Sponsored Link



雑草スターとお荷物ヒーロー

第十話

龍一閃陽介

 

「剣君!」

 大晦日だし、年越し蕎麦の準備でもしておこうか、と思った剣は蕎麦を買いに行こうと自分の部屋の玄関から出た瞬間、凡田に呼び止められた。振り返った剣が「何、凡田君?」と問いかけると、凡田は物凄い剣幕で剣に近寄ってきた。

「な、何…?」

「オイラ……この前見たんでやんすけどね……。剣君、クリスマスの夜、占い師のタマちゃんと一緒だったでやんすね…?」

「え? あ、うん。そうだけど?」

「あの日の夜……タマちゃんと何したんでやんすか!?」

「何って……普通にメシ食っただけだけど?」

 剣がそう言うと、凡田は剣の顔をジロジロと舐めるように眺め回した。しばらくしてから、凡田は詰めていた息を吐きながら、「なら、良いでやんす」と言った。

 一体、この男は何が言いたいのか、と剣は思ったが……凡田が突拍子も無いことを言い出すのは今に始まったことではないので、剣とすればもう慣れたものである。何が気に食わないのかは知らないが、少なくとも剣が今、凡田に話したことは事実である。剣とすれば……食後にそのまま、どこかのホテルにでもしけ込みたいところだったが、そんなことを珠子に言えば、行き先はホテルではなく、病院か墓場のどちらかなのは目に見えている。聖なる夜に、わざわざ命を捨てるようなマネをしなくてもいいだろう、と思った剣は、その思いをグッと堪えたのであった。

「で、凡田君? どうかしたの?」

「え?」

「何か、鼻息荒いよ?」

 剣が問いかけると、凡田は待ってましたと言わんばかりの笑みを表情に浮かべて「よく聞いてくれたでやんすっ!」と叫びに近い声を上げた。聞いてから、剣は「しまった、聞くんじゃなかった」と思い、頭を抱えた。

「で……何?」

「実はオイラ、この前……タマちゃんに『野球か、趣味か、どっちかに絞らないと破滅する』って言われたんでやんす!」

「……あのさ、言っていいかな?」

「何でやんす?」

「それ、当然だと思うんだけど」

「どうしてでやんすか?」

「オレ達はプロ野球選手なんだぜ? 趣味も何もかも捨てて、野球に打ち込まなけりゃ、この世界じゃ生きていけないよ」

 剣の言葉に対し、凡田は「やってられない」とでも言いたげなジェスチャーと共に溜息を吐いた。

「あのねでやんす、剣君。野球できるうちはそれで良いでやんすけどね、野球できなくなったとき、どうするんでやんす?」

「え?」

「野球だけを生きがいにしてたら……野球できなくなったときに、困るでやんすよ? だって、他に生きがいが無いんでやんすから」

「!」

 剣は絶句した。何も言い返すことができなかった。確かにそうだ。自分は今、野球に没頭している。野球だけを生きがいにしている。野球以外に趣味もなければ、他に特技があるわけでもない。だから、プロ野球という職業を目指したのだし、そして今もプロ野球という職業で生きている。だが……凡田の言うとおり、野球ができなくなったとき、自分はどうやって生きていけばいいのだろう? いや、生きていくことはできる。探せば、仕事くらいは見つかるだろう。だが、その時、自分は何のために生きれば良い? 何を目的として? 何を生きがいに? 生きる意味は?

 頭の中に次々と浮かび上がる疑問符。そして、その疑問に対する答えを見つけることができない自分。攪拌される頭のお陰で、目に映るものが色褪せていく感覚を剣は覚えた。

 剣が気が付くと、いつの間にか凡田はいなくなっていた。さらに数秒後、自分は蕎麦を買いに行く途中だったことを思い出したが、自分は蕎麦を買いに行っているような暇などあるのだろうか、と剣は再び物思いに耽った。

「何してんだよ、剣? ボーッとして」

 背後から掛けられた声に、剣は我に返る。振り返ると水木が立っていた。

「あ、水木さん」

「何か悩み事か?」

「あ……ハイ。実は……」

 剣は先刻、凡田に言われたことを水木に話した。聞き終えた水木は「……なるほどな」と言った。

「なぁ、剣。オレには、お前の気持ちが痛いほどよく分かるよ。野球しかないオレ達は……野球を取り上げられたら、生きる意味を見失っちまうからな」

「水木さんもなんですか?」

「ああ。でも凡田は違う。アイツなら、例え野球を取り上げられても、自分の趣味を生きる理由にして、生きていけるだろうな。だから……オレはちょっと、アイツが羨ましいよ」

 水木の言葉に、剣は「ですよね」と相槌を打った。野球を取り上げられたら……自分達は、生きていくための理由が、すなわち“夢”があるのだろうか?

