遠前町の夏。ここが日本のどの辺りに位置しているのかは知らないが、とりあえず北の方じゃないということはよく分かった。暑すぎる。太陽にギブアップしたい気分だった。まあ、認めてくれないだろうが。
 夏も盛りだというのに、俺は未だに川原で生活していた。夏の日向のテントは酷い。サウナという域を凌駕していた。言い表すならまさに地獄だろう。ちなみに、あの周辺に木陰は無いので、山場にテントを移そうと思ったが、かったるいのでやめた。やぶ蚊とか多そうだし。
 この暑さの所為か、最近は誰もテントを尋ねてこない。少し前までは、色々と差し入れを持ってきてくれたカンタ君といえば、「折角の夏休みはもっと有意義に過ごすでやんす!」とか言って家に引き篭もっている。将来が心配だ。
 一度川で泳いで暑さを凌ごうと思ったが、その直後に俺は水着を持っていないことに気が付いた。仕方が無いので素っ裸になったら武美に見られた。ニヤリと意味深な笑みを浮かべられた。挙句の果てに通報された。俺は交番で泣き続けた。
 そんなわけでテントから脱出を試みた俺は、冷房を求め商店街をさまよっていた。腕をだらんと前に伸ばしながらよろよろと歩くその姿はさながらゾンビだ。さっきから俺の方を指差してヒソヒソ話すオバサマたちの声が聞こえる。だが俺は気にしない、風来坊だからな。
「はぁ。この町にはコンビニは無いのか? あれほど、夏を凌ぐのに最適な場所は無いというのに」
 俺は毎年夏になるとコンビニ巡りの旅をしていた。三日ほどのローテーションで、街のコンビニを巡回する。朝から夕暮れまで立ち読みをして過ごす。足腰は疲れるが気にしない。俺は風来坊だからな。
 以前、俺が来る日を読まれ、臨時休業にされた事があった。俺は臨時休業というコンビニの暴挙に怒り、また少し反省してローテを四日おきに変えてみた。店員は泣いていた。そのうち『風来坊入店禁止』という張り紙をされたが俺は無視した。仁義無き戦い、このコンビニ戦争は警察の介入を持って終わった。チクショウ、国の犬め。
「仕方が無い、なけなしの金をはたいてカレーでも食いに行くか」
 暑い日は暑いものを食べて汗をかく。有名な話だ。だけど、熱い物を食べたら逆効果なんじゃないだろうか? 世の中に謎は尽きない。とりあえず古人の英知には従っておくが。
 ついでにカンタ君にも久しぶりに会いに行こう。少しは大自然の下で遊ぶ事の楽しさを教えた方がいいかもしれない。カンタ君を外に連れ出したら、奈津姫さんも喜んで俺にカレーを奢ってくれたりするかもしれない。
 それだ、それしかない。
 自然に足取りは軽くなった。スキップだってしちゃうぜ。
 カレーショップ『カシミール』の前、カラス越しに俺は客足を確認する。誰もいない。しめしめ、これなら話が進めやすい。俺は鼻歌を歌いながらカラス戸を引いた。
「こんにちは。奈津姫さん、カンタ君います?」
