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 十二月二十五日。世間はクリスマス一色だった。街にイルミネーションが点り、その中を幸せそうな顔をした人々が行き交う。子供たちはプレゼントを待ち望み、静かに眠りについた。
 そんなこの日に、無表情な男が一人。彼は少し考え込むような仕草をしたが、すぐにポツリと呟いた。

「サンタクロースが死んでしまいました」








 

真っ白なお髭のサンタクロース

木沢












「今日は黒野博士に頼まれて、皆のケーキを買うことにしました」
「街へ行く為に私が道を歩いていると、大きな袋を担いだサンタクロースが前にいました」
「そのまま後をつけていると、突然サンタはばたりと倒れて動かなくなってしまいました」
 頭を抑えつつ、男は状況を整理していた。
「――現状把握終了」
「何、ごちゃごちゃ言ってんだよ!」
 サンタクロースがむくりと起き上がった。転んだ時にぶった顔と、腰を痛そうにさすっている。考察が無駄になったが、男は少しも慌てる様子もなく喋った。
「おや、サンタクロースが生き返りました」
「勝手に人を殺すんじゃないよ全く」
 サンタクロースはぶつぶつ文句を垂れつつも、袋から出た荷物を拾い始めた。倒れた時に、担いでた袋も放してしまったからだ。
「手伝いましょうか?」
 相変わらず、無機質に問いかける。その様子が気に入らないと見えたか、サンタは眉をしかめた。声も自然と鋭くなる。
「ああ、別にいいよ。どこへでもお行き」
「そうですか、ありがとうございます」
 球四郎は礼を言うと、躊躇いもなく振り向き、立ち去ろうとする。
「や。ちょ、ちょっと待ちな!」
「何でしょうか」
 サンタは辺り一面に散らばった荷物を一瞥すると、軽く顔をしかめた。
「……やっぱり、ちょっと手伝いな」
「そうでしたか、分かりました」
 それから男は、サンタと談話しながら作業を始めた。
「ところで、サンタさん」
「何さ」
「私はサンタクロースとはおじいさんだとばかり思っていましたよ」
 そこで、はじめてサンタは笑った。そのひょうきんな質問に警戒心も幾分解けたような様子だった。
「そう考えるのが普通だよ」
「でも今、目の前にいるのはおばあさんです」
「まぁ、この顔はじいさんには見えないねぇ」
「だから今日から私の中ではサンタはおばあさんです。そう認識しました」
 その言葉と同時に電子音が聞こえたこともあって、サンタは思わず噴出してしまった。
「どうしました」
「アンタ、変わってるね」
「どういたしまして」
「……褒めたわけではないさ」
 そこまで話し終わると、荷物は全て袋の中へ戻っていた。
「ありがとね。おかげで助かったよ」
「どういたしまして」
「……ところで、アンタの名前聞いてなかったね」
「私ですか? 私は黒野 球四郎と名づけられています」
「名づけられている……本当に変わってるわ」
「どういたしまして」
 サンタは苦笑すると、球四郎に向かって手を差し出した。
「アタシはよろず屋のウメだよ。よかったらお礼も兼ねて家へ来るかい?」












