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 青く澄み切った空。心地よい風が、少女の小さな体を吹き抜けてゆく。少女はくすぐったさそうに耳を可愛らしく動かしながら、涼しげな秋風を堪能していた。
「なあ、わんこ……」
 隣にいるのは、少女のボーイフレンド。どこか不満げに、口をへの字に結んでいる。
「おい、聞いてるのかよ、わんこ」
 少年が呼びかけるも、少女はまったくの上の空、といった様子で浮かれている。
 少年は悩ましげにこめかみに手を当てると、少女の前に手を出し掛け声をかけた。
「――わんこ、お手!」
「ワンッ」
 つい言われるがままに手を出してしまい、わんこは慌てて手を引っ込めながら、上目遣いに少年を睨み不満を露わにする。
「アタシ、犬じゃないワン!」
「そんな問題はこの際どうでもいい。――わんこ、今日はデートなんだよな?」
 さらりとわんこの言い分を流す。その顔は、そのやり取りはもう飽きた、とでも言いたげであった。
「え? 当たり前だワン!」
「そうか、デートか。デートね。デートだったのか……」
 少年が何度も繰り返す横で、わんこは頬を染めながら嬉しそうに照れていた。
 その様子を眺めながら、少年は大きく溜息を吐くと、眉根を寄せぴっと人差し指を上げた。
「けどな、わんこ。一つ、いいことを教えてやる」
「ワン?」
 少女の可愛らしい動作に少年は軽く微笑むと、すぅ、と胸いっぱいに息を吸い――
「人間のデートは、延々体の臭いを嗅いだりはしねえええええっ!!」
 不満が爆発したようだった。近所迷惑とも思えるほどの声量が、わんこの脳にジンジンと響き渡る。
 少年は肩で息をしながら、言葉を続ける。
「朝早くに呼び出したかと思えば、場所は空き地、服装はいつもと変わらずユニフォーム。どこかに移動するかと思えばずっとここのまま。挙句の果てに、一日中オレの体の臭いを嗅ぎまわるって、どんなデートだ! 恋人は暑苦しいくらいの距離なんていうけどな、ホントに暑苦しいんだよっ! んなことより、なによりオレが言いたいのは――」
「ワ、ワウ……?」

「息、臭いんだよおおおおおっ」

 言いたい放題である。
 最後にもう一度息を吸い込むと、少年は疲れた様子で言い放った。
「とりあえず、わんこは本物の恋について勉強して来い! デートはそれからだ!」




 

恋ってどんなものだワン?

Wanderer





「クーン……アイツ、言いたいこと言いすぎだワン!」
 空き地に一人取り残されたわんこ。寂しげに鳴き声をあげていたが、少しなりとも癪に触るところがあったのか、ワンワンと遠吠えをした。
「こうなったら、人間のコイを勉強してアイツを見返してやるワン!」
 拳をぐっと握ると、土管の上から飛び降りる。飛び降りたところで、くいと首をかしげた。
「でも、どうやって勉強すればいいワン?」
 そもそも勉強自体、ほとんど経験が無い。さらに今回の内容は、どういう手段をとるにしてもいささか困難なお題目だ。わんこはしばらくの間、その場をぐるぐると回り思案を巡らしていたが、やがてポンと手を打つと目をらんらんと輝かせた。
「そうだ、みんなに聞けばいいんだワン!」
 ――こうして、一人の犬少女による哲学的な徘徊がスタートしたのだった。








 Case1:はるかわ&はしば

「――というわけで、コイについて教えて欲しいワン!」
 空き地へと練習にやってきたらしい二人を捕まえると、わんこはさっそく詰問を開始した。
「こいだぁ〜? む、難しいこと聞いてくるな、わんこは」
 晴川はぎょっと驚き動揺を露わにすると、気まずそうにぽりぽりと頭を掻いた。男装をして女であることを隠している身としては、迂闊なことを言って『乙女の片鱗』が露呈してしまっては元も子もない。晴川は僅かに赤面しつつ、目をキラキラ輝かせながら回答を待つ少女へと、済まなさそうに謝罪をした。
「あー、その、なんだ。オレには、ちょっと分からないな……」
「クーン、それなら仕方が無いワン……」
「なんだお前、顔赤くしちゃってよぉ。――あ、もしかして、お前」
 興味が無さそうに頭の後ろで腕組みしていた羽柴、晴川の反応で何か察するところがあったのか、ニヤニヤと顔を崩しながら晴川を横目で見た。その微妙な気色悪さに気圧され、晴川は少し引いた。
「な、なんだよ。言いたいことがあるなら、はっきり言えよな」
「いやいや、何も言うなって。オレは分かってるから、な?」
 ポンポンと晴川の肩を叩くと、羽柴は親指を上げ憎らしいほど爽やかなスマイルを作った。
「応援してるぜ、コノヤロウ!」
「勝手な勘違いをしてんじゃねえーっ!!」
「おっ!? テメッ、殴るこたぁねえだろ!」
「あ、二人とも、ケンカは――」
 わんこの静止も聞かず、取っ組み合いの喧嘩を始める二人。
 ……練習はどうした。