 太陽に負けぬほど元気よく挨拶した俺、それを怪訝そうに見る奈津姫さん。動きが止まっていた。いつもなら、すぐに温かい笑顔で注文を聞いてくるというのに。まさか、俺のことを忘れたのか? 一糸の不安がよぎる。奈津姫さんと会うのも久しぶりだ、忘れられていても不思議は無い。ちなみに、俺は三日会わないと忘れる。
「やだな奈津姫さん、俺ですよ。九堂伊太郎ですよ。思い出しました?」
「いえ始めから覚えています。あなたと一緒にしないで下さい」
 相変わらず奈津姫さんはキツイ。だがそこがいい。
「それはよかった。ああ、今日はカレー食べに来たんじゃないんです。カンタ君と遊ぼうと思いまして」
「今おじちゃんの声が聞こえたでやんす。――あ、やっぱりイタローさんだ!」
「よぉカンタ君、元気にしてたか」
 カンタ君に近付こうとする俺の前に、奈津姫さんが立ちはだかった。カンタ君は不思議そうな顔でお母さんを見上げている。奈津姫さんは鼻を押さえながら退こうとしない。俺は親心を察した。そりゃ子供が俺みたいな大人と遊びに行くのは色々と不安だろう。だが俺はこの町に来てから早四ヶ月、街の人たちからの信頼も徐々に集めてある。ハンサムメータだって四十は越してる。そろそろ信用してくれてもいいんじゃないだろうか?
「大丈夫ですって、ちょっとそこらで遊んでくるだけですから。な、カンタ君?」
 カンタ君を見ると、なんとカンタ君まで鼻を押さえて後ずさりしてるではないか。なんということだ。少し会わない間に、俺たちの友情はその程度のものになってしまっていたのか。俺は溜息を吐いた。
 ――って、鼻?
「お願いですから、カンタと遊ぶ前にお風呂に入ってきてください!」
 奈津姫さんが鼻を押さえながら言う。半ば悲鳴に近かった。いくらなんでもオーバー過ぎじゃないだろうか。
 俺はカンタ君を見た。カンタ君はさらに後ずさった。嘘だろ? 俺は行き過ぎた冗談である事を願った。
「おじちゃん、クサいでやんすー!!」
 現実は非情だ。カンタ君は家の奥へと逃げていった。俺はがっくりと項垂れ地面に手をつく。そんなに臭うのか、俺の体。自分のユニフォームの肩の臭いを嗅いでみた。仄かに臭う汗の臭い。だが悲鳴をあげて逃げるほどのものではない。俺は少し頭にきていた。
「そんな臭いますかね、俺の体」
「自分じゃ自分の臭いは分からないんですよ……九堂さん、最後にお風呂に入ったのはいつですか?」
「奈津姫さん、俺だって一応、清潔な生活を目指しているんです。二日前には入りましたよ」
「毎日入ってください。でも確かに、二日前なら普通はこんなに臭いませんよね?」
 そういうことだ。きっとこの家族が臭いに敏感なだけ。俺はそう信じる事にした。
「あ、でもユニフォームを洗ったのは二月まえですね。って、奈津姫さん?」
 いつの間にか奈津姫さんまでいなくなっていた。俺は店内に一人立ち尽くす。足元にメモが落ちているのが見えた。拾い上げる。奈津姫さんから、俺宛だった。
『お風呂と洗濯機、使っていいので今すぐに綺麗になってください。これは命令です』
 俺は泣いた。泣きながらシャワーを浴びた。口に入った水は少ししょっぱかった。
 
