雑草スターとお荷物ヒーロー
第四話
龍一閃陽介
「つ……疲れた……」
膝に手を乗せて、肩を激しく上下させている剣の姿は、誰が見ても『疲れている』ということがよく分かる有様だった。
そんな剣に手久野は微笑みながら、「お疲れさん」と言う。
「て、手久野コーチ……約束通り練習を……」
「はぁ? お前、何バカな事を言ってるんだ?」
目を丸くして驚いている手久野コーチに、剣は「え?」と聞き返してしまった。
「お前な。今日一日、グランドを走りぬいた程度で体がタフになるかよ。練習を教えてほしけりゃ、もっと体をタフにしてからにしろ」
「そ……そんなぁ……」
剣はすがるような思いで、手久野の腕に手を伸ばした。しかし、腕を掴む前に、手久野は剣の側から去っていった。
「……ウソだろ……」
剣の呟きは誰の耳にも届かなかった――
それから、数日……いや、数週間が過ぎた……。
「はぁはぁはぁ……て、手久野コーチ……い、一体、いつになったら、練習を教えてくれるんです…?」
今日もグランドを五十回程周回した剣は手久野コーチに、かすれた声でそう尋ねた。すると手久野は顎に手を当て「んー」と唸った。
「そうだな……。まぁ、そろそろ良いだろう。で、何が教えてほしいんだ?」
「えーとですね……技術的な相談があるんですよ」
「技術? 具体的には、どんな技術だ?」
「ちょっと、変化球について、ご指導賜りたく……」
「は?」
「え?」
手久野が目を丸くして驚いたので、剣もそれに釣られて素っ頓狂な返事をしてしまった。
「お前……いくら、技術的な相談つっても、それは無いだろう?」
「え? あの、一体何が…?」
「昔っから言うだろう? 餅は餅屋って。専門家がいるんだから、そっちに行ってこいよ」
「専門家?」
(変化球の専門家がいるということだろうか? ということは……投手コーチ?)
二軍にもマトモなコーチがいるのだと考えた剣は、思わず顔がほころんでしまった。マトモなコーチが一人いてくれるだけで、剣はどこか救われたような気分になった。
「なーんだ! 専門家がいるなら、先に教えてくださいよ〜!」
「え? 迅雷が変化球コーチだってことを言ってなかったか?」
「へ?」
手久野の切り替えしに、剣は間の抜けた返事をした。
「じ、迅雷コーチって……すばやさコーチじゃ?」
「ああ。迅雷は、すばやさコーチでもあるが、本業は変化球コーチだそうだ」
「は、はぁ……」
手久野は「じゃ、頑張って来いよー」と言いながらその場を去っていった。その場に残された、剣はふと思った。
(……って……。最初っから、迅雷コーチの所に行っていれば……こんなにも苦しむ必要は無かったんじゃ?)
剣の疑問に答えてくれる人間は誰もいなかった……。
剣は恐る恐る、迅雷コーチの下へと向かっていた。
特徴的な忍者装束に、顔を隠すかのような包帯。忍者マニアだと誰かに言われない限り、不審者にしか見えないな、と剣は思った。
「あの〜、迅雷コーチ?」
「ム? ああ、剣か。どうかしたのか?」
「えーと……変化球について、いろいろと教えてほしんですが…?」
剣の言葉に対し、迅雷は何も答えずに、剣の体を頭の上から爪先まで見回した。返事をしてくれない迅雷に、剣は「あの〜…? 迅雷コーチ?」と言って、迅雷の返事を催促した。
「フム。お前もクビが怖くなったのか?」
「は? え、ええ、まぁ。クビになったら、元も子もないですからね」
「……なるほど。今までマトモに練習していなかったし……私の助けを求めたことも今までに無かったからな。お前が私の助けを求めてくるなど、思ってもみなかったぞ」
「は……はぁ…?」
「ともかく、変化球を知りたいと言ったな? 具体的に、どんな変化球が知りたいのだ?」
「えーと……。実は、変化球について何も分からなくて……」
剣は力なくそう言った。それに対し、迅雷は「フゥ」と溜息を吐いた。
「ま……そうだろうな。今までロクに練習をしてなかったんだから、変化球の“へ”の字も分からなくて当然か」
迅雷は剣に「利き腕を見せてみろ」と言った。言われるがまま、剣は右手を迅雷に差し出した。迅雷は剣の右手を食い入るように見つめて、掌も甲も指の間までも、見つめていた。
しばらくすると、迅雷は剣の右手人差し指と中指を目一杯広げた。
「痛むか?」
迅雷の問いかけに、剣は「いいえ」と答えた。剣は人差し指と中指を目一杯広げられたにも関わらず、それほど痛みを感じることがなかった。
「なるほど。お前の投球フォームを見せてもらおうか。三球ほど、シャドーピッチングしてくれ」
「はい」
剣は迅雷から少し離れた位置に移動すると、目を閉じて集中した。そして両手を振り上げてワインドアップに入る。左足を上げて、軸足で地面を強く蹴って、体重を前に移動させる。流れるように肩から腕に体重が乗っていき、最後には手首のスナップを利かせて、フォロースルーをした。
それを三回ほど繰り返すと、迅雷は「フム」と言って、顎に手を当てた。
「……剣。お前はどうやら、力のあるストレートを主体とするピッチングが向いている。それを活かす変化球は、お前の場合フォークボールが最適だろう」
迅雷の言葉に剣は驚いた。手を見せて、腕を三回振っただけで、ここまでのことが分かるものなのだろうか。
「どうして、そう思うんです?」
「ム? コーチの言う事が信用できないのか?」
「あ、いや……。そういうわけじゃなくてですね……」
どう尋ねるべきか迷っている剣に、迅雷は「クビになりたくなければ、コーチの言うとおりにするのが身のためだ」と言い放った。
それから、数日の間。迅雷コーチによるマンツーマンの指導のお陰で、剣はフォークボールを投げることができるようになった。
「――レッドエンジェルスに移籍した黒木龍一(くろき りゅういち)投手が、今日、レギュラーリーグの試合で初登板、初勝利を納めました。
打線も絶好調で、猪狩進選手やツバサ選手等の活躍でエンジェルスは八点を獲得――」
自宅でウィスキー片手にニュース番組を見ていた小杉はふと思った。
(オレも……いつかはメジャーリーグや、レギュラーリーグに挑戦してみたいもんだな……)
何気なくそう思った小杉は、ふっ、と自嘲した。
(……このオレが、メジャーにレギュラーだと? 球界でもトップレベルのお荷物選手だったオレが、アメリカで野球やるって?)
昔のオレだったら笑い話にもならなかったな、と小杉は思った。
(でも……今は違う。今のオレには力がある。そうさ! オレはもう、お荷物の剣真一じゃねぇ! オレは球界のスターの小杉優作なのさ!)
ウィスキー片手に酔っ払った男の高笑いが……夜遅くまで響いていた――
続く