 Case2:いちどう

「キャプテン!」
「ん? ああ、わんこか。今日もいい天気だね」
 どうにも会話の中身が年老いている――というより、地味だ。
 とかく目立つことの少ない彼だが、一応はガンバーズのキャプテン、チームの最年長者。彼ならば、的確な答えを教えてくれるかもしれない。対応し難いカラみを無視し、わんこはとっとと本題に入ることにした。
「キャプテン、コイってなんだワン!」
「こ、恋? また、どうしてそんなことを……」
 月並みな反応である。もちろん、口には出さない。
 一堂は腕組みをしながら考え込むと、苦笑いと共に使い古された答えを用いた。
「うーん。人を好きになること――としか、言えないな。まだ子供だから、よく分からないしな」
「なんだか、地味な答えだワン」
 言った後で、わんこは「あ」と思わず漏らした。悪意無き心の、率直な感想。だが、この少年にその言葉は禁句だった。
 一堂は自嘲気味に肩を揺らすと、痛々しげな微笑みを浮かべた。心なし、足元の影が薄くなっているのは天気の所為だろう――多分。
「そうだよな、オレ、ちょっと地味だよな……」
「きゃ、キャプテンは『ちょっと』じゃないワン! ――あ」
 すぐに口を両手で塞ぐわんこ。だがもう遅い。
「そうか、オレは、『かなり』影が薄かったのか――」
 見る見るうちに、少年の体が透き通ってゆく。だがその顔は、真実を伝えられたことによって、どこか晴れやかなようにも見えた。まるで幽霊キャラのような消えっぷりを、わんこは呆然と見送ることしかできなかった。
「生まれ変わったら、もっと濃いキャラになりたいな――」
 一堂光、消滅。
 辞世の句まで地味なものであった。









 Case3:さくら

「あっ、さくらちゃんだワン!」
「うにゅ、わんこちゃんだ〜! 何してるの、こんなところで?」
 次なるターゲットは、ちょっとおませな背伸び少女さくらだ。年頃のみんなより精神的に大人びている彼女ならば、しっかりとした答えが得られるかもしれない。わんこの胸、鼓動が高鳴る。
「えっと、さくらちゃんに質問があるんだワン! あの、コイってなんだワン?」
「うにゅ? 恋? 恋に興味があるの?」
 恋という言葉を聞いた瞬間、頬を染め濃艶な表情になるさくら。お前は一体幾つだ。
「さ、さくらちゃん?」
「それって子供の恋? それとも大人の恋? もしかして、キ・ン・ダ・ン・の・コ・イ?
 歌うように節をつけると、艶かしげに息を吐く。どう考えても誘惑していた。
 これは何か違う、ていうかヤバい――わんこの脳裏で警笛が鳴り響く。どうにか話題をずらさないと、このまま食べられてしまうかもしれない。やけにリアルな想像が浮かび、わんこは震えた。
「そ、そうだワン。前にさくらちゃんが、無田としていたような――」
「無田――? ああ、あんなのは遊びよ。あんまりお金持ってなかったから、貢ぐ量も少なかったし。だから、すぐ終わりにしたけど」
 真っ黒である。女は魔性の生き物とはよく言ったものだ。
 そのどす黒さに気圧され、わんこは思わず後ずさった。
「さ、さくらちゃん……いつもみたいに、『うにゅ』とか言わないワン?」
 わんこの指摘に、さくらははっと息を呑むと、急にいつもの眩しい笑顔に戻った。
「うにゅ? さくら、何か言ってた?」
 無垢な笑顔で問いかける。わんこは、ブンブンと千切れそうな勢いで首を横に振った。








