雑草スターとお荷物ヒーロー
第七話
龍一閃陽介
春キャンプが終了する頃には、剣は新たにスライダーを投げられるようになっていた。これでストレートを軸に、フォークとスライダーを投げ分けるというピッチングスタイルが剣の中で完成しつつあった。
そんな中、昨年からの古沢の熱意が一軍の北条監督に伝わったのか、剣は開幕一軍登録をキャンプ終了時に古沢から教えられる。剣の相棒である凡田は一軍に昇格できなかったので、凡田は「絶対に追いついてやるでやんす!」と剣に啖呵を切っていた。
そして……四月になった。迅雷が昨年から言っていた、“気を抜けば”死ぬという特訓も始まることとなった。一体、何をやらされるのか気になってしょうがない剣は、特訓の前夜、中々寝付けなかった。遠足の前日に興奮して眠れなかった、ということは剣にも経験がある、が……まさか、恐怖と緊張で寝付くことができないということは、今まで剣は経験したことがなかった。よって、剣は……昨夜、ベッドに寝転がりながら「ひょっとして、受験を明日に控えた受験生って、今のオレと同じ気持ちなのか?」と思い、何となく、世の中の受験生達に同情した。剣が小杉だった頃は、進学に纏わる話は全てスポーツ推薦だったので、基本的に受験という物を並の人間ほども経験したことが無かったのである。
そして……特訓当日。昨夜、余り寝ていない剣は……ふとすれば眠ってしまいそうになる頭を強引に覚醒させながら、迅雷の指定した特訓場所へと向っていた。早起きに慣れていないわけではないが、昨夜、寝付けなかったことを考えれば辛い朝だと言えよう。それに……迅雷がどんな特訓を用意しているのか、想像などできない――というか、したくもない――剣とすれば……特訓場所へと向う足取りは、自然と……重くなっていた。
「遅いぞ、剣! 一軍に昇格したと言うのに、たるんでいるぞ!」
そして、特訓場所――すなわち、神社――に到着した剣を待っていたのは、いきなりすぎる迅雷の叱咤だった。
「まったく……! これでは、先が思いやられる……。じゃ、まずはウォーミングアップだ」
ウォーミングアップをしろ、と言われた剣はランニングに向おうとした。迅雷に「分かりました。じゃ、行ってきま……」と言いながら背を向けると、迅雷は「どこへ行く?」と言った。
「どこへ、って……ランニングですけど?」
「そんな時間の掛かるマネはしない。もっと、即効性のあるウォーミングアップをやってやろう」
やってやろう、という言葉に、嫌な予感を覚えた剣は……次の瞬間、自分の予想が的中してしまう。剣の顔の横を何かが掠めていき、その何かは神社に植えてある木に突き刺さるような音が響く。
恐る恐る、剣が木を振り返ると……そこには黒々とした手裏剣が刺さっていた……。
「あ、あの〜、コーチ? い、今のは……一体…?」
「見てのとおり、手裏剣を投げた。ボーッとしてると、刺さるぞ?」
この段階になって、剣は迅雷の意図に気付いた。今から手裏剣を投げるから、それを走り回ってかわせ、ということなのだろう。なるほど……確かに、ランニングなどよりも、早く体は温まるだろう……が、剣は命がいくつあっても足りないような気がした……などと、剣が思っているうちに、迅雷は腕を振る。剣は地面を蹴って、横っ飛びに飛びながら、手裏剣をかわす。迅雷は追い討ちをかけるべく、更に手裏剣を投げ込んでくる。剣はしゃがんで、一発をかわし、そのまま飛び上がる。するともう一つの手裏剣は地面に突き刺さった。
気を抜けば死ぬ、の意味が……剣はやっと分かってきた……。そして、それから三十分近くの時間が流れる。相変わらず、投げられた手裏剣を必死の思いでかわし続ける剣だったが、余りにも時間が長すぎる。体は充分暖まったというのに、迅雷は手裏剣を投げるのを止めようとしなかった。
「じっ……迅雷コーチ! 一体、いつになったらウォーミングアップは終わるんですか!?」
「さぁな。そんなもの、私は知らん」
そう言いつつ、迅雷は腕を振る。足を止めかけた剣は、動きを加速させて手裏剣をかわした。
「し、知らないって…! どういうことですか!? こっちはもう、ヘトヘトなんですよ!?」
「それじゃあ、ダメだ。もっとスタミナをつけてもらう。これからの特訓を行うのに充分な量のスタミナがつくまで、このウォーミングアップは続けるつもりだ」
「はぁ!? この手裏剣特訓は……体を暖めるためにやってるんじゃないんですか!? ……うわっ!?」