 ウメが開いているよろず屋は町から大分離れていた。外見はとても質素なものだ。しかし、この店には珍しいお宝が存在すると言う噂がある。だからマニア――例えば、球四郎と同じ高校に通っていた山田のような人種が、生唾を飲むような場所なのだ。
 店の前には犬がいた。だが、番犬と言うにはあまりに小さく可愛らしい。そもそも、それは呑気によだれを垂らしているから見張りにすらならない。
 球四郎は二階へと案内された。一階は荷物だらけで座ることすらできないからだ。とはいえ、二階のほうにもそれらはあった。ウメは申し訳なさそうな顔をする。
「ちょっと狭いけど、我慢しなね。今、お茶入れてくるから」
「はい、分かりました」
 ふすまの閉じる音の後には部屋は静寂に包まれた。窓から冬将軍の暴れる音が聞こえるだけだ。球四郎は手持ち無沙汰に、辺りを見渡した。ドリンク剤が箱ごと丁寧に積みあがっており、野球道具や機材が無造作に置かれている。そんな居間に、ポツンと場違いなように置かれた一枚の紙切れがあった。
「何でしょうか、これは」
 そこには「日の出島――」から続いている住所が羅列されていた。そして、記憶をたどるとそこには共通点があった。
「子供のいる家庭ですか」
 それに気づくと、ウメが何故あの格好をしたのかという理由も付く。
「見られたか」
 そこまで考えていたところで、ウメがコーヒーとショートケーキが乗ったお盆を持って、こちらへとやって来ていた。
「この住所のところにプレゼントを渡すのですか」
 球四郎がそう聞くと、ウメは照れくさそうに頬をかく。
「そのつもりだけどねぇ」
 ウメはわざとらしそうにコキコキと骨を鳴らす。
「流石にアタシも年だからね。少しキツイのよ」
「そう……ですか」
 いつもは流暢に喋る球四郎の言葉にも少し濁りがある。彼はそれを紛らわすかのようにコーヒーを啜った。
「これは毎年やっていてね。クリスマス前に親からプレゼントの依頼が来る。で、それをアタシが調達してクリスマスの日にドアの前に置くのさ」
「何故、わざわざそんなことを? もしかしてペドなんですか?」
 ウメはケーキが喉に詰まったらしく、咳き込みながらそこを叩き、コーヒーをがぶ飲みしてようやく一息ついた。
「とんでもないこというね」
「どういたしまして」
「……アンタ、サンタクロースは、どこからくるかは知ってるよね?」
「一般的には煙突からですね」
「そう。つまり、サンタは外から来るというイメージがある。だから、子供達は窓から外を眺める」
 球四郎は窓を覗き込んだ。よろず屋の入り口が見えている。そうしていると、ようやく彼にも合点がいった。
「なるほど、そのまま頑張って起きてしまう子供もいると」
「そのとおり。親としては早く寝て欲しいけど、子供は『サンタクロースを見るまで寝ない』と言い出してしまう。だから、そのためにアタシが」
 言葉を切って、顎でサンタクロースの衣装を示す。
「アレを着て玄関まで出向くって訳さ。そうすれば、子供達はサンタクロースを信じてくれる」
「素晴らしいですね」
「……子供は純粋なものさ。だから、裏切られた時の反動も大人以上。それなのに、世の中はこんなクリスマスにまで嘘がある」
 またそこで止まり、目線を別に逸らす。それは意図的ではなく、自然にしてしまったようにも見えた。
「だから、大人たちは時にやさしい嘘を吐かなきゃいけないのさ」
 球四郎の耳にはその声が僅かに震えたように感じた。さてととウメは立ち上がる。
「そろそろ、アタシは行くとするよ。たいしたもてなしもできなくて悪かったね」
「いいえ、ありがとうございました」
 球四郎は空になったカップを置いた。
「せっかく戻ってきたし、ちょっとプレゼントの確認でもしてこようかね」
 ウメは隣の部屋へと行ってしまった。球四郎は先ほどウメが一瞬だけ見ていた方向を調べた。
「写真?」
 そこには一枚の写真が画鋲で留めてあった。それは三つ編みの少女と白髭を生やした男が、新築したばかりのよろず屋の前で看板を抱きかかえた時に撮られた物だった。
 写真の中で、少女は満面の笑みを浮かべていた。男の方は分からない。なぜなら、その顔は白い髭以外、ペンか何かで塗りつぶされていたからだ。















 球四郎は走った。高校生に野球で培った足を生かして。ウメに渡したいものがあると説得し、待ってもらっているのだ。一刻の猶予も許せないとばかりに腕を振り上げる。島のはずれの研究所へと着いた。培養液に浸った自分のクローンを横目に彼はまだ走る。
「博士」
 ドアを乱暴に開き、この研究所の主、黒野博士に詰め寄った。
「ど、どうしたのじゃ球四郎。それに頼んだケ、ケーキは一体……」
 いつもの球四郎の様子と違い、しどろもどろに博士は答えた。
「そんなことより」
 球四郎は息を切らしながらもはっきりと喋った。
「今すぐ、私の兄弟達に、サンタクロースの、格好をさせて、動かしてください。ついでに博士も」
 その突然の提案には博士も驚いた。
「え? それはどういう」
「いいから、早く」
 尚も詰め寄る球四郎。博士はその様子にビビリつつも、努めて冷静に振舞う。
「いいか、球四郎。クローンを命令どおり、大量に動かすのは大変なんじゃ」
 お金も掛かるしの、とぼそりと呟いた。
「そもそも、サンタの衣装をするなどが具の骨頂――」
 博士、とまたもや話をさえぎった。
「博士には、人としての情がないのですか? それだから、クリスマスにも研究しかすることがないのですよ」
 無機質な声は時として鋭い刃にもなりうる。博士は心の中で舌打ちをした。もっと言語の辺りを弄るべきだったと後悔した。
「そもそも博士は」
「まてまて、分かった。分かったから落ち着いてくれ」
 これ以上言い争ったら何を言われるか分からない。そう思った博士は両手を上に挙げた。
「降参。降参じゃよ。今からお前の言ったとおりにする。ちょっと待っててくれ」
 博士の走る姿に、球四郎はどこで聞いたか『あわてんぼうのサンタクロース』が思い浮かんだ。