 Case4:とくがわ

「がーぼーぼー! このソーセージもなかなかたい! ん、そこにいるのはわんこでごわすか?」
 どういうわけかスーパーに着てしまったわんこは、どういうわけかそこで試食品を片っ端から食い漁っている徳川と遭遇してしまった。徳川は食べかけのソーセージをさっと後ろに隠すと、低い声でぼそりと呟いた。
「これはオラのだから、あげないですたい」
 とてもいらない。
 しかしいいところを見つけてしまった、今度からここを利用しない手は無い――なんてこっそりと思いながら、わんこはそもそもの用事を思い返した。恋路とはさっぱり無縁そうな徳川に答えられるのかはとても不安だったが、こう見えて、もしかしたらすごいヤリ手かもしれない。一応聞いてみることにした。
「徳川、コイってどういうものか分かるワン?」
「コイ? そりゃ、分かるたい」
 さらりと言ってのける徳川に、驚きで目を見開く。意外な人物が、意外な態度で答えた。もしかしたら見栄を張っているだけかもしれないので、念を押すことにする。
「ただのコイじゃないワン。ホンモノのコイだワン!」
「ホンモノの? それなら、ここにもあるたい! 着いて来るでごわす」

「ほれ、これがホンモノのコイですたい! 見るだけのコイなんて偽者たい!」
 どこに移動するかと思えば、当然のようにそれは魚売り場だった。説明するのもくどいが、徳川が当然のように見せびらかしているのは魚の鯉である。
 『徳川=脳味噌も食べ物』
 こうしてわんこはまた一つ賢くなったのであった。









 Case5:まうす

「恋――? そんなの聞いて、どうするつもりなのさ」
 インターホン越しに、くぐもった声が聞こえる。どういうわけか、まうすだけ既にエンディングに突入していた。それもバッドエンド。
「そもそも、恋や愛なんてこの世の中にあるわけ無いだろ。人間同士なんて分かり合えない。所詮は自分たちのエゴで生きている下等な生物だからな。男女の付き合いなんて、八割はお互いの欲望を満たすために決まってるんだ。あとの二割はなんとなく。他人への無意味な優越感を抱きたいだけ。恋や愛なんてのは、一時的なまやかしだよ。本当に、この世の中は終わってるよ――すっごい汚らしい。それに比べて、スクリーンの中の感情は嘘をつかないからね。彼女たちは本当の目でボクを見てくれるし、絶対に裏切ったりしない。真実の愛はここにあるんだよ。ああ、さおりちゃん可愛いなあハァハァ――」
 ちなみに、わんこは『あるわけ無いだろ』のあたりでいなくなっていた。独り言ただ漏れである。








 Case6:にのみや&あけち

「恋? 広辞苑を引用すると、『男女間の思慕の念』となってるけど」
「……わんこ、よく分からないワン」
「そうか……科学的じゃないから、ボクも説明しづらいな」
 頭を抱えるわんこの様子を見て、明智は困ったように眉をひそめた。
「二ノ宮君は、恋についてどう思う?」
「ん〜? オレもよくわっかんねー!」
 蟻の巣に水を流し込みながら、二ノ宮は笑顔で答えるも、思うところがあったのか「あ、でも」と続けた。
「もしかしたら、この前見たのがコイだったのかもな」
「それ、すっごく聞きたいワン!」
「うん、ボクも参考にしたいな。どんな話?」
 ついに手がかりを掴んだかもしれない。目を輝かせるわんこに、二ノ宮は得意げに話し始めた。
「この前、夜中にトイレに行きたくなってさ。けっこうおそい時間だったと思うけど、父ちゃんと母ちゃんの部屋の明かりがついてたんだよ。そっとのぞいてみたら、なんか二人ともハダカになってて、すっげえコーフンしてんの! そんときは眠かったら寝ちゃったんだけど、次の日の朝、二人ともすっごく仲良くなってんだよ。もしかしたら、これがコイだったのかもなー」
 色々と爆弾発言だった!
「ににににににににに二ノ宮君! そ、その話もっとkwsk――」
「うーん、なんか二ノ宮の話もよく分かんないワン……」
 ちょっと前かがみ気味な彼の名誉のため、敢えてわんこは見て見ぬフリをした。そう、言うなればこれは若気の至り。うら若き男にはよくあることなのだ――きっと。それにしてもちょっと反応しすぎだが。

