そして六郷開司は、体育館のようなホールに収容された七十人のうちの一人として目を覚ました。
「う、ん……あれ、俺、寝てた……?」
髪の毛を撫でつけながら、ゆっくりと上半身をもたげる。まだ焦点の定まらない視界に見えたものは、無造作に投げ出されたまま眠る人々の群れだった。途切れがちになっていた意識が、急速に覚醒する。
なんだ、これ――!?
首を左右に巡らす。見覚えのある顔付き、どれも集合場所である極亜久高校で見たものだと理解した。そして、自分のすぐ隣で眠っている詩乃の存在に気が付く。あどけない表情で寝息をたてる少女の肩を、開司は激しい焦燥に駆られながら、強く揺すった。
「詩乃ちゃん! しっかりするんだ、詩乃ちゃん!」
「ん、んん――開司、さん?」
少女が名残惜しそうに、両の瞼を離す。自分にも少女にも、特に異常は無いようだ。開司は深く安堵の息をつきながら、詩乃の体を優しく抱き起こした。まだ半分ほど眠っているのか、少女は開司に体重を預ける。ぼんやりとした眼で、しばらく辺りを見回していた少女は、欠伸を噛み殺しながら、ぼんやりと首を傾げた。
「ふぁ……まだ、眠いわぁ。ここ、無人島なん?」
「そうかも、しれない」
歯切れの悪い返事なってしまった。開司にとっては、全く確証がなかったのだ。
視線を感じその方向に目を向けると、詩乃が自分の首辺りを眺めていることに気がついた。
「どうかしたの? 俺のこと、ジロジロ眺めちゃって。惚れ直した?」
「え? ぜ、全然違うよ。あ、惚れてることは、間違いあらへんけど……って、そうじゃなくて。開司さん、ネックレスなんてしてたん? それ、ちょっと開司さんには似合ってないかもしれへんよ」
「ネックレス?」
弾かれたように、首の辺りをまさぐる。金属が指に当たり、小さく音を鳴らした。顔色が、さっと冷めていくのを感じる。あるはずのないものが、そこにはあった。
「これは、一体――?」
親指と人差し指を慎重に這わせ、その形状を測る。首の根元に括りつけられているそれは、ネックレスよりは首輪と言った方が正しく思えた。首周りに若干の余裕こそあれど、一度気付いてしまうと異物感は拭えない。金属特有の冷たさが、やけにむず痒く感じられた。
見ると、少女の首にも同じものが付いている。いや、詩乃だけではない。周りで眠っている人たちの首も同じように、銀色の首輪によって括られていた。
「詩乃ちゃん、君にも同じものが付いてる」
「えっ? ――あ、ホンマや」
「あまり触らない方がいいかもしれない。そっとしておこう」
「うう、なんか肌について気持ち悪いわ……」
脳の奥で、警告のランプが絶え間なく明滅している。もしかしたらこれは、島での行動を把握する為のギミックなのかもしれない。だが、ここへの運搬方法、そしてこの現状と組み合わさってくると、状況は別に思える。何か、自分の想定外の出来事が始まろうとしているのではないか。背中に隠している未来の銃に手が伸び、そしてその指は空を切った。
銃が無い。それだけではない、自分たちが持ってきた荷物もここには存在しない。念入りな持ち物検査――海外でもないのに、その必要はあるのか。知らず、目つきが険しくなる。少女が、困惑の眼差しで開司の顔を覗きこんだ。黒い眸子は、今にも泣き出しそうに濡れて見えた。
「どしたの、開司さん? 怖い顔しとるけど」
「いや、なんでもないよ。忘れ物したかな、と思っただけ」
咄嗟に作った笑顔で対応する。この少女に、焦燥を伝染させてはいけない。だが、少女はそれで荷物がなくなっていることに気が付き、その顔をさらに不安げに曇らせた。
「そや、荷物……私たちの荷物、どこにあるんやろ?」
「そ、それは」
詰まるな、すぐに返事を返せ。適切な答えを求め、脳をフル回転させる。
出てきた回答、あまりにも単純すぎて自分でも呆れてしまうような代物だった。