 
 
 
 
 
 
 

彼女補完計画


Wanderer


 
 
 
 
 
 
 
 
「それで、どこにその親子が悪者だっていう部分があるの? 全面的にアンタが悪いようにしか聞こえないんだけど」
「俺は見たんだ! 俺が風呂から出たとき、店内に念入りにファブリーズをかけてる親子をな。あの愚息に至っては、俺に消臭ポッドを渡してきたぞ」
「いいじゃん。そのお陰で今はちょっとフルーティーだし。トイレみたいな臭いだけどね」
「トイレみたいって言うなっ」
 場所は変わって、ここは准の働く擬似メイド喫茶。俺はそのメイドに鬱憤をぶちまけている最中だ。最も、軽くあしらわれているだけのような気もするが。
 俺の向かい側では、維織さんが静かに本を読んでいる。俺が大声で叫んでも全く気にした様子は無い。耳栓でもしているのかと調べようとした事があったが、准に変態呼ばわりされたのでやめた。ちなみに最近お気に入りの本はタウンページだった。文字が書いてあれば何でもいいのだろうか。
 それ以外のお客さんはいない。混む時は結構お客さんがいるのだが、ピークを過ぎればそこは三人だけの空間となる。最近は俺もここに来る事を日課にしていた。准は俺が来るたびに文句を言ってくるが、表情はいつも嬉しそうだった。ちなみに、維織さんは言うまでもなく変化が無い。
 俺らはいつも何かをするでもなく、ただ漫然と時間が過ぎるのを楽しんでいた。まるで、この店内だけ時間がゆっくり流れているかのような錯覚。いつまでもこんな時間が続けばいい、と俺は柄にも無く思っていた。
「でも実際、イタローさんはもうちょっと自分をよく見るべきね。ただでさえ、一般人と感覚がズレてるんだから」
「奇抜だ、と言ってくれ」
「その域は軽く超えてるけどね。イタローさん、その様子じゃ女の子にモテたこと無いでしょ」
「何を言い出すか、このメイドは。俺はこの甘いマスクとクールな言動で旅をしてきたんだぞ? そりゃ行く町行く町でモテモテだったぞ」
「アンタが甘いマスクなら、タレントの顔を表現する言葉がなくなるわよ」
「別れるときが大変でな、『行かないで』と涙する彼女たちにいつも俺の心は痛んだものだ」
「聞いてる?」
「今でも、たまに思うんだ。俺は、彼女たちを幸せにしてやるべきだったのではないか、ってな」
「おーい」
「彼女たちの傍で、慎ましいが穏やかで明るい家庭を築くのも一つの道だったのでは――」
「まあとにかく、イタローさんは恋とかした事無さそうだよね」
「人の感動ストーリーを一言でブチ壊すな!」
 まあ確かに全部妄想だったが。今までの町で女にモテたことなんて一回も無い。というより、今までの町でこれほど住民に親切にされたことはなかった。俺はずっと孤独な旅をしていた。そしてこれはきっと、これからも。
「俺は旅から旅の根無し草だからな。女と恋なんてしちゃいけないんだよ」
「へー、上手い言い訳だねえ。もしかして、旅をしているのってモテないことを隠すため?」
「馬鹿にするなよ。俺だって恋の一つや二つしたことはあるさ。准が知らないような大人の恋だってしたことがあるぞ」
「ふーん。じゃあ、そのエピソードとやらを聞かせてもらいましょうか」
 准の顔、明らかに信じていない。また嘘と疑わない表情。
「独身女性に裸を見られた事がある」
「それただのセクハラだよ」
「未亡人の家のお風呂に入れてもらった」
「それはさっき聞いたよ。恋でもなんでもないじゃん」
「えっと、見知らぬ女性にコーヒーを奢ってもらったり……」
「それは恋じゃなくて餌付けよ」
「そ、そう言う准は本当の恋を知ってるのか?」
「そこで私に振ってくるかな普通……ていうか、私は普通に恋した事ぐらいあるよ。なんたってメイドさんだからね」
「な、なんてこった。お前のような毒舌メイドと付き合う男がいるとは、まだまだ世界は広いな」
 しれっと失礼な事を言ったら、頭からコーヒーをかけられた挙句顔にパイを投げられた。最近の准は暴力的だ。まあ顔についたパイは美味しく頂いたから良しとするが。つーかメイド関係無いだろ。
「うーん、付き合ったことは無いんだよね。まだ決心がつかないって言うか、さ」
「なんだ、准はもっと積極的だと思ったんだけどな。やっぱり女の子だったってことか」
「当たり前じゃん。可憐なメイドの恋は、簡単には実らないって決まってるんだよ。モチロン、最後は結ばれるけどね」
「だから誰が決めたんだよ。ま、頑張れよ。陰ながら応援してやるからさ」
「……うん、ありがと」
 何処と無く元気の無い返事だった。准にしては珍しい。俺は少し疑問に思ったが、とりあえずコーヒーを飲み干した。冷たいアイスコーヒーは夏の暑さを忘れさせてくれた。























