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 まどろみの向こう側から鳴り響く、けたたましい携帯の着信音。快適な夢の世界から、否応無しに現実へと引き戻される。目は閉じたまま乱雑に枕元を漁り、携帯を引っつかむと受話ボタンを押す。
 そして三矢翔一が、目覚め後真っ先に聞いたものは、後輩からの受話器越しの歓喜の叫び声だった。活動を始めていない脳天にガンガン響く声に、再び眠りの世界へリターンしそうになる意識をなんとか保ち、咄嗟に投げ出してしまった携帯を拾う。後輩の、何の罪も感じていない明るい声が聞こえる。
「どうしたんですか? 翔一さーん、また寝ちゃいましたー?」
「起きてる。お前、声でかいぞ……」
「ああ、それでですか。翔一さんはオーバーだなぁ」
 からからと笑う後輩の声を聞きながら、翔一はいつかコイツの声を録音して聞かせてやると心に誓った。
「――それで、何の用だ?」
「モーニングコールです」
 今度、絶対ブッ飛ばす。心に刻み込み、後輩をしこたま殴る様を思い浮かべ、何とか溜飲を下げた。無言の翔一に、慌てたように後輩からフォローが入る。
「冗談ですよ。実は、当たったんです。例の旅行」
 例の旅行というのは、先日翔一が後輩に教えた抽選の事だった。大神財団主催の、年越し無人島ツアー。無償で年末年始の六日間を無人島で過ごせるという、夢のような企画。当然、応募者数がリミットをはるかに越える、空前絶後の凄まじい抽選になったのは言うまでも無い。
 翔一も恋人である唐沢ヒナコに誘われ、渋々ながらも一緒に応募していた。年末は家でゆっくりしたい、という甲斐性無しな男に対し、ヒナコの子供のような泣き顔がもたらした結果だった。勿論、これが嘘泣きであることに翔一はてんで気付いていない。
 その、倍率何十という賭けに勝ったという知らせに、翔一の眉間に皺が寄った。
「お前、冗談は休み休み言え。それと、もっと笑えるのにしとけ」
「こっちは冗談じゃないですよ! なんなら写真でも撮って送りましょうか?」
「いや、いい。結構だ。用はそれだけか? だったら俺は寝るぞ」
「あ、ちょっと――」
 後輩の抗議の声を聞き流しつつ、電源ボタンを押す。明るくて人懐っこいのはいいことなのだが、楽天家で少々バカなのはいただけない。会話を終えた途端に、思い出したように冷気が身を包み始めた。翔一は身を縮こませながら布団に潜り込み、妨害された睡眠を再開しようとした。
 その時、カタンとポストに郵便が放る小さな音が、安普請なアパートの一室に響いた。
 ――このアパートのボロさ加減は、ちょっと問題かもしれないな。
 引っ越すなら、せめてポストの音が寝室に聞こえてこない家だ。球団からそこそこ貰っている年俸の使い道を考えながら、郵便は無視し脳に眠れと命令を送る。だがどういうわけか、意識はすっかり来たばかりの郵便に向いてしまっている。舌打ちが、漏れた。
「これも全部、アイツの所為かもな」
 恨み言をぶつぶつ呟きながら、ジャージを羽織り玄関へと向かう。足の裏を射すような、板張りの床の冷たさがついて纏う。狭い部屋の、これまた狭い入り口のドアについている郵便受けから茶封筒を取り出すと、差出人も見ずに乱暴に端を破いた。どうせ、請求書かくだらない宗教の勧誘チラシだろう。そう思い、破らんとばかりに手紙を開いた翔一の目に飛び込んだのは、『当選』の二文字だった。
「やれやれ。選挙じゃないんだし、もっと洒落たことはできないのかね」
 それを小さく丸めると、屑篭に投げ捨てる。淵に当たって跳ね返ったが、今はそれを片付けるよりも眠りたかった。やっぱり、どうでもいいことだったじゃないか。翔一はまだ温もりの残る布団にごそごそと潜り込むと、目元を緩ませた。今日は、特に用事も無い。気のゆくまで睡眠をとるのもいいかもしれない。体がじんわりと暖まってゆくのを感じながら、穏やかな休日の過ごし方に思いを馳せた。

