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雑草スターとお荷物ヒーロー

第五話

龍一閃陽介

 

 

 

 剣真一はグランドにて、腕を大きく振りかぶった。そしてしなやかに、それでいて力強く腕を振る。彼の右手から放たれたボールは一直線に突き進んでいくかに見えたが、突然落下した。

 フォークボールの感触を確かめていた剣は、今の一球で確信した。これで……球種を増やすことに成功したのだ、と。

「ほーう? いい球を投げるではないか、剣」

 背後から掛けられた声に気付いた剣は振り返る。すると筋力コーチの鬼鮫が立っていた。すこぶる体格の良い彼が腕組みをしているのだから、至近距離に立たれると迫力満点であった。

「だが、変化球に頼るのはダメだ。むしろ、この世界に変化球など必要ないくらいだ!」

「は、はぁ…?」

 変化球をやたらと批判するこの男の勢いに、剣は中途半端な返事をした。

「剣! ピッチャーとして大成したいのなら、力強いストレートが必要になるぞ!」

「あ、そうなんですか?」

「そうとも! そのために、筋力トレーニングは欠かせない! 変化球に頼ろうとするヒマがあるのなら、ベンチプレスをした方が効率が良いぞ!」

 どうも……鬼鮫は変化球に対して批判的なように見える。何故、そこまで変化球をこき下ろすのか。今の剣には、その理由が分からなかった。

「さぁ、剣! 今から室内練習場に来い! オレがお前に、正しい筋トレの手ほどきをしてやろう!」

 と言った鬼鮫は、剣に返事を聞くまでも無く剣の腕を引っ張っていった。引っ張られる剣は「え? あ、ちょっと!?」と抗議の声を上げるが、鬼鮫の耳には届かなかった。

 そして剣は何故か……この鬼鮫という男に、どこか嫌悪感を覚えてしまうのであった……

 

 

 

「で? 鬼鮫コーチに一ヶ月間、みっちりとシゴかれたんでやんすか?」

「……うん。お陰で腕も足も筋肉痛だよ……」

 げっそりとした表情を浮かべた剣は自分の腕を指差しながら、凡田にそう言った。

「あの人、コーチとしては優秀なんでやんすけど……たま〜に、危険な雰囲気があるんでやんすよね〜」

「危険な雰囲気?」

「具体的な説明はできないでやんすけど……ともかく、何か危険なんでやんす」

 危険な雰囲気と言われた剣は、この前感じた嫌悪感のことを思い出した。でも……その嫌悪感の原因が一体何なのか、そこまでは剣には分からなかったが……

「ともかく! 今日の試合は頑張らないといけないでやんすね!」

「今日の試合? 今日、何かあったっけ?」

 聞き返した剣だったが、凡田は驚きの表情になった。

「知らないんでやんすか!? 今日は監督が試合を見に来るんでやんすよ!?」

「監督? 監督ならいつもベンチにいるじゃないか」

 凡田は「やってられない」とでも言いたげなジェスチャーをしてみせ、溜息を吐いた。

「そ、れ、は! 古沢監督でやんしょ? オイラが言いたいのは、一軍の北条……あ! あそこにいるでやんす!」

 凡田は三塁側の内野スタンドを指差した。それに釣られて凡田の指の先を見た剣は、そこに一人の男が立っているのに気が付く。

(ああ。そういえば、モグラーズの監督はあの人だったな……)

 若者には全く人気が無いにも関わらず、年配……特に中年女性に何故か人気のある監督である。

 そして……一軍の監督が二軍の試合を見に来ているということは……

「ひょっとして…? 今日の試合で活躍すれば、一軍に近づくことができるのかな…?」

「そうでやんす! だから、“剣くんは”今日だけでも頑張らないといけないんでやんす!」

 一言多いというか、それはお前もだろと言うべきか……剣は何か、理不尽な物を感じた、が……今はそんなことはどうでもよかった。今日の試合次第で一軍に昇格できるかもしれないのだ。いや、昇格できなくとも……一軍の監督にそれ相応の物を見せておけば、首を切られることはよもやあるまい。剣はいつにも増して……今日の試合に気合が入っていた。

 

 

 

「さて、と……。今日の試合で、イキの良い連中を探すとしますかね」

 一塁側ダグアウトに腰掛けた、猪狩カイザースの二軍監督はそう呟いた。今年のカイザース(無論、一軍である)は開幕から調子が良くなく、五月の連休を終えてからは負けが続いている。そりゃそうだろうな、と彼は思う。