 次の日、今日も俺は絶好調に暇だった。野球の練習を午前中で切り上げると、カンタ君からもらったファブリーズでユニフォームの汗の臭いを消臭してみた。鼻を近づけて嗅いでみる。うーん、フローレンスな香りだ。
「何やってんの、気持ち悪っ」
「うお、じゅ、准!」
 ユニフォームの臭いにウットリしていた俺を発見した准が、怪訝そうな顔で立っていた。ヤバイ、今のでハンサムメータが二十は下がった。クールな風来坊の名が傷ついてしまう。
「イタローさんって汗フェチ?」
「謎の好みを作るな。俺はただ、ユニフォームの臭いを確認していただけだ」
 俺はビシッとユニフォームを見せ付ける。ユニフォームは汗とファブリーズでグショグショに濡れていた。風でファブリーズと汗の混じった嫌な臭いが辺りに漂う。准は露骨に嫌そうな顔で鼻をつまんだ。ていうか、明日からどうすればいいんだこのユニフォーム。
「臭いよ、それ。川に流して捨てたら?」
「そんなことをしたら下流域の方々に迷惑だろうが」
「どっちしろソレ、今日は着れないよね。これからどうするの?」
 言われて気が付いた。俺は今上半身裸だ。准にばっちり見られている。俺は胸元をサッと手で隠した。
「准のエッチ!」
「あ、そっか。アンタごと川に流せばいいんだね」
 俺のジョークは華麗にスルーされた。くそっ、折角の風来坊ジョークが。
 とりあえず、いくら真夏日とは言え、外で上半身裸ではいつ通報されるか分からないのでいつもの一張羅を着た。夏場は結構暑いが、これ以外に着替えを持っていないのでどうしようもない。
「それで准、今日は何の用だ。お前が俺を訪ねてくるなんて珍しいじゃないか」
「え、うん。その、実は、頼みごとがあってさ」
 准にしては珍しく歯切れが悪かった。というかよく見るといつものメイド服ではなく、カジュアルな私服だった。メイド服以外の准を見るのはこれが初めてかもしれない。ちょっと得した気分だ。
「今日一日、私とデートしてくれない? ちょっと面倒な事に巻き込まれちゃってさ」
「はぁ? 准と、俺が? デート?」
「言い直さないでよ、恥ずかしいなぁ。実はさ、昨日イタローさんが帰った後、お客さんの一人が『付き合ってくれ』って言ってきたんだよ。私、今付き合ってる人がいるんでって言ったの。モノのはずみで、『明日デートするんで』ともね。でも中々信じてくれなくて、終いには明日様子見をするって言ってて」
 溜息を吐いた。つまり、彼氏役をやってくれって事か。コイツの事だから、前のダーリン事件みたいに裏がありそうだが、今回は表情が深刻だった。全く、普段からあんな接客しなければそんな熱狂的なファンも出来ないだろうに。
「どこにいるんだ、その客は。俺が話をつけるよ」
「いいよ。私もまだどこにいるか見つけてないし、一応常連さんだから」
「――仲良くデートしてれば、諦めてくれるのか?」
「うん、多分」
 俺は再度溜息をついた。まあ、しおらしい准を見れる機会もそう無いだろう。今日くらいは俺が主導権を握れるかもしれない。そう考えると、准とのデートもあながち悪いものじゃないかもしれない。コイツは黙ってさえいれば、誰もが羨む可愛い彼女だろうしな。
「分かったよ。今日一日付き合ってやる。その代わり、お金は無いから行けるところは限られてるけどな」
「ホント? ありがと、イタローさん。じゃ、今日一日は私を彼女だと思ってね」
「ああ。だけど昨日言った通り、俺は女性をアプローチしたことなんてないぞ」
「私も男の人とデートした事なんて無いよ。まあ、なんとかなるんじゃない?」
「それもそうかもな」
 俺たちは歩き出した。とりあえず、駅の方向へと。准は嬉しそうに俺の腕にすがり付いている。恥かしさと嬉しさが混じったような気持ちで、ニヤニヤしそうな顔を堪えるのが大変だった。
























「よお兄貴、元気し、て、る、か……」
「どうした寺門、言葉がどんどん失速しているぞ。新しい拳法か」
 いつものブギウギ商店街、俺たちは暇そうに石蹴りをしている寺門に出会った。寺門は俺の顔と准の顔を交互に見比べながらぽかんと口を開けている。
「イタローさんのお友達ですか? 私、准っていいます。九堂さんの彼女ですっ」
「か、かのじょ!!」
 寺門は固まっていた。目から少し涙が溢れていた。信じていたのに、兄貴だけは『独身風来坊同盟』の仲間だと――そんな声が聞こえた気がした。つーかなんだソレは。勝手に変な仲間にしないでくれ。
 准が服の裾を引っ張っている。何か言って欲しい、と目で訴えていた。仕方なく俺は准の肩を抱き寄せる。
「そういうわけだ、俺の彼女の准。よろしくしてやってくれな、寺門」
「ああ、神はいないのか……」
 寺門は自分の世界に旅立っていた。仕方が無いので、俺は無視してデートを再開することにする。それにしても、准の行動は大胆すぎやしないか少し不安だった。
 商店街は二人ともよく知った場所だ。勿論、そこがデートを出来るような場所でないことも理解している。ここは飽く迄中間地点、駅に行って電車に乗る事が目的だった。
「ところでイタローさん、まさかそのカッコで町に行く気?」
「当たり前だろ。ユニフォームは洗濯したから、服はこれしかないしな」
「あれは洗濯って言わないわよ。ていうか、これまではその服一着で旅してたの?」
「ああ、無駄な荷物が多いと大変だからな」
「……服、買いに行こうよ」
「いや、お金ないし」
「いいよ、私が買ってあげるから。さ、行くよ」
 准は俺を引っ張って商店街の服屋へと向かっていく。やはりこの服は現代っ子には相容れないのだろうか。俺は時代の流れを感じ少し悲しくなった。
