 数秒後、布団を投げるようにして立ち上がり、自分が捨てた紙くずを広げた翔一は、とりあえず歓喜の雄叫びを後輩にぶつけた。












PAWAPOKE ROYALE

Wanderer


















「開司さん、開司さん!」
 自分の名を呼ぶ元気な声と共に、突然ボロアパートのドアが勢いよく開いた。六郷開司は思わず噴き出しそうになった味噌汁を慌てて飲み込むと、自室にいきなり入り込んできた少女と向き合った。
「詩乃ちゃん、ノックくらいしてくれよ……俺が着替え中だったら、どうするつもり?」
 少女、蕪崎詩乃は、顎に手をやり少しばかり思案をめぐらすと、頬を僅かに朱に染め、ぺちぺちと開司を叩きながらくねくねと体をよじらせた。何を考えているんだ、この子は。開司が冷たい視線を投げかけると、詩乃ははっと正気に戻りその無意味な行為を止めた。
 朝食の片付けを二人で終え、小さなちゃぶ台の前で向き合って座る。幸い、出勤時間まではまだ余裕があった。
「それでどうしたのさ、こんな朝から」
「うん。実はね、当たったんよ、わたし」
「当たったって、生魚でも食べたの?」
 開司の見当違いな発言に、詩乃はちゃぶ台を巻き込んで倒れた。ぶつけた頭を摩りながら、少女が呻く。
「何ボケてんの、開司さん……そんなわけ無いでしょ」
「ん、ならちょっと分かんないな。ヒント」
「ヒントなんて、あるわけ無いやん。しっかりしてなー、開司さん」
 困ったように眉を八の字にする詩乃に、開司は悪戯っ子のように微笑んだ。
「冗談だよ、詩乃ちゃん。アレだろ、無人島ツアー」
 ぱあっと、詩乃の表情が明るくなってゆく。少女は、胸ポケットから綺麗にたたまれた封筒を取り出すと、開司の目の前でバッと開いて見せた。
「当たり! 開司さんは、どうやった!?」
 期待と不安の入り混じった目が向けられる。また、ちょっとからかってみようかと迷ったが、今度は素直に茶封筒から当選通知を取り出した。詩乃の表情が、見る見るうちに明るくなってゆく。
「この通り。お互い、運がいいよね」
「うん! やっぱりわたしの日頃の行いのお陰やねー」
「いや、どちらかと言えば、毎日真面目に勤労に勤しむ俺の方でしょ」
「えー、そんなことないよー。だって開司さん、この前仕事サボって浮気してたし」
 詩乃は、つい最近、開司が少しばかり仕事場を抜け出して、『スナック瞳』に顔を出していた時のことを言っていた。ちょうど店から出てくるところを学校帰りの少女に見つかり、機嫌を治すのに約半月分の給料を費やしたのだった。もう忘れているだろうと、そう思っていたところでぶり返され、慌てて開司は弁明を始める。
「だからあれは、山田君と社長に頼まれて、お使いに行っただけであって――」
「スナックにお使いに行く人なんて、おらへんよ」
「い、いや、でも本当に俺は!」
「……」
 詩乃、無言。開司の語気に、焦りが増した。
「へ、返事くらいしてくれても!」
「フン、だ」
「う、詩乃ちゃん」
 ぷい、と頬を膨らしそっぽを向いてしまった少女を見、開司は女心の複雑性について改めて恐怖を感じた。ついさっきまで、あんなに嬉しそうにしていたのに。今度からは、何を頼まれても絶対にスナックには行くまいと、深く心に決めた。
 開司は両手と頭を畳に付き、土下座の姿勢を取りひたすら謝罪の言葉を並べ始める。煽てと強気な攻めを駆使し、なんとか少女の機嫌を取り戻すことに成功した。詩乃はまだ幾分か表情に怒気を残しながらも、会話をしてくれる程度には心気を晴らしていた。
「ホントに、もう行っちゃダメやからね」
「行かない。半径二メートル以内に近付かないことを約束しよう」
 開司が、大真面目な顔でそう言うと、ようやく詩乃は顔を綻ばせた。
「うん、ならええよ。許してあげる」
 溜息を吐きたくなる衝動をなんとか堪え、開司はやれやれと胸を撫で下ろす。
「でもね、開司さんは少しそういうところ多いと思うよ」
