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雑草スターとお荷物ヒーロー

第三話

龍一閃陽介

 
 
 
「おい! ちょっと待て!」
 
  後ろから声を掛けられたので、小杉は声の主を判断するために後ろへと振り返った。そして、振り返った矢先には、小杉が今、最も会いたくない男……すなわち剣真一が立っていた。
 
  剣の姿を確認した小杉はちょっと驚いたようなそぶりを見せかけてしまいそうになるが、慌てて平静を取り戻して、言葉を発した。
 
「……何の用だい?」
 
  しらばっくれる小杉に対し、剣は噛み付いて答える。
 
「とぼけるな! オレの体を返せ!」
 
「ハハハ。いいかい、オレがあんたの体を盗んだわけじゃないんだ。あくまでもアレは事故だろ」
 
  剣の激しい剣幕にも、小杉は涼しい返事をする。
 
「でも、オレのふりをしてるじゃないか?」
 
「ああ。あんたもな」
 
「え? いや、それは……こんな話、誰も信じないから仕方なく…」
 
「それに、一体どうやって元に戻すつもりなんだ?」
 
「うっ!」
 
  小杉の急所を突くような発言に、剣は一瞬言葉に詰まる。しかし、剣は言葉を続けた。
 
「だ、だから、それを一緒に考えよう」
 
「やだね。オレは、このままの方がいいや」
 
  当然、だろう。誰が好き好んでスターという立場を簡単に捨てるだろうか? ましてや、今までの人生がゴキブリのように世間のドンゾコを這いずり回っていた旧・剣が夢にまで見たスターである小杉という立場を、そう簡単に捨てるはずがない。小杉は今の自分の体をくださった神に毎晩感謝したいと考えているほどである。
 
「じょ、冗談じゃない!」
 
  しかし、こちらも当然である。旧・小杉はスターという立場を一瞬にして奪われたのだ。納得できるハズがないだろう。
 
  必死にしがみつく剣がいい加減うっとおしくなったのか、小杉は剣を殴りつける。小杉の右拳と剣の左頬の激しくぶつかる音が響き、痛みを感じた剣は慌てて左頬を左手でかばった。
 
「あきらめなよ。今の体じゃ、ケンカしたってオレのほうが強いんだからな」
 
  運動神経バツグンで、球界のスターである小杉の肉体。
 
  日本一のダメ球団が太鼓判を押すほどのお荷物選手である剣の貧弱な肉体。
 
  肉弾戦でどちらに軍配が上がるかは、一目瞭然どころか目をつぶっていても明らかである。
 
  剣が左頬の痛みにひるんでいると、剣の背後の方向から一人の女性が歩いてきた。その女性は、小杉によく似ていると思しき人間がいたので、その男に声をかけた。
 
「あら? そこにいるの、優作さん?」
 
  小杉は声の主のほうへ、顔を向ける。小杉の目線の先にいたのは浅上あやかだった。
 
「ああ、あやかさんか。ちょっと酔っ払いにからまれたんだ」
 
 『あやか』という単語を耳にした剣は頬の痛みも忘れて振り返る。
 
 ――あやか? 球場によく応援に来てくれたオレのファン……?
 
  剣は「何故彼女がここに?」という疑問を抱くが、目の前に小杉が存在していたのを思い出すと、彼は結論をはじき出した。
 
 ――まさか……この男は、あやかさんに手を出したんじゃ!?
 