「アタシの目も、とうとう乱視になったか」
 ウメはそう言って苦笑する。なぜなら、さっき言い包められて待つはめになった男が、サンタの格好で大量にこっちへ向かってきたからだ。
 だが、何度目を凝らしてもこすっても、その状況は変わることがなかった。
「そろそろ、お迎えも近いのかね。アタシは仏教だけど、今日来るのならやっぱり天使かな」
 冗談にならない冗談を呟いていると、集団はもう目の前に来ていた。そのうちの一人が声を掛けてくる。
「ウメさん」
 やはり現状は変わらなかったが、その親しみの有る声は本物なのだと確信した。
「球四郎かい? これは一体どういうことなのかね」
 球四郎は、ほんの少しだけ口を吊り上げて微笑みながら、答えた。
「私の兄弟たちです。年齢は一緒ですが」
 呆気に取られたまま、彼らを眺めるウメ。混乱した頭から出てきた返事をする。
「……あんたの両親は随分と絶倫なんだねぇ」
「はぁ」
 球四郎は困惑した様子で首を傾ける。その様子に、なんでもない、と弁明するウメの頬が赤くなった。
「とにかく、私が彼らを呼んだのは、ウメさんのクリスマスをお手伝いする為です。これだけの人数が要れば、楽になるでしょう」
 ウメはもう一度驚き、彼らを見渡した。だがその時には、ふいに目頭が熱くなるのを感じた。
「……そうだねぇ。正直、一人じゃあ無理かなと思ってたところさ。やってくれるというなら、お願いしようかね」
 その言葉に、ほんの一瞬だけだが、球四郎は笑顔をみせた。それはクリスマスに似合う、輝いたものだった。
「じゃあ、早速ウメさんの荷物を分けましょう」
 球四郎のその言葉に従い、クローンたちは自分の持つ袋に荷物を詰めていった。
「なんだか、アンタの兄弟は物も言わずテキパキこなすね」
「……シャイなんです、彼らは」
 ウメは老獪な笑みを浮かべる。
「アンタ、嘘ついてるね」
 球四郎は頭を掻きながら答えた。
「やさしい嘘も必要です」