 服屋から出てきた俺は最早別人だった。准のコーディネートした現代風の服装で見た目も若返っている。フッ、俺もまだまだ人生これからだぜ。
「悪いな、准。服なんて買ってもらっちゃって。この恩はいつかきっと返そう」
 寺門から金が取れたらな。
「いつか、ね。私が死ぬまでに返せるかな?」
「俺はそんなに生産能力が無い人間なのか?」
「少なくとも、今まで一度もコーヒー代を払った事はないでしょ?」
「ぐ、言い返す言葉が無い」
「そもそもイタローさん、これまでどうやって生活してきたの? この世の中、何をするにもお金が無きゃ生きていけないのに」
「そりゃ、子供には分からない苦労をだな」
「ゴミ漁りとか?」
「そうそう。ゴミ捨て場にも縄張りってモノがあってな、俺が強くなるのは必然だったんだ」
「うわ、マジなんだ! ゴメン、今ちょっとイタローさんとの心の距離が……」
「お、お前が聞いてきたくせにっ」
 ピュアなハートが少し傷ついた。最近の子供は風来坊に理解を示さないから困る。
「それで准、これからどこに行くんだ。一応、俺のプライドの問題から言って、お金のかかるところはあまり気乗りしないんだが」
「維織さんに餌付けされてるのにまだプライドあったんだ? まあとりあえず、隣町のショッピングモールでも行く?」
「ウインドウショッピング、ってことか。いいんじゃないか」
「じゃ、決定!」
 准は俺の手を取り駅へと駆け出してゆく。それにしても、今日の准はやたらと嬉しそうに見える。やはり何か企みがあるのかもしれないな――そんなことを考えながらも、俺もまた自然と口元が緩んでいる事に気が付いた。空いた手で両頬を掴むも、笑みは自然と零れてきた。






















 隣町の商店街、ミルキー通り。ブギウギ商店街とは違い、ここは人に溢れ活気に満ちている。
「たった一つしか駅は違わないのに、どうしてこんなにも違うんだかな」
「そりゃこっちの方が都会だからね。イタローさん、今日は難しい事考えずにパーッと楽しもうよ?」
「それもそうだな。准、腹が減ったぞ」
「今思ったけど、イタローさんって完璧にヒモに成り下がってるよね。ま、いいか。丁度そこにファミレスがあるし、入ろ」
「そうしよう。だが腹減り状態の俺はよく食うぜ」
「常識の範囲内にしてよねっ」
 店内は明るく、歓談の声で賑わっていた。どうでもいいがファミリーレストランと言う割にはファミリーが少ないのはどうしてなんだろうか? 世間の謎はまだまだ尽きない。
 店員が運んできたメニューに目を通す。ここしばらく見ていなかった美味そうな料理の数々が俺の目に入ってくる。目の保養や。
 准はというと、店員の制服を見ながら「あのスカートはセンスが無いね」と評論に勤しんでいた。勝気の入っている少しにやけた顔がムカツク。
「ちなみに、三百円を超えた分は自腹ね」
「小学生の遠足か。つーか、ファミレスで三百円って何を頼めばいいんだ」
「ドリンクバーのシュガーとか?」
「そんなんで腹が膨れるか。そもそも、太るだろそれっ」
「経済的だから、ヒモのイタローさんにもオススメッ」
 親指を立てて言ってくる准。この小娘、一度教育しなおした方がいいんだろうか――(遠い目)
 結局、俺は経済的かつカロリーの高いファミレスのピザを頼む事にした。油っこい食べ物なんてどのくらい久しぶりか分からなかった。がっつく俺を准は驚きと微笑ましさの混じったような視線で見ていた。
 それとちゃっかりシュガーは貰っておいた。これで当面の食生活には困らないぜ。あっ、シロップも貰うべきだったか?