「おい、ちょっと待て! まさか彼女に……」
 
  剣がまだ言葉を言い終わらないうちに、小杉の二発目の拳が飛んだ。鈍い音が再びその場にこだまし、剣は思わず殴られた衝撃で尻餅を着いた。
 
  立ち上がってこないことを確認した小杉は、小走りであやかの元へと向かった。
 
「あんなのは相手にしないでさっさと行こうぜ」
 
「え? ええ……」
 
  あやかを急かすようにして、小杉とあやかはその場を去っていった。
 
「ねぇ、優作さん? さっきの人って……」
 
  あやかが小杉に語りかけるが、あやかの言葉が終わらないうちに小杉は言った。
 
「ただの酔っ払いだよ。さ、この辺は物騒だ。早くこんな汚い路地を抜けよう」
 
  小杉が去った後、暗い路地に一人取り残されてその場に座っている剣は左頬を押さえながら叫んだ。
 
「チックショー、今に見てろ!」
 
  怒りに任せて路地の壁を思いっきり殴る。だが、返ってきたのは返事ではなく痛みだった。
 
「いってぇええええええ!」
 
  剣は思わず絶叫する。いきなり与えられたお荷物選手という境遇。スターという地位の剥奪。そしてファンまでも奪われた。
 
  全てを奪われたことと、拳の痛みの両方が原因で剣の瞳は涙で潤んでいた。
 
 
 
 ―――数日後……モグラーズ二軍の練習用球場
 
  この球場で、練習を続けている男達。その群がりの中に一人歩いていく男がいた。一方、練習を続けている男が歩いてきた男の存在に気付いたために声を掛ける。
 
「あれ? 水木さんじゃないでやんすか。復帰したんでやんすか?」
 
「ああ。怪我のほうはバッチリ! だが、リハビリのためにもしばらくは二軍生活だな……」
 
  水木という男が溜息とともに、落胆して答える。
 
「水木さんは、一軍と二軍の行き来が激しいでやんすね〜」
 
  水木の話し相手になっている男、名前を凡田という。お調子者であるがゆえに、たまに図に乗るときがある。今回も図に乗った凡田の発言がシャクに触ったのか、少し気分を害したように水木は言う。
 
「ふん! ほとんど二軍のお前に言われたくはないな!」
 
「いや、オイラはまだマシでやんす! 剣くんに比べれば……」
 
  凡田は自分のコトを棚に上げて、側で練習していた剣という男を指差した。一方、突然話を振られたために仰天して、凡田へと顔を向ける剣。
 
「えっ!? オレ…?」
 
  目を丸くしながら答えると、水木が相槌を打つようにして続ける。
 
「ああ、そういえばそうだよな! お前は実績もないし、この前なんかマヌケな怪我で入院してたしな。最もクビに近いんじゃねーの? お前」
 
  サラリと答える水木に困惑した表情で剣は言葉を続けた。
 
「オイオイ、そんなの困るよ。オレ、野球以外に何もできないのに」
 
  剣の言い放った言葉に対して、水木と凡田は驚きのあまり、目を丸くした。
 
  そして、剣の言葉に返事をしたのは水木だった。(というよりは、凡田は驚きのあまり言葉を発することすらできなかった)
 
「はぁ? 今更お前、何言ってるんだ?」
 
「え?」
 
「オレ達は皆そうじゃないか。クビになるのがいやだったら、もっと練習して、監督やコーチに認められないとな」
 
  水木はそう言うと、凡田を引き連れてその場を放れていった。その場に一人残された剣は思った。「このままではマズイ」と。
 
 ――そうか……このままじゃ、オレはクビになってしまうのか……
 
 ――もし、クビになんかなったら、体を元に戻すどころじゃないぞ……
 
 ――仕方が無い。今は、小杉の……元の体に戻る方法が見つからないんだ。
 
 ――しばらくは、この体で生活するしかないんだしな……それまでは、記憶が混乱しているってことにしておくか……
 
 ――くそっ! だが、オレはあきらめないぞ!
 
 ――このまま、体を奪われたまま終わってたまるか! 待ってろよ小杉!
 