「多分、預けられてるだけだって」
「そう、かな。うん、そうかもしれへんね」
詩乃の口調は、自分に言い聞かせるような小さく儚げなものだった。
こんな表情は見たくない。心からの願いに、さらに苦し紛れの台詞が口から出てくる。
「そうだよ。ほら、無人島だから危険物を持ってたら大変だからさ」
「あ、なるほど。開司さん、頭ええね」
あまりにも浅すぎる考えだが、どうやら少女を一時的に安心させるには事足りたらしい。詩乃は胸の前でぽんと手を打つと、緊張していた相好をくしゃりと崩した。
「きっとこの首輪も、参加者の場所を把握するためのセンサーとかじゃないかな。無人島ってことは、未開の地も多いだろうから、危険な場所とかに入った時警告してくれる。とかさ」
「そっか、それなら納得かも……」
感心の眼差しでこちらを見上げる少女に悟られないように、開司はふぅと溜息をついた。
とりあえず、その場凌ぎ程度にはなっただろうか。問題の解決には全く至っていないが、もしかしたら本当に自分の言った通りという可能性もある――
その時何の前触れも無しに、天井に埋め込まれたスピーカーからザ、ザとノイズ音が漏れた。二人の視線が、上空の一点に集中する。ノイズ交じりの、老人のような声がツアー参加者たちへと降り注ぐ。
「――時間だ。収容者どもを、起こせ」
それが合図となり、ホールの至るところから迷彩服に身を包んだ兵士たちが一斉に現れ、開司たちの周りで眠っていた人間たちを乱暴に蹴り起こした。少女は、信じられないものを見たかのようにはっと息を呑み、幼児のように開司の服の裾を握った。開司、全方位に満遍なく注意を張り巡らせながら、鋭い視線で兵士たちを観察する。一人一人が、機関銃を肩から提げ腰元にホルスターに入った小銃を持っている。無人島に虎がいたとしても、ここまでの兵装はしない。いよいよ、疑念は確信へと変化していた。
ホールの高い天井に、起きた人たちのざわめきが木霊する。戸惑い周囲の人間とひそひそ話す者、相手を据えずにとりあえず怒声を張り上げる者、何も言わずただ不安げな面持ちで成り行きを見守る者。喧騒が臨界点にまで達したとき、一人の男がかつり、と高い靴音を立てながらホール前方のステージに現れた。
目深に被ったシルクハットと、体全身をすっぽりと覆っているマント。まるで自分の姿を隠すかのように、ひたすらに露出を避けているように思えた。唯一見ることのできる部分は口元のみだ。
思い思いの感情を口にしていたツアーの参加者たちは、その男を見つけると一斉にその矛先をそちらへと向けた。ここはどこだ、どうして荷物が無い、この首輪は何だ。概ね開司らと同じ疑問を、矢継ぎ早に男へとぶつける。
男はしばらく黙り込みながらその喧騒に耳を傾け、そして口の端を歪ませた。一瞬のノイズ、そして、一言だけの呟きをぽつりと、漏らす。スピーカによって拡張された、地獄の底から発せられたようなしわがれた低い声は、全ての参加者の口をいとも簡単に封じてみせた。
「――黙れ、虫けら共」
場を包んでいた熱気のようなものが、瞬間的に冷え、そしてさらなるボリュームを伴ってすぐに再発した。参加者たちは、次々に怒声、罵声を男に浴びせる。先程と同じように、まるでこの騒音を楽しむかのように身を委ねていた男は、にやりと黄ばんだ歯を見せほくそ笑み、そして一転しホール全体を揺るがすかのような大声を張り上げた。
外藤侠二もまた、他の参加者たちと同じように、胸に渦巻く不安と疑問を爆発させていた。
「な、なんなんやあのクソジジイは!」
既に集まっていた水原、村上、武田の三人も、それに続き男へと毒づく。
「そうですそうです! いきなり『虫けら』呼ばわりなんて、非常識もいいところだ!」
「ああいうのは、一度ギタギタにしないと気が済まんの」
「外藤さん、もっと奥に行こうッス!」