「イタローさん、ゲーセンって知ってる?」
 ファミレスで腹ごなしをしてから、俺たちは再び商店街をうろついていた。准はゲームセンターの前で足を止め俺に尋ねている。
「なあ准、俺は老人じゃないんだ。ゲーセンくらい知ってるし、遊んだことだってある」
「へえ、それはお見逸れしました。イタローさんってどんなゲームするの?」
「そりゃあれだよ、あの百円で菓子がたくさん取れるヤツ」
「あー、なんとなく分かるよ。うん。イタローさんだもんね」
 なんとなく馬鹿にされた気分だった。ていうか多分馬鹿にされてる。
「じゃあちょっとお手並み拝見していい? 百円でどれだけ取れるかやってみてよ」
「よし任せろ。俺の放浪生活の賜物を見せてやるぜ!」
 俺は准から百円を受け取り、何台もあるゲーム機を見比べる。菓子がどの辺にあるのか、どのタワーが崩しやすいのか。獲物を捕らえるため満遍なくゲーム機を見比べる俺の目はさながら鷹の目だ。視界の隅で、准が少し引いてるのが見えた。
「よし、これだ!」
 俺は四五台あった筐体の中から一つを選んだ。一見強固そうに見える菓子箱のタワーだが、よく見るとバランスを崩して少し前傾気味だ。これなら少し押すだけで、簡単に崩す事ができる。
 筐体に百円玉を入れ、菓子を取るクレーンを動かすタイミングを待つ。そして見計らったタイミングと同時にボタンを叩き、菓子を掬い上げる。クレーンいっぱいに詰まれた菓子、大成功だった。
 そのまま落とすタイミングを待つ。前後に動く台が後ろに下がろうとした瞬間、俺は二つ目のボタンを推した。落とされる菓子。菓子は台に押され、排出口を塞いでいた菓子のタワーを崩す。ばらばらと音を立てて落ちてくる菓子を俺は拾い集めた。
「どうだ准、これが俺の実力だ」
「へー、凄いじゃんイタローさん! まさか、本当に一回で取るとは思わなかったよ」
「はっはっは、もっと褒めてくれ」
「ギャグは顔だけだったんだね(ボソッ)」
「お前は、人を素直に褒めるってことを知らないのか? まあいい、ほら」
 俺は菓子の詰まった袋を准に投げ渡した。准は慌ててそれを受け取ると、目を丸くし俺を見た。
「いいの? イタローさん」
「確かに貴重な食料だけど、准にやるよ。いつもお世話になってるからな」
「……ありがとう」
「あれ、准にしてはやけに素直だな。なんか気持ち悪いからいつもの准に戻ってくれよ」
「ま、いつもお世話してる分にこれじゃ全然割に合わないけどね」
「言った瞬間に性格逆転かっ。まあ、その通りだけどな」
「だからさ、また一緒に来ようよ? そのときまた貰うからさ」
「そうだな、それもいいかもしれないな。で、俺は何回あげれば借りが帳消しになるんだ?」
「そうだなー……」
 准は嬉しそうに菓子の袋を抱えながら歩き出す。俺がその横に並ぶと、腕を絡めてきた。コイツ、ホントに嬉しいのかな。
「私の気が済むまで、ってどう?」
「いつになるか分からないな、そりゃ」
「だからいいんだよ、だから」
 そう小声で言うと准は駆け出した。顔はよく見えなかったが、少し照れていたのか赤みがかかっていた。
「やれやれ、演技じゃなきゃホントに可愛いんだけどな」
 そう一人ごちると、早く来いと呼んでいる准の元へ小走りした。


















「映画か、俺の若い頃は活動写真なんて言ったもんだ」
「イタローさん、時代考証間違えてるよ。それで、どの映画にする?」
 准が次に選んだデート先は映画館だった。まあなんてベタな選択か――まあ俺はデートの経験なんて無いから文句は言えないが。
 セレクトできるジャンルはホラー、恋愛、SF、コメディ、アニメ。やはりここは、女の子と映画館というイベントの定番を突きホラーにすべきだろうか。
 だが准はホラーなんて全く怖がらなさそうな気がする。むしろ怖がる俺を観察とかしてそうだ。
「というわけで恋愛モノにしないか?」
「どういうわけだか分からないけど、いいよ。イタローさんにしてはいいチョイスだと思うし」
「一言余計だ。というわけで、まあチケットは頼む」
「うん、じゃあ買ってくるね」
 チケットを買いに走る准。しかし、准は誰かに見張られているような事を仄めかしていたが、未だに俺はその男を見つけ出せていない。ずっと注意はしている。だが商店街、駅、ファミレス、ゲーセンのいずれでもこちらを窺っているような様子の男はいなかった。
 映画を見ているときなら見つけやすい。画面ではなく、こちらを見ている人物を探せばいいからだ。ここでなら准の熱狂的ファンを見つけられるかもしれない。
「とはいえ、俺が映画を見ないってのも不自然だよな」
 普通のデートで映画を見ずに辺りをキョロキョロ窺う彼氏はいない。不自然さがバレれば、准の作戦は台無しになる。
 ここでは探索は休む。俺は自分にそう言い聞かせ、追跡者の事を一旦頭から消した。
「お待たせ〜。はい、チケットとポップコーン」
「おっ、これまた定番だな。じゃ行くか、准」
 今度は俺の方から腕を絡めてみた。彼氏ならこのくらいの積極性が必要だろう。
 准は始め驚いた様子で俺を見ていたが、すぐに破顔した。演技とは思えない、眩しすぎる笑顔だった。




