 エースの猪狩守は四月に剥離骨折で戦線を離脱(今はどっかの野球アカデミーとかいう所で臨時の講師をやっているらしいが……)しているし、猪狩守の女房役である猪狩進はアメリカで野球をやっているし、今のカイザースにはチームの核となれる選手がいないのであった。唯一、安心できるヤツと言えば……今年、帝王大学から一位指名で入団してきたスーパールーキーの友沢亮くらいのもんだろう。だが、スーパールーキーと言えども、所詮はルーキー。一年目の、それも四月からガンガン活躍できるほど、プロの世界は甘くない。ウォリアーズの小杉でさえ、入団した最初の四月、五月は余り調子が良くなかった。まぁ、小杉の場合……オールスター以降は怪物的な活躍を見せ、新人王と首位打者を獲得していたが……。

 だが、友沢の場合はどうか? 確かに、今年の新人王の最有力候補だ。だが……友沢に小杉ほどの怪物的な活躍が見込めるだろうか? 二軍監督であり、今までたくさんの若手を一軍に送り出してきた彼だからこそ分かる。友沢は間違いなくスーパープレイヤーに成長するが、小杉ほどは……急激な活躍は見込めない。よって、猪狩が戦線離脱したチームを友沢一人で引っ張っていかせるには、余りに荷が重過ぎる。

 まぁ、今年中に猪狩がチームに戻ってくることはあり得ない。どうせ今シーズンは棒に振るのなら、若手をバンバン一軍に出してやって、経験を積ませてやるのもいいかもしれない。その方が、チームにとって将来性もあるというものだろう。

 だが……一軍で経験を積ませてやるのは良いとして……誰でも一軍にホイホイ上げてやれるというワケにはいかない。やはり、それなりの結果を出している者を一軍に昇格させてやらなければ、経験を積ませるどころか、かえって逆効果になりうる可能性もある。よって、一軍に行かせる選手は慎重に選ばなければならなかった。

 幸い……今日の相手は弱小モグラーズの二軍なのだ。選手の実力を見極めるのに、これほど好都合な相手も他にいないだろうと彼は考える。

「監督? あの〜……」

「ん? ああ、豊田か。どうした?」

 監督は後ろから声を掛けてきた男は豊田健一(とよだ けんいち)であった。彼は去年の十一月にドラフトで指名されてプロに入ってきた男である。確か……去年、甲子園を優勝に導いた日の出高校の主将だったっけな、と監督は思った。

 持ち味はパンチのあるバッティングと、手堅いリードとキャッチングセンス。猪狩進のいない今のカイザースからすれば、キャッチャーの豊田の成長がそのままチームの成長に繋がるのだと、監督は考える。

 しかし、豊田はまだ入団一年目。友沢と同じく、彼はまだまだ若い。若い彼に一軍の看板を背負って立たせるのは、余りにも酷な話である。今、焦ってしまえばチームにとっても、豊田にとってもマイナスになるであろうことは、監督には容易に予想できた。

「こんなことを聞いていいものか、あれなんですけど……オレ、今日の試合で四番なんですか?」

「ああ。何だ、不満か?」

「昨日まで、オレはベンチだったんですよ? それをスタメンどころか、いきなり四番だなんて……」

「ほう? 不満じゃなくて、不安なのか?」

「ハイ、まぁ、そんなところです……」

「じゃ、豊田。いいことを教えてやる。今日の相手は弱小モグラーズの二軍だ。甲子園の連中よりも弱い」

 監督の発言に豊田は「えっ!?」と言って驚きの声を上げる。それはそうだろう。弱小球団の二軍とはいえ、仮にもプロなのだ。プロと高校球児を比較……それも、プロの方がレベルが下なのだと、監督は言うのである。にわかには、豊田は目の前の男の言葉を信じることができなかった。

「……って、言えば、お前の気が楽になるか?」

「え? あ、何だ、冗談だったんですか!」

「ははは、当たり前だろう? お前の気を楽にさせてやるための、冗談に決まってるじゃないか」

「そ、そうですよねー、あはははは」

 監督は豊田と一緒になって笑い声をあげた。豊田の緊張がほぐれてくれたのなら、それでいい。尤も、この監督は弱小モグラーズと高校球児を比較すれば、高校球児のほうに軍配が上がるということを冗談だとは考えていないのだが……。