武田の提案に、三人は頷く。一度間近で文句を、できることなら一発お見舞いしたいくらいだ。人の波を掻き分け、徐々にステージへと近付いてゆく中、男からのさらなる言葉が降り注いだ。
「黙れと言っているのが解らんか!」
ツーンと、残響音が響く。今度こそ、場が静まり返る。男は最初と同じ低い声で、演説を始めた。
「諸君、今日は『無人島ツアー』にようこそ。その幸運を、心から祝福しよう」
声色は微塵も祝っていない。無機質な祝福の言葉を、外藤らは虫唾の走る思いで聞いていた。
「今日から数日間、諸君はこの無人島で過ごすことになる。勿論、当初の宣言通り全ての消費物の負担は我々が負う。食料や水、その他の物は全てこちらで用意しよう。後で、デイバッグに入れて渡そう」
参加者たちが、仄かに話し始める。カップルと思わしき二人組が、なんだ普通のツアーじゃないか、と楽しげに話すのを、外藤は心の中でそんなはずは無い、と強く否定した。
誰かが、声を張り上げる。
「俺らの荷物は、その時一緒にもらえるのか?」
だが壇上の男はまるで聞こえないかのように演説を続けた。その表情を読むことは、できない。
「ただし、この島にもルールというものがある。今から諸君に、そのルールについて説明をしよう」
淡々と、まるでテープに録音された声のように一方的に話を進めてゆく。外藤は男の態度に眉を顰めたが、あと少しの辛抱だと、近付くステージを見ながら拳を握りこみ、その怒りを飲み込んだ。
「まず一つ。海へ入ることは禁止だ。もっともこの季節、進んで入るものがいるとは思えないが」
くく、と喉で笑う声がスピーカーに混ざった。
なんなんや、さっきからの態度は。鼻に小皺を寄せ、双眸をすっと細めた。
「二つ。解散してから、この我々の本部に近付くことも禁止だ。目印として、本部周辺の木を伐採しておいた。くれぐれも注意するんだな、その区域に侵入した場合は然るべきペナルティを与える」
どうして、そんなことをする必要があるんや?
その疑問を抱いたのは外藤だけではなかったのか、周囲が一斉にざわつきホールは再び喧騒に包まれた。
そして、更なる爆弾が、男の手によって、何の前触れも無く落とされた。
「三つ。これで最後だ。諸君にはこの島で、殺し合いをしてもらう。生き残れるのは、たった一人だ」
「な、なんやて――?」
体中を電撃が走るような衝撃。鳥肌がぞわりと総立ちし、思考が凍りついた。
「ふ、ふざけんなッス!!」
武田が、辛抱の限界とばかりに間髪入れずに叫び、壇上めがけて走り出した。残る三人も、はっと顔を見合わせるとすぐに武田の後へと続いてゆく。ステージの上へと飛び乗ったとき、舞台脇から音も無く武装した兵が姿を現し、機関銃の銃口を参加者たちへと向ける。悲鳴と怒号を背後で聞きながら、外藤は男を強い眼差しで睨みつけるも、男は外藤たちなど見えぬかのように平然と口を動かした。
その内容が、スピーカーで拡張され全体へと響く。内臓マイクのようだった。
「黙れ。諸君の首に付いているそれは、大神の造った最新の小型爆弾だ。ああ、無理に外そうとすると爆発するから注意しろ。それ以上喧しい鳴き声を上げるのであれば、片っ端から爆破するが?」
低い、ドスの効いた声に、ホールが静まり返った。参加者の顔が恐怖に青ざめ、ある者は泣き出し、ある者は呆然と地面に膝を付き、またある者は恨みがましい目線で男を睨んだ。
堪えきれなくなった武田が、拳を握り締めながら怒鳴る。
「お前、本気で言ってるんスか?」
「当たり前だろう。私は見たいのだよ。貴様らが、虫けらのように地べたを這いずり回りながら、その顔を絶望の色に染め上げ、血に塗れてゆく惨劇をな」
愉悦を含んだその声に、武田は青筋をこめかみに浮かべ叫んだ。負けじと、外藤も、水原も村上も叫ぶ。
「ふざけるな! 誰が、殺し合いなんてやるかッス!」
