかねたかのようにいつきは半ば強引に隆也の歩みを遮った。

「あの、どこに行くんですか? 場所によっては着替えたいんですけど……」
「あ、うん」

帰宅の為に歩いていたとは言えずに隆也は言葉を濁し、真っ直ぐ目を前に向けた。
薄い黄色の振袖が風にまう。いつきは少し、髪を抑えた。
















「……どうぞ」

カチン、という高らかな音と共にカップが置かれた。隆也といつきは、とりあえずという形で桜井家に居た。暖かそうな湯気とオレンジ色の液体がとても愛おしく感じる。何せさっきまでは、冷たい風にあたり続けていたのだから。適度に保たれた室温がやけに心地いい。ゆっくりと舌の上で吟味した紅茶を飲みほし、隆也は一つ息をついた。

「私……着替えてきますので」

再びカップに紅茶を注いた後に、いつきは部屋を出た。いつきの部屋は余計な物が少なく、女性の部屋にありがちな物のほぼと言っていいほどない。それは、几帳面といういつきの意外な性格を映し出しているようだった。再び紅茶を啜る。ぼんやりとした感覚の中、隆也は隣の家から聞こえてくる笑い声に耳を傾けていた。

「上手くいってるみたいですね」

部屋に戻ってきたいつきは隆也と向かいあうように座った。隣――高科家から漏れる笑い声は途絶えることなく、つられて隆也といつきも微笑む。いつきは少し顔に緊張を匂わせ、ゆっくりと呟いた。

「……あの、ありがとうございました」

隆也は少し驚いた様に目を見開いた。思いあたる節があるのかないのか、小さく肩を竦める。いつきは少し照れたように俯くと言葉を重ねる。

「あの二人が昔の様に戻れたのは隆也さんのおかげです」

今までずっと言えなかったことを、いつきは少し声の調子を落としながらようやく告げた。多少の自己嫌悪感、感謝の気持ちに加えて隆也への想いが交ざりあい、少し困惑していたのかもしれない。隆也は微笑みながら、口を開いた。

「……ところで、なんで敬語なの?」

全く予想していなかった返答。いつきは動揺したのか何の意識もせずに思わず声をあげた。

「はい?」

間を保つためなのか今度は隆也が互いのカップに紅茶を注いだ。カップの中を、再び紅茶と熱気が満たす。いつきは軽く会釈をして、隆也の返答を待った。

「……いや、だっていつもはさ」
「あれは、もう止めです」

自分の気持ちに気付いたので、とはまだ言えないのかいつきはそれだけ言って言葉を切った。一度意識してまうと自分をごまかすことが効かなくなる。隆也への嫌悪感なんてものは最初から存在していなかった、いつきは既にそれを自己認識していた。
隆也は少しの間いつきの表情を眺め、不思議そうな口調で会話を繋げる。

「何でいきなり?」

受け入れたはずの感情が胸の中でざわめき、顔が朱に染まる。隆也に悟られないように再び俯く。
都合がいいのかもしれない。二人きりでいることなどは学校では、ほぼありえない。しかし今はこうして二人だけの時間を過ごしている。このような状況は大きなチャンスだ。この雰囲気の中ならば自分をさらけだすことができるかもしれない、といつきは顔をあげた。

「それは――」

いつきは真っ直ぐに隆也を見つめ直した。それに答えるかのように隆也もいつきから視線を反らすことはなく、真っ直ぐにいつきの視線を受け止める。反射的に顔をそむけてしまったいつきの視界に入ったのは、握りこぶしを作っているナオと顔を赤く染めたさらが、高科家と桜井家の向かいあう窓からこちらを覗いている姿だった。
体が何かの魔法にでもかかってしまったかのように固まってしまった。再び視線を隆也に向けようとしても、視界の隅に入っている二人に気がいってしまう。
……どうしたの? と言いながら優しく肩を掴む隆也に対して、いつきは何かのスイッチが入ってしまったようだった。

「気安く触るな! この悪魔め!」
「ええぇっ!?」

肩にのった隆也の手を内心、名残惜しく感じながら掃った。そして半ばヤケになりながらも振り上げた手刀を隆也に向かって振り下ろした。
いつきの華奢な手は優しく流れるような手捌きによって隆也の手に収まった。これは実質、手を握られたも同然であり、いつきに耐えきれるものではなかった。

「あ……」

思わず女の子らしい声を出してしまい、空いている右手で自分の口を塞いだ。視界の隅では未だにナオとさらがこちらを見ていた。ナオはどこから取り出したのか双眼鏡を通して、さらは指の隙間から、しっかりとこちらを見つめていた。
先程とは違うスイッチがいつきの悩内にてカチリ、と音をたてながら押された。フラフラとした歩みで窓に近寄り、一気に窓を開けると一言呟いた。

「二人とも……後で物置に来てくれるかな」

今までにないほどの殺気にナオとさらは固まるように動きを止めた。ピシャン、と音をたてて桜井家の窓が閉じられた後、二人は顔を見合わせながら同時に呟いた。

「殺される……」

溜息を吐きながら、いつきは先程の位置に戻った。少し残念な気もするけれど今はこれでもいい。四人で笑いあえているこの関係のままでも。
だけど、いつか。いつの日にか、二人だけで笑い合う時間も作りだせるといいな。そのために、私ができることは一つだけ。
いつきはまた一つ、心に誓いをたてた。














いつきは寒さに震えながらグラウンドへの道を歩いていた。鞄の中にはラッピングされた贈り物。ナオのアドバイスを聞いてきちんとルビをふっておき、そしてきちんとこの贈り物の真意も説明することに決めた。
いつきは辺りを見回し、誰もいないことを確かめてから小さく呟いた。

「天使は悪魔にだって愛の手をさしのべなきゃねっ!」

いつきは一人、グラウンドへの歩みを早めた。






fin