雪白家の広い居間、大きなソファに腰掛けながら、冬子は昼下がりのティータイムを満喫していた。
カップを顔に近づけ、香りを楽しむように胸に満たしてゆく。冬子は満足気に目を細めると、体の芯まで熱くなるような紅茶を僅かに口に含み、舌で転がした。透き通った琥珀色の液体が白い喉を鳴らす。そしてカップを静かにソーサーに置くと、何故か冬子の口から悩ましげな吐息が一つ漏れた。
憂いを帯びた視線が、窓の外に向く。灰色の空から零れた白い結晶が、うっすらと地面を覆っていた。
今日は十二月二十四日、クリスマスイヴ。天気予報ではこの雪は明日まで続くとされており、予報通りならば明日はホワイトクリスマスになる。恋人同士にとってはこれ以上無いほどロマンチックなシチュエーションになるというのに、冬子はどこか忌々しげに外の風景を眺めていた。
「お嬢様、不機嫌そうだな」
「そのようですな……」
その様子を、物陰に隠れながら遠巻きに眺める影が二つ。執事の牧村と、料理長の城田である。
「何か、お気に召さないことでもあったのでしょうかな」
「城田。まさかとは思うが、お前の紅茶が原因では無いだろうな」
「な! そんなことは断じてありえませんぞ、牧村! この城田が細心の注意を払って淹れた紅茶、ワタシのアレを隠し味に加え、その味わいはまさに完璧ですぞ」
城田が自信たっぷりに何度も頷く。一体何を入れたのかとても気になる台詞だったが、きっと秘伝のソースか何かだろうと牧村は自己完結する事にした。
「だが、それなら尚更分からない。明日は聖夜だというのに、どうしてお嬢様はあんな顔をなさっているのだ」
「まさか……八雲君と、何かあったのではないですかな」
「八雲様と――?」
ピクリと牧村の眉が動く。確かに聖夜前日の悩み事となれば、恋人関連を疑うのが最も有力だろう。城田の推理(根拠無し)が続く。
「冬子お嬢様は本当はとても寂しがり。本当はイヴも八雲君と一緒に過ごしたかったのに、彼が一方的に断ったのかもしれませんな」
「な、なんと――して、その理由は!」
「ふむ。ワタシの料理人としての勘は、ズバリ、他の女性だと告げていますな!」
城田が力強く言い切る。牧村はショックを受けたかのようによろよろと後ずさると、壁に背を預け声を震わせた。
「なんということだ……つまり、八雲様はお嬢様という人がおられるのに、浮気をしているのか」
「そういうことになりますな。お嬢様はとても寛大なお方、その事実を知っていても海のように広い心が彼を許してしまうのですな」
「おお、なんと慈悲深い――」
感極まった牧村が両眼から溢れる涙をハンケチで拭う。同じように城田も細い目の端から涙の筋を流すと、ぐっと拳を強く握った。老体とは思えぬ上腕二頭筋が隆起し、ぴくぴくと不気味に痙攣する。
「しかし、許せないのは八雲君ですな」
「その通り。冬子お嬢様という十年、いや百年、むしろ空前絶後の素晴らしい女性がいらっしゃるのに、浮気とは!」
「よっぽど肉切り包丁の錆になりたいようですな。久々に腕が鳴りますぞ」
どこからとも無く取り出した分厚い包丁を照明にかざし、城田が怪しく唇を歪ませる。
「待っていて下され、お嬢様。この城田、お嬢様に変わって浮気をする不埒者に血の制裁を下して参りますぞ」
「――城田。あなたが何を言ってるのかさっぱり分からないわ」
背後で、冷たい声が聞こえた。ぎぎぎと音がしそうな動きで、城田の首が回る。
「おおお、お嬢様!? いつの間にっ」
「そうね。『八雲君と、何かあったのでは』の当たりから聞いてたわ。まったく、二人して騒がしいと思ったら……勝手な想像ばかりして」
冬子は呆れたように肩をすくめる。
「で、では、もしかしてご気分が優れないのですかな? 牧村、救急車を、救急車を呼ぶのですぞ!」
「ちょ、ちょっと! 何を勘違いしてるの城田。わたしは何とも無いわよ」
「ですが――」
なおも不安げに顔を曇らせたままの城田と牧村。冬子は言うか言うまいかと口元に人差し指を当て思惟を巡らすと、僅かに頬を染め恥ずかしそうに俯いた。
「本当に……なんでもないのよ。ただ、明日のプレゼントの事を考えていたの」
「プレゼントと言いますと、クリスマスのもので?」
「ええ……この様子だと、明日はホワイトクリスマスでしょう? 何か、特別な物をプレゼントしようと思っていたのだけれど、何も思いつかないのよ」
雪の降り止まぬ窓の外を見やりながら、冬子は溜息を漏らす。
「ふむふむ。それならば、ワタシが腕を揮って特別な料理を作りますぞ」
腕まくりをし意気込む城田、だが冬子は残念そうに目を瞑った。
「もちろん、城田の料理は楽しみにしてるわ。でも、それだけじゃダメなのよ。わたし自身から贈れるような物がいいんだけど……」
「そ、そんな――」