剣は地面に転がっていた石につまづいて、派手な音と共に地面を滑る。動きの止まった剣に、迅雷は手裏剣を投げようとはせず、ゆっくりとした足取りで剣に近づいていった。
「何を、腑抜けたことを言っている? 体を暖めるためだけに、こんな特訓をしているとでも思っていたのか?」
「……オレは、思ってました」
剣の返事に、迅雷は溜息を吐きつつ、頭を掻いた。
「やれやれ……。特訓の趣旨を説明しなければならないようだな……」
迅雷はそう言うと、地面に転がっている剣の脇に腰を下ろした。
「いいか? ウィニングショットの修得には、ある程度の筋力が必要になる。そのためには……効果的な筋トレが必要になる」
「効果的な筋トレ? それなら、迅雷コーチじゃなくて……鬼鮫コーチをアテにした方が……」
「バカを言うな!」
剣の言葉を遮るように、迅雷は叫んだ。迅雷の怒声に、剣は思わず「ひっ!?」と素っ頓狂な声を出す。迅雷は剣の目を見据えながら言葉を続ける。
「あの筋トレオタクの特訓では、魅せる筋肉しか鍛えられないだろうが! 私が必要としているのは、実用性のある筋肉と筋力だ」
迅雷コーチの口調から察するに、鬼鮫コーチのことを余程嫌っているらしいことが剣には分かった。昨年、変化球のことをあれほど扱き下ろしていた鬼鮫のことを含めて考えれば……どうやら、この二人は仲が相当、悪いらしい。
「……ともかく! 実用性のある筋力を作るためには、“ある”特訓をしてもらわなければならない。そして、その特訓をするには……とてつもないスタミナが必要になる」
「はぁ…? だからって、何も……こんなムチャクチャなスタミナ特訓をしなくても……」
「勿論、普通にランニングをして、それでスタミナを作ってもらっても構わんが……それでは、絶対的に時間が足りない」
「足りない?」
「ああ。普通にランニングをするよりも……“死ぬか生きるかの瀬戸際”のような特訓の方が、より真剣に取り組めるだろう? その方が、即効性がある分、時間を節約できる」
「……具体的には……どれくらい掛かるんですか?」
「夏が終わる頃ぐらいまでは続けてもらうぞ、最低でも」
どうやらこのデスゲームは……今から半年近く続くらしい……。それを悟った剣は、自分の命が持ちそうもないような気がして、暗澹たる気分になった。
いつものように練習を終えた剣は、久しぶりに町へと繰り出すことにした。凡田を誘おうとしたのだが、今日は新作ガンダーロボの発売日なのだそうで、練習が終わる頃には既に凡田の姿が無かった。よって、剣は一人で町をうろついていた。
特にどこかに行きたいわけでもなく、町をぶらついていた剣は、ふとどこかから「おい、そこのお前!」という声が聞こえたので、思わず振り返る。すると、占い師をしているのだと思われる女性と目が合った。
「え? オレ?」
剣がそう言うと、彼女は「そう、ユニフォームで町を歩いている恥ずかしいお前だ!」と言った。
「何で、ユニフォームを着て、町を歩いているんだ、お前は?」
「まぁ、いろいろと事情が合ってね」
そう言ってみた剣だったが、彼女は「どうせ、練習帰りで、着替えるのが面倒くさかっただけだろう?」と切り返す。それが図星だった剣は、返す言葉を見失った。
「……何で分かるの?」
「バカを言え! お前みたいな男は、見ただけで大抵のことは分かる」
随分と口の悪い占い師だな、と剣は思いつつも、テーブルに置いてある水晶玉に目が行った剣は「へぇ? これが水晶玉?」と言いながら、それを触ろうとして手を伸ばした……途端、彼女に手を叩かれた。
「あ痛っ!」
「汚い手で触るな、バカモノ! 大切な商売道具なんだからな!」
「あ、そうなの? そりゃ、ゴメン」
「……ところで、お前? 何か悩み事でもあるのか? 浮かない顔をしているぞ」
「え?」
実際、剣には悩みがある。今まで、小杉に体を奪われたことが悔しくて、小杉を見返すために必死で練習してきたが……小杉を見返した後、自分はどうすればいいのだろう? 自分は小杉に戻ることができるのだろうか? そもそも、小杉に戻るための方法が、まったく分からない剣とすれば……「打倒小杉」という目標を達成した後、自分は何をすれば良いのか分からず、悩んでいたのであった。よって、剣は彼女に自分の悩みを打ち明けた……が。
「……寝言は寝て言え」