「剣! オイ、剣!」
 
「えっ!? あ、ハイ!」
 
「全く……名前を呼んだんだから、反応してくれよ!」
 
「すみません……」
 
  男は、名前を呼んだのに、反応が遅かったことを怒りながら剣に言った。一方の剣は、自分の失態を反省して謝罪の言葉を返す。
 
 ――そうか、オレの名前は剣だったな。まだ、この名前に慣れてないんだよな……
 
  自分の中身は本当は小杉だという話を一体誰が信じてくれるだろうか? 誰も信じてはくれないことが明白な以上、剣の心の内の言葉は口には出せなかった。
 
  そんな剣の心中を察する様子も無く、男は剣に語りかけた。
 
「この前の事故で記憶が混乱しているって、聞いたんだが……大丈夫か?」
 
「ええ、大丈夫です。で、あの……あなたは?」
 
  剣の発言に、男は目を丸くして答える。
 
「オイオイ! 本当に大丈夫かよ!? ……まぁいい。二軍監督の古沢で、お前のボス。思い出したか?」
 
「ああ! そうでした!」
 
  納得したように相槌を打つ剣を見て、古沢は溜息を吐く。念には念を入れた古沢は、剣にこう言い放った。
 
「お前、その様子じゃあ、コーチたちのコトも忘れたんじゃないだろうな?」
 
「あ、ハイ。実は……」
 
  剣の反応を見た古沢は、また溜息を吐いた。(今度はもっと大きなものだったが……)
 
  しかし、剣が忘れている以上、いくら面倒でも教えてやる必要があると考え直した古沢は、二度と剣が忘れないように念入りな口調で剣に説明を始める。
 
「あそこを見ろ」
 
  そう言って、古沢が指を差した方向を剣は目線で追った。その先に立っているのはやたらとマッチョな男である。
 
「あの、やたらと筋肉質なヤツが、筋力コーチを担当している鬼鮫だ」
 
「え? 筋力コーチ? 打撃コーチとかじゃないんですか?」
 
  剣の反応に対して、古沢は笑顔で答える。
 
「何言ってるんだ。いかにも筋力って感じだろ?」
 
 ――そういう問題か?
 
  剣の内心での反応は、非常に冷静なものであった。しかし、そんな涼しいツッコミを本当に古沢に入れるだけの度胸は剣には無かった。今ここでツッコミを入れれば、古沢の誠意を無駄にすると思ったからである。
 
  剣の涼しいツッコミを察するはずもなく、古沢は次のコーチの説明に入る。
 
「それで、あそこにいるヤツだ」
 
  古沢の指先の方向を剣は見るが、剣の視界には何にも映ってはいなかった。誰もいないのである。
 
「あそこ? あそこって、どこですか?」
 
「ほら、あの木の上だよ」
 
  言われた通りに、剣は古沢の言う「木の上」を見る。すると、一人の人間が木の枝からぶら下がって、宙吊りになっているではないか!
 
「えええ!? 一体、何やってるんですか? あの人!」
 
  剣は驚きのあまり、木からぶら下がっている人間を指差して古沢を問いただした。
 
「さぁ。オレにも分からんが、本人が言うには、あの状態が落ち着くらしい」
 
「はぁ……」
 
  YesなのかNoなのか、曖昧な返事をする剣。
 
 ――あの状態が落ち着くって……あの人は一体何者なんだろう…?
 
  確かに普通ではない。木の枝から宙吊りでぶら下がっているのだ。普通ならば、頭に血が上って気持ちが悪くなるものではないだろうか?
 
  なのに、「その状態が落ち着く人間とは一体何者?」と考える剣の思考回路は正しいだろう。
 
「で、あの人は何のコーチなんですか?」
 
「素早さコーチの迅雷だ。プロ選手には当然、機敏な動きが求められるから、彼の技術は必要になるだろうな」
 
 ――素早さねぇ……
 
  素早さが大事なのは事実だと予想できるが、素早さコーチというそのまんまのダイレクトなコーチが球界に実在しただろうか? 少なくとも、剣の記憶の中では存在していなかったはずである。
 
  そして、古沢は最後のコーチに指を向ける。
 
「そして、アイツが……」
 
 ――おお! 今度は普通っぽい!
 