思案に耽る冬子の横で、城田は両膝を地面に付きがくりと項垂れた。牧村がその前に回り屈みこむ。
「しっかりしろ、どうしたんだ城田っ」
「お嬢様の力になれないコックなど、存在する意味が無いのですぞ……ならばいっそ、この身など」
「馬鹿な事を言うな。お前がいなくなったら、誰がお嬢様のお菓子を作るのだ!」
「牧村――」
「それにお前は明日の料理という大役を預かっているではないか。傷は浅い、しっかりするんだ」
城田は涙を袖でゴシゴシと拭うと、さながら栄養ドリンクのCMのように牧村とがっしりと握手を交わした。
冬子は何をしているのかとても訊ねたかったが、妙なオーラを感じたので敢えて何も干渉しないことにした。
「ところで、二人は何かいい案はないかしら?」
「そうですな。一つ思ったのですが、お嬢様が差し上げる物ならば、八雲様はどんな物でもお喜びになるのでは?」
「そうかもしれないわね。でも、だからこそ特別な物を贈りたいのよ」
悔しそうに首を振る。何か妙案が浮かぶ事も無く、それきり三人は黙り込んでしまった。
「――ふふふ、何やら楽しそうな話をしているじゃないか? マイスウィートシスターよ」
「きゃっ! だ、だれっ」
唐突に背後から肩にかけられた手を掴むと、冬子はその主を四方投げで華麗に投げ倒した。どしんと大きな音を立てながら、(いきなりキャラ崩壊しかけている)実の兄が地べたに大の字になる。目を白黒させながら、冬子は晴継を見下ろした。
「お、お兄様?」
「いい、ファイトだ……これなら神宮も夢じゃないな」
受身を取らなかった兄が頭を強く打ってどうかしてしまったのでは無いかと案じる冬子を余所に、晴継は何事も無かったかのように起き上がった。
「それより、何やら面白そうな話をしていたじゃないか。クリスマスプレゼントだったかな」
「ええ、その通りですわ。そうだ、お兄様は何か思いつかないかしら?」
「ん? そうだな、特別な物か――」
晴継は腕組みをすると、真剣味を帯びた表情で考え込む。滅多に見ないその様子に、冬子は少しだけ兄を見直した。
「よし、いい案を一つ思いついたぞ」
固く目を閉じ熟考していた晴継が、パチリと指を鳴らす。城田と牧村からおお、と小さく歓声が上がった。
「本当に?」
嬉しそうに目を輝かせる冬子、どうせならずっと見つめててくれと晴継はじっと視線を合わせていたが、段々と不審なものへと変化していったので諦めて話を始めた。
「ああ。とてもクリスマスらしい、いい案だ――まず、冬子はサンタの衣装を着る」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいですわね……それで?」
「『プレゼントはわたしです……(はぁと)』と言いながら、服を脱ぎつつオレに迫――ぐおおおおおっ」
最後まで言葉を言う前に、晴継は自身が冬子に渡したスタンガンによって強制的に黙らせられた。
「どどどどど、どうして相手がお兄様なんですか! それ以前に、どうしてそんな考えが浮かんでくるのかしらっ」
「な、なん、だと……プレゼントの相手は、オレじゃ、ない、のか……」
気絶寸前の晴継が、最後の気力を振り絞り訊ねる。どこから聞けばそういう考えに辿り着くのかは甚だ疑問である。
「全然違います。わたしたちは、陽さんへのプレゼントを考えていたのよ」
「陽――晴継と、字の雰囲気が、似てるな……」
あんまり似てません。
「でも――妙案かもしれないわ」
顔を耳まで真っ赤にしながら、冬子が呟く。晴継の表情、急に悲愴な物になった。
「そ、それだけは止めるんだ、冬子……」
「どっ、どうして? もともと、お兄様が言い出した事よ」
「それは――」
オレにして欲しいからさ、と言いたくなるところをグッと耐え、晴継は考えを巡らした。そして、代わりに思いついた言葉を息も絶え絶えに吐き出す。
「――ぶっちゃけ、色仕掛けをするには冬子は体のボリュームが」
「覚悟はよろしいかしら、お兄様」
咄嗟に思いついた言葉はロクなものにならないらしかった。冬子の片手に持たれたスタンガンがバチバチと派手な音を鳴らす。目だけが笑っていない微笑みを脳裏に焼き付けながら、晴継の意識は残らず刈り取られた。
翌日。八雲陽の部屋に、控えめなノックの音が響く。
「はいはい、どうぞ――って、冬子さん!? どうしたの、その衣装!」
「あ、あんまり大きな声を出さないで。恥ずかしいんだから……」
「あー、いや、その……似合ってるよ、冬子さん」
「陽さん……(はぁと)」
そして、その様子を床の下からじっと見つめる三つの影。
「うぅ、お嬢様も大きくなられましたな……城田は感激ですぞ」
「城田、みっともないから泣くな。私だって――ぐすっ」
「八雲陽――勘違いするなよ。勝負は、これからだ」
雪白家のクリスマスは、こうしてつつがなく(?)過ぎていった。
終わる