 プレゼントも配り終わり、ウメと球四郎は揃って帰路へと向かった。彼らはしばし、言葉を交わさずに空を見上げている。いつの間にか雪が降っていたからだ。
「すまないねぇ。わざわざ、一緒に手伝ってもらっちゃって」
「いいえ、当然のことです。この寒さに一人で行かせるなんてことはできません」
「ハハ、気を使わせてもらったんだね」
 そこで足を止めて、ウメの方へと向き直る。
「それより、ウメさんに聞きたいことが」
「ん? 何かね」
「実は――」
 そこで、会話が止まった。球四郎は次に放つ言葉を思案する。いつもは機械的に出てくるのに、今は口に出すことができない。
「――実は、居間に飾ってあった写真を見ました」
 球四郎はしばらく反応を待った。ウメは勝手に見たことを怒ったわけでも、焦った様子もなく、ただ、寂しく笑った。
「そうかい」
 雪の降る音すら聞こえそうな静寂が続いた。やがて、ウメは球四郎に尋ねる。
「あの写真の男。アンタは誰だかわかるかい?」
「ウメさんの前の、よろず屋の店主だと思いました」
 看板を掲げていた以上、球四郎にはそうとしか考えられなかった。案の定、ウメは感心した面持ちで頷いた。
「アンタの直感も本当にたいしたもんだね。そのとおりだよ。でも、もうその人はこの島にはいないし、アンタには関係ないことさ。そんなことより――」
「何故ですか?」
 会話を遮って問いかける。ウメはどうしたんだいと首を傾げているが、強張った顔はその問いの内容を察知していたのだろう。
「何故、その人の顔を黒く塗り潰したんですか?」
「……あの男、白い髭を生やしていただろ?」
 球四郎の質問には答えず、物悲しい微笑を浮かべたままウメは言った。その言葉に球四郎は不服そうにしながらも頷いた。
「だから、あの男がよろず屋を開く前、クリスマスに今のアタシやアンタみたいに、よくサンタクロースの格好をして、プレゼントを配ってたんだよ」
「……」
「アタシもね、よくプレゼントをもらったよ。そんなたいしたものじゃないけど、クリスマスに何かもらえると言うだけでなんだかうれしくてね。それに、あの男も誰かに何かを渡すのが好きな人なの。そうしていく内に、自分の店を持ちたいと言うことでよろず屋を開いて、そこで当時仲の良かったアタシと記念にパチリ」
 ウメは両手でカメラを作って撮影する仕草をしながら、早口でまくし立てた。球四郎には、それが店主の思い出に対する拒絶反応のようにも見えた。
「……その人、どうなったんですか?」
 その問いに答えるかのように、球四郎たちは一つの場所を通ろうとしていた。そこはちんぼつ船の成れの果て。海流の関係でここまで運び込まれてきた船たちの墓場だった。ウメはその方向に指差す。
「あそこと一緒に海の藻屑さ」
 笑顔でそう言った。――だからこそ、その声の震えとのちぐはぐ感が物悲しい。
「今日と同じ、クリスマスの日だったよ。あの人は本土の方にもプレゼントを渡したいと言ってね。わざわざ施設まで出向いて、頼み込んだらしいよ」
 海を一点に見据えながら、ウメは喋り続ける。
「だけど、その日は生憎の荒れ模様でね。船は出せないほどじゃあなかったんだけどね、アタシはなんだか胸騒ぎがしたんだよ。だから、あの男にやめてってね。絶対行かないでねって言ったのさ。――分かったって答えてくれたんだよ、その時は」
「嘘ついたんですか」
「……嘘じゃない。あの男は正直者だからね。だけどね、裏切ったのさ。最後の最後でアタシの約束よりも、自分の夢を優先してあたしに黙って乗船してそのまま――」
 それっきりウメは口をつぐんでしまった。この沈黙はあまりに重すぎた。――博士が作れば自分の兄弟なんていくらでもできる。そんな自分に励ませる言葉なんて無意味だと考え、球四郎はそれきり何も言えなかった。そしてそのまま、よろず屋に着いてしまった。
「変な話をして悪かったね」
「いいえ」
「それじゃあ……。今日は本当にありがとうね」
 ウメは店へと入っていった。球四郎はしばらく立ち往生していたが、やがて決意したように強く頷く。
「やるしかありませんね」