 後にホームビデオを片手に持った男が、深夜の二ノ宮家に侵入することになるのだが、それはまた別の話である。ちなみに犯人は未だに逃走中とのことだ。










 Case7:おの

「む、恋――で、ござるか」
 小野は坊主頭を撫でると、ふむと小さく唸った。
 いつもありがたい講釈をしている小野こそが、もっとも頼れる人物かもしれない。どうしてそんな簡単なことに気がつかなかったのか、わんこはこれまでの非効率さを悔やんだ。
「そうだワン! 誰も分からなかったけど、おのなら分かるワン?」
「うむ、恋とは難しい感情でござるからな。みなが答えられないのも、ムリは無いでござる」
「ということは――」
 ついにその真意が聞けるときが来たか。期待に胸を膨らませるわんこに、小野は大きく頷いた。
「やったワン!」
「喜んでもらえるようでなによりでござる。ささ、それじゃ、そこに正座して」
「せいざ――?」
 必要性がよく分からなかったが、言われるままに正座をする。すると小野も同様にわんこの前に座り込むと、眉根をぐっと寄せ険しい顔つきになった。
「お、おの?」
「いいでござるか。そもそも色恋とは煩悩の一種であり、人間には必要の無いものでござる。人間の欲望の根源は渇愛、満たされない衝動。それを取り払うには、無明縁起の理を知り、無我の精神を築き、自我の愛着を捨てて、自分から解放されることが大切であり――」
 小野の説教は数時間に渡り、危うく解脱しそうになったところでようやくわんこは開放された。
 というか、小学生があまり難しい漢字を使わないでいただきたい。












「はぁ……結局、誰も分からなかったワン……」
 トボトボと空き地に戻る。羽柴や晴川の姿は既に無く、その代わりに、眼鏡をかけた同年代ほどの少女が土管の上からこちらを見下ろしていた。
「どうやら、色々と苦労したみたいじゃの」
「だ、誰だワン?」
「ずっとここから見てたんじゃよ。あの子、小さいくせに色恋を口にするなんて――背伸びしてるの」
 見た目は同じくらいなのに、大人びた物言い。この少女なら、答えてくれるかもしれない。最後の望みを託し、わんこは尋ねた。
「ホンモノのコイって、なんだワン?」
「さぁ……そんなの、誰にも分からないもんじゃて」
「でも、それじゃアイツが」
「――わんこ。アンタは、あのマセた子が好きなんじゃろ?」
 勢いよく首を縦に振るわんこ。眼鏡の少女は嬉しそうに目を細めると、優しげな顔つきになった。
「恋とは、そういうものじゃ」
「え? ぜ、全然分からないワン!」
「難しく考える必要は無いんじゃよ。好きだと思う気持ちこそが、恋なんじゃ。あれこれ回りくどい説明をつけるほうが、どうかしてるんよ」
「好きだと思う、気持ち――」
「わんこ。アンタがどんな気持ちでいるのか、それを伝えるんだよ。それが、アンタの恋じゃて」
 それだけを伝えると、眼鏡の少女は、まるで初めから何も無かったかのように、音も無く消えていった。
「アタシの、気持ち――」
 ことりと小さく脈打つ胸を押さえながら――わんこは、少年の家へと駆け出していた。









「――で。わざわざ呼びに来たってことは、ちょっとは分かったんだよな」
 突然呼び出されて不機嫌そうな少年。対照的に晴れやかな笑顔のわんこは、大きく頷いて見せた。
「じゃ、聞かせてくれ。わんこが学んだ、本当の恋のこと」
 迷う必要は無い――自分の思うままに、言葉を紡げばいいのだ。
「アタシの恋は、好きな人とずっと一緒にいたいと思うことだワン! それじゃ、ダメかワン?」
 不安げに少年を見やると、なにやら手で目を覆って上を向いていた。感動して泣いている――わけではないらしい。
「わんこ。それ、ちっとも変わってないの、分かってるか?」
「ワ、ワン……」
 やっぱり、自分が考えているのは、人間の恋ではないのか――がっくりと、肩を落とす。
「でも――お前の恋、少しだけ分かった気がする」
「ワン?」
「一緒にいること。どこかに行くとか、おめかしをするかなんて関係ない。ただ、二人でいることが大事なんだろ。俺たちの恋に必要なのは、俺たち二人だけ――そういうことだろ」
 照れ隠しのように頬を掻きながら、少年はぶっきらぼうに言い放った。途端に、ぱあっとわんこの表情が明るくなってゆく。
「じゃ、じゃあ――」
「いいと思うぜ、そういうのも。さっきはオレも、ちょっと言いすぎたかもしれないしな――」
 ふてぶてしく呟いた少年の胸、勢いよく飛び込む。思わず文句を言う少年も、そこまで気分は悪くないのか、しっかりとわんこを抱き留めた。
 弾けるような、最高に眩しい笑顔で――
「――アタシ、恋してるワンっ!」





FIN