「うーん、瞳さんのところもそんなに行って無いんだけどなぁ」
「スナックだけじゃないよ。飲み屋のきれーなお姉さんとか、どこかのお嬢様とか」
 指摘され、開司は改めて、自分の女性関係の節操の無さに辟易した。確かに、退屈な生活の中の娯楽と称して木岡鈴音と町に繰り出したり、つき合わされているという大義名分の下、島岡希美と一緒にドライブに行くこともしばしばある。それらの行動どれもに、自分ではけじめをつけているつもりだった。愛しているのは詩乃ただ一人であると自覚していれば、それでいいと思っていた。
 ぽつりと、少女の口から言葉が漏れる。それは立った一言だったが、開司の後悔の念を引き起こすには十分過ぎるほどの言葉だった。
「もしかして、わたし――飽きられてしもた?」
 すべて、ただのエゴだったのだ。
 この少女からしてみれば、全ての行動が彼女の立場をぐらつかせる要因にしかならなかった。
 そこに目が行かず、挙句の果てに自分の行動の弁明をするとは。
 俺は、大バカだな。
 立ち上がり、俯く少女の隣に座ると、艶のある綺麗な髪を撫でた。頭を抱き寄せると、抵抗なく小さな体が腕の中に収まる。胸元に熱いものを感じ、さらに強く抱き寄せた。
「ごめんな、詩乃ちゃん」
「開司さん――」
「考えてみれば、俺は君を放っておいてばかりだったかもね」
 彼女が交通事故に遭って、病院のベッドの上で眠り続けていたときもそうだった。肝心な時に開司は野球の試合に負け、幸せ島へと島流しにされた。一番、彼女の傍に、いてやるべきだったというのに。
「ごめん。どれだけ謝っても、これまでの時間は帰ってこないけど」
 でも、二人には未来がある。
「これから、ずっと一緒にいることは出来るから」
 少女の手が、腰に回される。一緒にいることを確かめるように、強く抱きとめられた。
「無人島、ずっと、二人でいよう。約束だ」
 一言ずつ、噛み締めるように囁くと、詩乃はゆっくりと顔を上げ、にこりと微笑んだ。目の端に溜まった涙が、きらりと光った。
「えへへ。開司さん、大好き」
「俺もだよ、詩乃ちゃん」
 開司が唇を近づけようとすると、待ったとばかりに詩乃の手がそれを塞いだ。
「ちゃんと、言葉で言ってくれなきゃ、やだ」
 開司は目だけで天を仰ぐと、覚悟を決め軽く息を吐き、少女と自分の視線を絡ませた。黒曜石のような、黒い瞳に、自分の顔が映るほどの距離で。
「――俺も大好きだ、詩乃ちゃん」
 そっと囁くと、少女の小さな唇に口付けした。











「ぐぅ……鼓膜、破れるかと思いましたよ?」
「悪い。仕返しってヤツだ、許せ」
 許せって、全然悪く思ってないでしょ!
 そう叫びたくなるのをぐっと堪え、七瀬猛は溜息を吐いた。悪びれない様子で、ふてぶてしく鼻を鳴らす先輩の声を聞いていると、そんな気分もどこかへ吹っ飛んでしまったが。
「それで、どうしたんです? まさか、モーニングコール――」
「お前と一緒にするな。俺も当たってたんだよ、例の」
「本当ですか?」
「冗談で電話なんかするか。どうだ、凄いだろ」
 子供のように自慢をする先輩の姿を想像して、猛は思わず笑った。あれほど興味が無さそうにぶっきらぼうに返事をしていた先輩も、やはり旅行に行けるとなると嬉しいのだ。そう考えると、憧れだった先輩が大分近しい存在に感じられた。
「いや、でも凄いっすね。まさか、二人揃って当選するなんて」
「ああ。これも俺の普段からの行い、だろうな」
「それを言うなら俺でしょう? 翔一さん、しょーも無い仕返しとかしてきますし」
「バカ言え、ふっかけて来たのはお前だ。やっぱり俺のお陰だな」
 この先輩、なかなかに子供っぽい。ますます親近感が増した。
 だがいつまでもこの不毛な争いをするわけにもいかないので、猛は先に折れることにした。
「まあまあ、いいじゃないですか、どっちのお陰でも」
「ああ。分かればいいんだ、分かれば」
 ちっとも分かってないのは、アンタじゃないか――!