 小杉に戻れるのかどうかは分からない。だが、戻れたとしても、戻れなかったとしても、どちらにせよ剣は野球を続けていくつもりである。しかし、その先は? 野球を続けることができなくなったとき、自分に待っているものは何だ? 生きていくことができるだけの、希望や夢は、自分に用意されているのだろうか…? それが分かれば……気分だって楽になるのにな、と思った剣は溜息を吐いた。

 

 

 

「はぁ……」

「どうした? 溜息なんか吐いて」

 年は明けた。初詣に珠子を誘ったら、意外にも珠子は素直に首を縦に振った。正月は人通りが少ないため、商売にならないらしいので、ヒマだったのだと、剣は珠子に聞かされた。

 よって、剣は今、珠子と共に、神社に初詣に来ていた。剣は密かに、珠子の着物姿を期待していたのだが……珠子は珠子らしいと言うべきか、いつも通りのラフな服装であった。

 だからといって、剣は別に、珠子の着物姿を拝めなかったことに対して溜息を吐いているわけではない。彼が溜息を吐いたのは……年末に凡田に言われた一言が、未だに気になっているからである。

 その時、ふと……剣は、珠子の職業が“占い師”だったことを思い出した。

「なぁ、タマちゃん?」

「何だ?」

「……ちょっと、相談聞いてくれない?」

 剣がそう言うと、珠子は手を出した。

「言っておくが、これも商売だ。有料だぞ?」

 剣は再度溜息を吐きつつ、サイフを懐から取り出した。賽銭箱に使うより先に、こんなところで金を使うことになるとは思わなかったな、などと剣が嘆いていると、珠子は「で、何だ?」と言った。

「オレ達、プロ野球選手ってさ。野球だけを考えて、生きているようなもんだろ?」

「まぁ、そうだろうな」

「じゃあさ。野球を取り上げられたら……オレ達、何を生きがいにすればいいんだろ?」

 剣とすれば、それは真面目な質問だったのだ。ところが、珠子は口を大きく開けて「は?」と言った。

「いや、“は?”って……。オレ、一応マジなんだけど?」

「……なぁ、剣。言っていいか?」

「何?」

「お前、底なしの“バカ”だな」

「なっ!?」

「だってそうだろう? 先のことをグダグダと考えていられるほど、お前に余裕があるのか?」

 痛いところ突く問いかけだったので、剣は言い返すことができなかった。

「大体な、人間というものは必死で生きていれば、後悔もしないし、未来に対する懸念もない。今を必死で生きることを忘れた人間は、後悔もするし、未来に対する懸念もある。そういうもんだ」

「えーと……つまり?」

「要は、今を必死で生きてみろ、ということだ。そうすれば道は開ける。人間は飽きっぽく、そして欲深い生き物だからな。生きがいなど、生きていればコロコロと変わる。心配しなくても、その時が来れば、生きがいが何なのかは自分で分かる。新しい生きがいを見つけたとき、後悔しないために……今を必死で生きろ。それが私からのアドバイスだ」

 珠子にしては、珍しく毒舌ではない言葉だった。そして、剣は「なるほど」と頷いた。考えてみればそうだ。これから先、どうなるかは誰にも分からない。誰にも分からないことで、あれこれと悩むのは無意味な行動である。悩んだところでしょうがないことを悩むくらいならば、今を精一杯生きる。そうすることで、未来を切り開く。それが大事なのだろう。そして、それこそが……それが過去のものとなったときに後悔しない生き方でもあるのだろう。剣は、胸の奥のつっかえ棒が取れたような気がした。

「ホレ」

 珠子が剣に手を差し出すと、その掌には先程、剣が手渡した相談料があった。面食らう剣に、珠子は「賽銭に使え。今年一年、精一杯頑張ることができるように、って神頼みでもしてみろ」と言った。

 しばらくの間、珠子の掌を見つめていた剣だったが、何かを決心したかのように頷くと、その小銭を握り締めた。そしてその小銭を、賽銭箱目掛けて放った。ピッチャーならではの、一直線の軌道を描いて、小銭は飛んでいき……賽銭箱に入った。

「ほー? ストライクだな。やるじゃないか」

 珠子の珍しい誉め言葉に気を良くしつつ、剣は手を二回叩いた。

 

――今年一年、脇目も振らずに精一杯、頑張ることができますように……――

 

 未来を案じたところで何もならない。過去を後悔したところで結果は変わらない。野球を取り上げられる恐怖に震えても、何も変化は無い。小杉と体が入れ替わったことを嘆いても、元の体に戻れるわけでもない。大事なのはこの現在なのだ。今を精一杯、必死で、がむしゃらに生きることで……未来に対する懸念も、過去の後悔も、全て忘れ去ることができる。

 過去が雑草でも、未来でスターになろうとも、今までの自分がお荷物でも、これからの自分がヒーローでも……別に、そんなこと、今はどうでも良いではないか。結果は必ずついてくる。必死で努力し、精一杯頑張れば、頑張った分だけ……絶対に成果となって実るのだから……

 

 

 

雑草スターとお荷物ヒーロー……『完』