  最後に古沢が指を向けたコーチのいでたちは、筋肉質でもなく(かといって、太っているワケでもないが)木の枝から宙吊りになっている人間でもない。一言で言い表すならば、「普通」の人間であるように思える。
 
「技術コーチの、手久野(てくの)」
 
 ――名前が変なのか……
 
  二度あることは三度ある。二人のコーチが変人である以上、三人目のコーチが変人でないはずはないのだろう。三人目のコーチの見た目は普通でも、名前がおかしいと剣は判断した。
 
「彼等三人のコーチの教えを受けることが、一軍昇格とその後の一軍での活躍に掛かってくる。肝に銘じておけよ」
 
  剣を諭すようにして古沢が言った。
 
「は、ハイ!」
 
  平静を取り戻すべく、剣は軽快な返事をする。その返事を聞いた古沢は剣の下を離れていった。
 
 ――三人のコーチの助けを受けることが一軍昇格への近道、か。
 
 ――確かに、クビ寸前の現状を打開するためにも、コーチたちの教えを受けたほうがいいだろうな。
 
 ――だが……凡田君の話によると、オレのポジションは投手だったらしい。
 
 ――それはかなり困った話だ……オレは生涯、ずっと野手だったからな。ピッチャーの経験がない……
 
 ――今、オレが投げられる球といえば、せいぜい……普通の直球くらいだろう。それじゃあ、絶対にプロではやっていけない。
 
 ――……やはり、投球の幅を広げたい。そのためには変化球が必要だ。
 
 ――だが、オレは変化球の握りも投げ方もロクに知らない……くそ、少しはピッチングについて勉強しておくべきだったな……
 
  剣がまだ、小杉だったころはピッチャーというものを全く経験したことがなかった。昔から、バットを握って強い打球を打ち返すことに野球の面白さを感じていた彼は、つねに野球をやる時は野手だった。つまり、ピッチャーの経験が今までなかったということである。今になって、ピッチャーを経験したことがなかった自分を深く後悔していた。
 
 ――ピッチャーというポジションは、今のオレには素人同然のポジションだ……
 
 ――それで生きていくためには、コーチたちの助けは絶対に必要。
 
 ――少なくとも、何か投手としてのアドバイスを受けなければ、どうしようもないな。
 
 ――さて……誰に聞くべきか?
 
  剣の視線は三人のコーチを順番に追っていった。
 
 ――鬼鮫コーチは筋力担当……少なくとも、変化球に関する話を聞くことはまず不可能だろう。
 
 ――じゃ、迅雷コーチか? いや、あの人は素早さコーチだ。変化球とはおそらく無縁……
 
 ――と、なると……やはり、こういったものは技術の話になる。技術コーチである、手久野コーチに聞くとするか。
 
  ターゲットを決定した剣は、手久野コーチの側へと歩いていった。手久野コーチは自分の側に剣が近づいてきたことに気付くと、コーチは気さくな態度で剣に声を掛ける。
 
「よぉ、剣。オレに何か相談か?」
 
「ええ。実はちょっと、技術的な相談に……」
 
  剣の言葉を聞いた手久野コーチは、今までと態度を豹変させて答える。
 
「あのなぁ……今のお前に必要なのは小手先の技術じゃなくて、タフさなんだよタフ! 今のままの体で練習続けたら体壊れるぞ?」
 
「あ、は……はぁ……」
 
「また体壊して入院したら、それこそ……お前クビだな。そうなりなくなかったら、体をタフにしてからオレの所に来い!」
 
「はっ、ハイ!」
 
  手久野コーチに急かされるがまま剣はランニングをするべく、グランドに飛び出していった……そんな剣の後姿を見届けた手久野コーチはふと考えた。
 
 ――……あれ? そういえば、アイツ……あんなに敬語の上手いヤツだったっけ? それにとても素直になったような……
 
 ――まぁ、今回の入院でクビを身近に感じて、アイツもオチオチしてられなくなったんだろう。
 
 ――素直になったのも急に敬語に使い始めたのも……クビが怖いから、か……中身は随分正直やつだったんだな。
 
  手久野は自分の考えに対して、苦笑していた。
 
 
 
 続く