 映画の内容はシンプルな恋愛モノだった。夏休み明けから転校する事になった男の子と、その子に恋をしていた女の子の話。
 こういうベタベタな話を、准はどう見るのかと思って准の顔を覗くと、意外にもスクリーンに集中しきっていた。その普段と違う真剣な様子に、俺は思わず見入ってしまう。
 画面を見つめる大きな瞳、映画に感情移入しているのか甘噛みされた形の良い唇、いつもの言動とは裏腹に華奢な体――
 ――いかんいかん、俺は何をしてるんだ。これじゃまるで変態じゃないか。映画映画、と。
 そう思いスクリーンに集中しようとした瞬間、俺の手の上に准の小さな手が重なってきた。
 あったかい――じゃなくて。
 無意識の行動なのか、准はこっちを見ていない。シーンは告白。女の子が思いを伝え、男の子の返事を今か今かと待つところ。
 俺の手を握る力が心無し強くなる。男の子の口が開いては閉じる。
 ぐあ、コイツ、可愛いとこあるじゃないか。俺の意識は既に映画から離れていた。これも准の策略か? そんな考えが一瞬脳をよぎったが、それすらもどうでも良かった。というか、そう信じたくは無かった。
 手が痛いくらいに握られる。スクリーンでは、男の子が女の子を抱きしめていた。俺もその衝動に駆られるがここは我慢し、もう片方の手で准の手をそっと包んだ。
 准が驚いてこっちを見たような気がするが、よく分からなかった。きっと俺の顔は、ニヤけてて気持ち悪いに違いない。
 永遠に映画が続けばいいのに。そんな事を考えながら、俺は映画そっちのけで残りの時間をぼーっと過ごしていた。





「いい映画だったね。私、泣きそうになっちゃったよ」
「そ、そうだったナ」
「? どうしたのイタローさん、片言になってるけど」
「マサカ、全然そんなことナイゾ?」
「?」
 危ない、バレてなかったみたいだ。
「それでイタローさん、どうだった?」
「ああ、ストーリーはベタだけど良かったと思うぞ。特に告白のシーンなんか――」
「映画じゃなくって、私の手だよ。ずっと握ってたでしょ?」
 バレてました。


