 だからこそ、この試合で監督はルーキーの豊田を四番に据えたのだ。実力はあるのだが、いかんせんルーキーのためか、未だに豊田は自信を持っていない。もっと自分の実力に自信を持っていいと監督は思うのだが、本人が心配性なのでは話にならない。

 だから、監督はこの試合で豊田に自信をつけさせてやろうと思ったのだ。四番打者として実力を発揮することができれば、本人のプラスになるに違いないと、監督は判断した。

 

 

 

 モグラーズとカイザースの二軍の試合は幕を開けた。モグラーズの先発マウンドに登ったのは剣である。対するカイザースのピッチャーは入団二年目の若手投手だそうである。

 一軍監督の北条にいいところを見せる気でいた剣のピッチングは初回から冴え、カイザース打線にヒットこそ許したものの得点を許すことはなかった。一方、モグラーズの野手たちも今日は調子が良く、カイザースの若手投手から次々とヒットを奪っていった。

 試合が終盤に差し掛かる頃には、モグラーズが四点に対し、カイザースは零点という点差の開いた試合模様を見せ、カイザースの二軍監督の当初の予想を裏切る内容となった。

 そしてイニングは九回の表になり……剣はアウトを二つまで奪った。あと一つ、アウトを奪えば試合はモグラーズの勝利で終了する。

 しかし、剣も完投直前のためか、額には玉のような汗が浮かんでいた。北条監督に良い所を見せようとしすぎて、少し飛ばしすぎたかもしれない。

 だが、剣はここで完封を諦めるほど、お人よしではなかった。ましてや、最後のバッターは四番打者。二軍とは言え、気を抜けば痛恨の一発を浴びるハメにならないとも限らない。

 剣は深呼吸して、バッターボックスに立つ男の目を睨み付けることで、気合を入れる。と、彼はふと奇妙な違和感を覚えた。

(ん? 何だ…?)

 バッターボックスに立っている男は、間違いなくカイザースのユニフォームを着ている。なのに、何故だろうか。剣は対峙しているバッターが、まるで自分自身のように思えてきた。

 剣は首を揺さぶって、正気を保とうとした。あんなところに、自分が立っているはずはない! 自分は今、マウンドに立っているのだから……。

 

 

 

 バッターボックスに立つ豊田健一もまた、剣と同じように違和感を感じていた。まるで、ピッチャーマウンドに立っているのが自分自身であるような……。

 刹那、何かが自分の体の脇を通り過ぎていった。続いて球審が「ストライーク!」と高らかに宣言する。豊田は、はっとした。今は、試合中なのだ。余計なことを考えれば、負ける。

 いや、試合はどうせ負ける。ならばせめて……せめて、一矢報いることで、監督にアピールしなければ! 豊田は雑念を振り払い、バットを握る両手に力を込めた。

 マウンド上の剣は、ワインドアップモーションに入り……足を上げる。鞭のようにしなやかで、それでいて鋭く腕を振り下ろす。剣の指先を離れたボールは真っ直ぐに、豊田の胸元に突っ込んでくる。球が手元で伸びるような感覚を覚えた豊田は、スイングするのにワンテンポ遅れてしまう。結果、振り遅れの空振り。これでツーストライク。

(こ……これが、プロの世界、なのか…!?)

 そう、ここはプロの世界。日本で最高の野球選手たちが集う場所なのだ。甲子園大会で優勝を経験したとはいえ、所詮それはアマチュアの世界。アマチュアの頃の経歴が、プロで役に立つかと問われれば……今の豊田には「全然、役に立たない」と答えるより他は無いだろう。

 すっかり、自分を見失ってしまった豊田に……三球目をバットに当てられるはずがなかった。やっとの思いで、豊田はバットを振ったが……結果は完全振り遅れの、空振り三振となった。

 

 

 

 試合が終了し、ベンチに戻ってきた剣は、凡田はしかめっ面をしていたので、剣は「おや?」と思った。

「どうしたの、凡田君?」

「酷いでやんすよ、剣君! 剣君が先発完投しちゃったら、オイラの出番が無いじゃないでやんすかー!」

 剣は、凡田がしかめっ面をしていた理由が理解できた。一軍監督の北条が折角試合を見に来ているのに、マウンドに登れないのでは、自分の実力をアピールできないのだ。そのことを、凡田は怒っているのだろう。