 勿論声には出さず、猛はこめかみを押さえながら強引に話題を変えた。
「それで翔一さん、他に誰か一緒に応募した人はいるんですか?」
「ああ、彼女とな。それと、昔のクラスメートも応募したらしい」
 さらりと言ってのける翔一に、猛は大人の男の片鱗を見た。なんだかんだ言いつつも、やはりこの男は尊敬すべき人なのだ、と一人頷いた。
「彼女! いいっすね〜、年末年始は二人っきりでアツアツですか! 羨ましい……」
「そう、上手くいくとは思えんがな。そもそも、俺とお前が当たっただけで奇跡のようなもんだ」
「まあ、俺としては、当たってくれない方がいいんですけどね」
「なんだ猛、素直に人の幸せを願ってくれないのか?」
「――だって俺、彼女いませんし」
 受話器の向こうで、息を飲む声が聞こえた。猛の前で、彼女という区域は触れてはいけないこと。チームメイトの誰もが噂していることだった。その噂を知っている本人としては、余計なお世話としか言いようが無いのだが。気まずそうに、翔一が詫びを入れる。
「そ、それは、悪かったな。ああ」
「別にいいっすよ。もう、慣れましたし」
「まあ、お前もプロの選手なんだ。浮いた話の一つくらい、すぐ出来るさ」
「はぁ……そんなもんですかね」
「ああ。それに顔だってそこまで悪くないんだ、高校時代の知り合いとか、どうだ?」
 そこまで、って、励ます気あんま無いですよね――
 さらに落胆しながらも、そう言われて、猛は二人の少女をすぐに思い浮かべた。石川梨子と、霧島玲奈。どちらも高校時代、何度かデートに行くくらいの仲だった。特に玲奈の場合は、マネージャーとキャプテンということもあり、とても親密な関係なはずだった。だが、二人の関係はそこまでだ。今は、たまにメールをやりとりする程度の交友関係である。
「ダメですね。知り合いはいるんですけど、もう疎遠です」
「なんだ、疎遠ならまだ望みはあるんじゃ無いのか?」
 翔一の鼓舞する声。確かにその通りだった。
「ダメなんです。何故か分からないんですけど――彼女を作ろうとする、というより、誰か女の子と仲良くしようとすると、頭が痛くなるって言うか、ボーっとするって言うか、とにかく体が拒否するんです」
「なんだ、それ。本当なのか」
 沈黙が答えだった。翔一、パルス越しに何度か唸ると、ポンと手を叩いた。
「ああ。お前、もしかして――」
「もしかして?」
「男色なのか」
 猛、盛大にこけた。真面目に聞いてくる先輩に対し、怒りよりも感謝の気持ちが上回った。この先輩は、似合わない冗談を自分の為に大真面目にやっている。口振りから、それが理解できた。
 自然と、口から笑みが漏れる。
「はは……そんなわけ、ないじゃないですか」
「だ、ろうな。絶交するところだったぞ」
 ははは、と翔一の大きな笑い声が響く。くよくよしていた気分が、晴れていくのを感じた。
「まあ、そんな悲観するな。お前はまだまだ若いんだしな」
「分かってますよ。きっと、先輩よりもいい彼女を見つけてみせます」
「言ってくれるな。だが、ヒナコを越す彼女はそうそういないぞ」
 その時、受話器の向こうで小さくインターホンの音が聞こえた。続いて、ぼりぼりと頭を掻く音。
「噂をすればだな。多分」
「ヒナコさん、ですか?」
「ああ。朝飯を作ってくれる」
 そう言う翔一の口調、ぶっきらぼうながらも嬉しさが滲んでいた。先輩の、穏やかな笑顔が脳裏にイメージされる。
「いい彼女ですね」
「全く、俺に不釣合いなほどな――じゃあそういうわけで、切るぞ」
「はい。それじゃあ、またお電話します」
 言うや否や、切れた。よほど楽しみにしているのか、別れの挨拶は無かった。
 あの先輩も、彼女と一緒にいるときはデレデレしてるのかな。
 ふと、そんな考えが浮かび、猛はそのあまりの似合わなさに一人噴き出した。