 満点の星空。都会から離れた遠前町は、星のよく見える町だった。
 その星空の下、俺は准と河川敷を歩いていた。
「今日は楽しかったよ。誘ってくれてありがとうな、准」
「うん……」
 准は少し元気が無いように見えた。さっきまで元気だったのが嘘のようにしおらしい。
「どうしたんだ? まさか、俺の彼氏役が至らなかったとか」
「ううん、そうじゃないんだ。というより、今日のイタローさんはホントの彼氏みたいだったよ」
「ああ、ならいいんだけどな。だけどそれなら、どうして元気が無いんだ」
「うん、えっと……言いにくいんだけどさ。実は、告白されたっていうの嘘なんだ」
「――ハァ?」
「今回の事は、全部私の作り話ってこと。ゴメンね? 嘘ついてて……」
「じゃあ、なんで俺なんかとデートに」
「それは……私が、あなたの事を――」
 准は俺の手をそっと握ってきた。両手で俺の手を包み込む。映画館の記憶が蘇る。
 准の双眸は真っ直ぐに俺を捕らえていた。今まで見た事が無い准の真摯な顔に、俺は度肝を抜かれていた。
「ねえ、イタローさん。イタローさんは、私のことどう思ってるの?」
「え!? そりゃ、いい友達……」
「そう、友達」
 俺の両手が離された。准は俺に背を向け俯いている。
「そうだよね、友達だから今回も私に付き合ってくれた。はは、私何を期待してたんだろ……バカみたい、一人で盛り上がっちゃって」
 ――いや、違う。
 俺は本当に、准を友達としてしか見ていないのか。今回の事に付き合ったのは、友達を放っておけなかったからなのか。俺は自分自身に問うた。答えは分かっていた。
「じゃあイタローさん、また明日。明日からはまた普通のメイドに戻ってるから、今日のことは忘れて欲しいな」
「違う……」
 准は俺に別れの挨拶をすると、町の方へと歩き出していた。
 そして俺の手は、准の肩を掴んでいた。准は驚いてこちらを振り向く。
「イタローさん?」
「違うんだ、准。俺は、良い友達だからお前に付き合ったわけじゃない」
「え……?」
「大体、今日を忘れるわけが無いだろ。今日は准とデートした日だ、カレンダーがあったら花丸でもつけてるし、日記をつけていたなら今日だけで何ページも書けそうだ。俺はそんな日を忘れるほどバカじゃない」
「イタローさん。それって」
 俺は息を飲み込んだ。言うんだ、ずっと感じていた事を。正直に吐き出すんだ。
 いつの間にか、俺は准の両肩を掴んでいた。准を真正面から見つめ、俺は言った。
「俺は、准の事が――」





















「はい、そこまで!」
「す――って、はい?」
 准は嬉しそうに、手で大きなバッテンを作っていた。先程までの儚げな表情は何処にも無い。
「いやー、迫真の演技だったよイタローさん。思わず私ものめり込むところだったよ」
「え、いや、その、意味が分からない……」
「『メイドさんと一日デート体験』だよ。言ってなかった?」
「言ってない言ってない、絶対言ってない。ていうか、今日のデートにメイドの要素は無かったぞ」
「イタローさんだから、特別にオプションで『告白イベント』も付けてあげたけど、どうだった? 淡い青春に帰れた?」
「いや、それでこれは一体……」
「でも、これ以上やると別料金なんだよねー。だから素寒貧のイタローさんはここまででーす。今日は楽しめましたか、ご主人様?」
 夢だ。夢を見てるに違いない。俺はそう思い込むことにした。
「でもイタローさん。要するに、これまでの料金はちゃんと払ってもらうってことなんだよね。こればっかりはいくらご主人様でも負けられませんっ」
「ぐ、ぐ。いくらだ、いくらなんだ」
「あれ、素直に払うの?」
「考えてみれば、確かにいろいろ驕って貰ったからな。今すぐとはいかないけど、きっといつか――」
「ふーん。それじゃあ――」
 准がいたずらっ子のような笑みでこちらを見てきた。こういう笑みのときは、必ずとんでもない条件をふってくるに違いない。頬が僅かに引き攣った。
「これからも私とデートして欲しいな。今回は嘘だったけど、たまにお客さんに告白をされるのは本当だからさ」
「――え? そ、それでいいのかっ」
「うん! じゃあイタローさん、また明日、喫茶店でね」
「あ、ああ。じゃあな、准」
 准がこちらに手を振りながら駆けていく。走り去っていく背中を、俺は虚脱感に襲われながら見ることしか出来なかった。
「あれ、でもちょっと待てよ」
 テントに戻ろうとした時、ふと俺の頭をよぎることがあった。
「それって要するに、本当の彼氏は作りませんってことなのか? それとも――」


















「へへへ、大成功っ! 全部バラしたときのイタローさん、すっかり驚いてたなー」
 星空だけが見ている夜の道、一人の少女が駆けていた。
「でも一つだけ、成功しなかったことがあるんだよ」
 その表情はどこまでも無邪気で、どこか寂しそうでもある。
「告白、最後まで聞いておけばよかったよ」
 そう呟いた彼女は、くすりと笑って家路を急いだ。





 後に彼女は、もう一度、今度は本当の告白される事になるのだが、それはまた別の話。



















「兄貴! 俺は決めたぜ! この件が終わったら彼女を探す旅に出る!」
「はぁ? 何を言い出すんだ、寺門」
「俺だって彼女が欲しいんだよ、ちくしょー!」



 これもまた、別の話。