その言葉を聞いた瞬間、剣は(やっぱり、信じてくれないか)と思って溜息を吐いた。そもそも、事の始まりが余りにも現実離れしている、と言うより最早、現実離れを通り越して、漫画の一種ではないかと思った方が話が早いくらいである。こんな話を信じろ、と言うほうが無理な話なので、剣は既に、自分の悩みを誰かに信じてもらうということを諦めかけていた。
「だが……あんまり、悩み過ぎなくても良いと思うぞ。成果は必ず出ると、占いで出ているからな。まぁ、頑張れよ」
「……そう言ってくれると、助かるよ」
「当たり前だ。アドバイス無くして、占い師が務まるか」
そしてチクリとイヤミを言うのを忘れないあたり……この女は相当、口が悪いようである。一体、どこでどんな育ち方をしたのやら、と思った剣は、ふと……彼女の名前を聞いていないことに気付く。
「ところで……アンタ、誰?」
「いきなり名前を聞くとは、新手のナンパか?」
怪訝な視線と共に、彼女はそう言った。そんな彼女を見ていると……剣は何故か、溜息を吐きたくなった。
その後……彼女の名前が埼川珠子だということを知ったのは……剣が珠子と出会ってから一時間も経ってからであった。剣が彼女の名前を知る頃には……剣は精神的な疲れがドッと押し寄せてきていた……。
「オイ、剣」
練習中、剣は北条監督に名前を呼ばれた。剣が「何です?」と言いながら振り返ると、北条は「ちょっと、こっちに来い」と言って剣を手招きしていた。言われるがまま、剣は北条の元へと近づいた。
「何ですか、監督?」
「突然で悪いが、今日の試合。先発で投げてくれ」
「……えっ? 先発で!?」
「そうだ」
淡々と事実を述べるような北条の口ぶりに、剣は戸惑いを隠すことができなかった。彼は今まで、一軍のマウンドを踏んだことが一度も無かったのだ。それを中継として試合に出るのを通り越して……いきなり先発マウンドを踏めと言われることになろうとは……。
剣が言葉を返さずにいると、北条は「……嫌なら別に良いんだよ」と冷ややかな視線を剣に送りつける。せっかくのチャンスを無駄にするわけにはいかない剣は、慌てて「いえ、投げます! 投げさせてください!」と言った。
交流戦の期間中なので、セリーグの球団はパリーグの球団と戦うことになる。モグラーズは今夜、ホームグラウンドに楽天イーグルスを招いての試合となる。予告では、モグラーズの先発が剣で、イーグルスの先発は下井となっていた。
今から二年前、帝王大学から下井はドラフト六位でイーグルスに入団した。豊富なスタミナを持ち味とするピッチャーで、試合終盤になっても衰えの見えないピッチングが彼の売りであった。今ではすっかり、一軍に定着しており、イーグルスの先発ローテの一角を担うピッチャーに成長している。数年後のイーグルスのエース候補とまで称されるほどのピッチャーを相手に投げあうのは、今日が一軍初登板の剣である。考えてみれば……この勝負、試合が始まる前から……既に決まっているようなものであった。
試合は定刻どおりに始まった。暮れかかった夕日に染まったスタジアムのマウンドに、剣は立っていた。二年前、彼がまだ小杉だった頃は……一軍が当たり前だった。よって、剣は……一軍の世界に慣れているはずである。それなのに剣は今、一軍の試合に出場していることに……猛烈な喜びを感じていた。
そう……自分はやっと、一軍に戻ってきたのだ。何もかも奪われた挙句、球界でも最高峰のお荷物選手という境遇をいきなり与えられた時は……絶望した。しかし……剣はついにここまでやってきたのだ。今まで死に物狂いで、一軍を目指してきた。そして今……結果が実り、自分は一軍のマウンドに立っている。
(いや、少し……違うかな?)
少なくとも、まだ一軍で結果を残したわけではないのだ。それでは“結果が実った”とは言えないだろう。剣は一度目を瞑り、意識を集中させる。次に彼が目を開いた時……彼の目は、戦う男の目になっていた。
(過去を思い返し、感慨に耽るには……余りにも早すぎる。今はまだまだ……死に物狂いの最中だよな)
剣、左打席に立っているイーグルスの一番バッターを睨むと、グラブの中のボールを握る。そして大きく振りかぶる。
(過去を思い出し、それが良い思い出だったと言うのは……全てが終わってからにすることにしよう)
左足を上げて、腕を胸の前に持ってくる。
(今は……)
地面を蹴り、体重を前に押し出す。
(今は……ただ、全力で……燃え尽きるのみ!)
体重を乗せた腕を、一気に振り切ると……剣の右手から放たれた白球は、一直線にキャッチャーミットに吸い込まれていった――
続く