「ウメさん」
 ウメがストーブに当たってた時に、後ろから声が聞こえた。誰かはすぐに分かった。
「どうしたんだい。球四郎」
「まだ、ウメさんにはクリスマスプレゼントをお渡ししていなかったので」
「そんなもの別にいいよ」
 ウメは最初に会った時のような尖った声になる。しかし、相変わらず球四郎は動じることなく喋る。
「いいえ、気にしないでください」
「……本当に、アンタはマイペースだよね。しょうがない。どんなプレゼントか見せてごらんよ」
 ウメは観念し、球四郎の方を向き直った。球四郎は片手で誰かを呼ぶような仕草をした。
「どうぞ」
 その声と同時にきしんだ音と共にドアが開く。――そこには白髭のサンタクロースがいた。年月を刻んだしわが緩んでにこやかに笑っている。呆気に駆られたウメを尻目に球四郎は言う。
「ウメさんの探し人です。面影があるでしょう?」
「どうも……ウメさん」
 サンタのその言葉に、ウメは思わず噴出してしまった。あまりにそれは滑稽なものだったからだ。
「球四郎、アタシが子供の頃の中年が、例え事故に遭わなかったとしても生きているわけないじゃないか」
 ウメはワザとやっていると思ったが、球四郎はしまったと思わず呟き、サンタは赤面した様子を見て、本気でやってたと分かり、もっと可笑しくなった。
「サンタさん。鼻の先まで真っ赤になるんじゃないよ。それじゃあトナカイじゃないか。あと、もしあんたがあの男なら私のあだ名くらい知ってるよね」
 ウメのその言葉に、尚更顔を赤くするサンタ。球四郎に助けを求めるように視線を泳がすが、既にフリーズしていた。
「なんというか。あんたたち、馬鹿だね」
 サンタクロースの顔がもう見ていられる状態じゃ無くなっていたので、ウメはそこでくすくすと笑い、両手でサンタの顔を上げる。
「けど、ありがとうね」
 ウメは優しい声色で言うと、サンタの唇に接吻した。
「アタシのあだ名はウメりんだよ? 何なら今からそう呼んでみるかい?」
 その時、丁度十二時。サンタクロースはゼンマイ仕掛けの車のようなダッシュで逃げていった。
「……あの人はどこへ行っちゃんたんだい?」
 そこで、ようやくフリーズの解けたらしい球四郎は取って付けた様な口調で言う。
「サンタさんは、クリスマスにしか会えないんですよ」
「そうだったねぇ」
 ウメは苦笑しながら、どっこいしょと立ち上がった。
「今日は本当にありがとう。お礼にいい物をあげるよ」
 ウメは野球機材の中からバットを取り出した。年季が入っているので、見掛けは悪いが、このプレゼントこそ相応しいと思ったのだ。
「特注品だよ。あの人が日の出の野球部……つまりアンタのOBというわけだけど、その人たちのために用意したものさ。高い高いと嘆いてたもんさ」
「いいんですか? 大事なものでしょう」
 ウメは今まででおそらく、一番の笑顔を見せて言う。
「いいんだよ。アタシはアンタにこれをもらって欲しいんだよ」
「……ありがとうございます」
「また来年になったら、一緒にプレゼントでも配りに行かないかい?」
 あの人が迎えに来なかったらね、とウメはまた笑う。球四郎は俯いたまま黙り込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げて微笑みを返した。
「はい。では、その日まで」












 球四郎が帰った後、ウメは一人で二階に上がった。迷わず写真のところへ向かい、画鋲を抜いた。
「もう、インクは落ちないかな」
 男の顔を写真の上から優しく触る。油性で書いたのは失敗だった。どうやっても落ちそうにはない。それでも、気にすることなくウメはそれを撫で続ける。
 そうしていくと、やがて思い出してくる。髭に不釣合いな痩せ顔、サンタと呼ぶに相応しい野太い声。両親が漁師だったと言いながら見せたかさついた手。ふぅとウメは息をついた。
「これは、もう必要ないねぇ」
 ウメは写真を戸棚の置くに仕舞い、鍵をかけた。捨てるつもりはない――ただ、ここを開けることはもうないな、とも思った。そして、やる事の済んだウメはあの言葉を口にする。
「メリークリスマス」
 忌まわしかったこの言葉。だけど今日だけは、笑って言うことができた。













 クリスマスの終わりを告げるように、雪は止んでいた。溶け残った雪が描く白い道を、サンタの格好をした黒野博士と球四郎が歩いている。黒野博士は変装を解いてしまったようだ。
「……のぅ、球四郎」
「なんでしょうか、博士」
 白い付け髭を撫でながら、照れくさそうに博士は喋る。
「研究一筋で今まで生きてきたワシなんじゃがその」
「勃ったんですか?」
「馬鹿もん! ……全く今日は何でいちいちそんなことばかり言うのか」
「クリスマスですから」
「本当にお前は訳が分からないわい。一体どう育てたらこうなるのか」
 球四郎の手には、ウメからもらったバットがある。握り心地は良く手に馴染む。博士は歩きながらまだ独り言を呟いている。球四郎はその場で立ち止まり、バットを構えてスイングする。
 バットの風を切る音が聞こえる。もっと強く。もっと速く。手がかじかもうが、フォームが乱れようが気にせず振り続ける。博士がようやく気づき、不審そうに目を向ける。そこで球四郎はバットを下ろした。バットを支え棒にして息を荒げる。
「大丈夫か、球四郎」
 心配そうに聞く博士に、球四郎は顔を隠しながら答える。
「……大丈夫ですよ、私は」
 なぜなら、球四郎の目元には一粒の初雪が降っていたからだ。








 了