 だが、剣は別に悪びれる様子もなく「ま、次の機会にまた、頑張ってね〜」と笑顔で言った。すると凡田は「次の機会がいつ来るか分からないから、今日が最大のチャンスだったのでやんす!」と更に逆上する。

 仲の良いコンビの言い争いを、遠くから見ていた二軍監督の古沢は、微笑ましい気分になった。今まで、試合で活躍することなんて滅多に無かったあの剣が……珍しく、試合で活躍した。そして最大の進歩は、チームメイトと打ち解けたということだろう。剣はどちらかといえば、今まで人付き合いの苦手な人間だった。それだけならまだしも、人を嫌っていたような時期があったことを思えば……凡田との今の会話は、剣にとってみれば相当の進歩である。

 野球はチームワークに左右されるスポーツなのだから、チーム内のコミュニケーションは非常に重要である。それを剣が理解してくれているところを見ると……古沢は思う。ひょっとして案外……あいつはお荷物選手なんかじゃないのかもしれないと。

 そんなことを古沢が考えていると、古沢の背後から彼の名前を呼ぶ者がいた。古沢が振り返ると、そこには一軍監督の北条がいた。

「おっ、北条じゃないか。二軍の視察に来ていたんだっけな?」

「違う。オレは若手の視察に来ていただけだ。二軍とはいえ、実績の無いベテラン連中に用は無い」

 毒々しいことを言いやがる、と思った古沢は溜息を吐いた。

「で? 誰か、めぼしいヤツは見つかったのか?」

 古沢の問いかけに、北条は目を丸くして答える。

「おいおい? めぼしいヤツを見つけるのが、キミの仕事だろう? 自分の仕事を他人任せにしてどうする?」

 北条の言葉に、古沢は、北条に聞こえないように舌を打った。まったく……癪に障るやつだ。自分の上司じゃなかったら、間違いなく手を上げているだろうな、と古沢は密かに思った。

「……それとも…? 自分の仕事が上手くいっていないのかい? キミの後任を探したほうがいいのかな?」

「冗談じゃない。オレの仕事っぷり、見てなかったのか?」

「ほう? キミがどんな仕事をしたんだい?」

「今日、マウンドに立っていたピッチャー、剣っていうんだ」

「……それで?」

 北条の口調はどこまでも冷めたものであった。古沢は再び、癇癪を起こしそうになる。何で、この男は剣の実力に気付いていないだ! 後任を探した方が良いのは、むしろお前ではないのか? と古沢は思うが、口にはしない。口にすれば、自分の後任を探されるのは目に見えている。

「……結構、良かっただろう…?」

 少しばかり、凄みのある口調で古沢は言ってみた。しかし、北条は堪えた様子もなく「そうか?」と言った。

「そうだろう! 九回を投げて完封だ! 一軍に通用するとは思わないのか?」

「……トシ食ってるな。あと一年もすれば、球団の登録枠から名前が消えていそうなものだ」

「いや、だからこそだ! 最後の華をだな……」

「そういう温情主義は嫌いでね。そんなもので、一軍を戦っていけるとでも思ってるのかい?」

 そう言い残して、北条は去っていった。北条の姿が古沢の視界から完全に消えると、古沢は「くそ!」と毒づきながら、壁を拳で殴りつけた。

 これでは、余りにも剣が可哀相だ。今までアイツは、努力に努力を重ねてきたってのに……それでも一軍に上がれなかった。一時は腐りかけてどうなることかと思ってたが、アイツはまるで人が変わったかのように、再び、努力を重ね始めた。

 そろそろ……アイツが報われたって良いではないか! なのに、何故……北条はアイツの努力を認めないのだ!

 どうしようもない怒りが……古沢の中で渦巻いていた。なるほど……確かに剣が言っていたとおり、世の中は理不尽だ。

(だがな、剣! 努力は絶対に報われる! だから……だから! 二度と腐るんじゃないぞ!? 頼むから、オレを失望させないでくれよ!)

 古沢の熱い眼差しに気付いたのか、剣は古沢に顔を向けると満面の笑みを古沢に向ける。そんな剣の顔を見た古沢は決意した。この男を絶対に……絶対にクビになんか、させやしない!

続く