「そうじゃ、冗談にもならん! 最低の野郎じゃ、お前は!」
「今すぐワシらを元の生活に変えすんや! もっとも、それだけじゃ許さへんがの」
「さあ、銃を降ろしてもらおうか!」
外藤らの罵声を、うざったそうに足で地をコツコツと叩きながら聞いていた男は、ふと面を上げ目の前の四人を見据えると、最初に発言した武田を見定め指差した。
「お前。その勇気、なかなか大した物だ」
「は?」
武田、何を言われたか解らないといったように口を開けた。静まり返ったホールの中、無機質な声だけがその場を支配する。
「真っ先に批判をするのは、日本人にしてはとても珍しい。媚び諂い、何かと二番手になることを美徳とするJap風情がよくやった、と褒めてやりたいところだ。が」
シルクハットに隠された視線が、鋭く武田を射抜いた。
「だが、私に反論をすることは許されない」
パチン、と指が打ち鳴らされる。次の瞬間、外藤らを取り巻いていた兵士たちは、一斉に指差されたまま呆然としていた武田に向けて発砲した。外藤が、何が起こったのかを理解し武田を振り向いたときには、既に見慣れた後輩は体中に穴を開け、変わり果てた姿となって絶命していた。
「た、武田……?」
自分でも信じられないほど、間抜けな呟きが口から漏れる。それほどまでに、数分前まで男に怒りを募らせていた武田が、血飛沫を上げる『何か』に変わり果ててしまったことが理解できなかった。
シルクハットの奥の目は笑っている。ふつふつと、怒りが徐々に込み上げてくる。脳が事実を完全に理解したとき、既に体は動き始めていた。
「野郎、よくも武田を!!」
「止めるんじゃ外藤さん、あんたも撃たれるぞ!!」
飛び掛ろうとするも、村上に羽交い絞めにされ止められる。銃口が自分に向くのを感じ、不覚にも恐怖で喉が鳴るのを感じた。その様子を眺めた男、つまらなさそうに鼻息を吐いた。
「そいつは見せしめだ。私に刃向かえば誰でも同じように肉塊にしてやろう」
「ぐ、ぐ……」
「外藤さん、堪えるんです――」
水原が耳元で囁く。燃え滾る感情の波は、男を殴り飛ばせと叫んでいる。だが、外藤はその場で、強く地団太を踏むことしか、できなかった。
ホールに絶望の呻き声が蔓延するのを、シルクハットの男はしばらく口を満足げに歪めながら聞いた後、この企画の説明を続けた。
「詳しいルールは、島の随所にあるスピーカーから、貴様らの出発後に伝える。あと、何か話し忘れたことは――おお、そうだ! 私の名前を言っていなかったな! 我が名はリッチモンド! 地獄から蘇りし男、リッチモンドだ! 脳髄に刻み込め、貴様らはこの名の下で殺し合いをするのだ!」
言い終えると、愉快げな笑いを漏らす。
こいつ、狂ってやがる。
今まで、ここまで邪悪な笑みを浮かべられる人間を見たことは無い。恐怖のあまり泣きじゃくる詩乃を胸元に強く抱きしめながら、相対したことの無い巨大すぎる悪に、開司は密かに畏怖の念を抱いた。
リッチモンドが優雅に一礼をして壇上からその姿を消すと、マイクを持った黒服が入れ替わりに現れる。
「ではこれより、名を呼んだものから出発してもらう。ただし先程、リッチモンド様からも宣告されたように、全員の出発後十分経過より、この本部付近は立ち入り禁止となる。もし立ち入った際は首の爆弾が作動するシステムになっているので、くれぐれも注意するように!」
それから、黒服は一人ずつ五十音順に名前を読み上げてゆく。知った名をいくつか聞く中、ついに、詩乃の名前がホールに響き渡った。その瞬間、びくりと、少女は腕の中で大きく震えた。
「十五番、蕪崎詩乃! 早く出て来い!」
ヒステリックに何度も呼びかける黒服。このままでは良くない。開司は詩乃の肩にそっと手を乗せると、泣き腫らし充血した瞳を覗き込んだ。
「今は、行ったほうがいい。大丈夫。俺が、すぐに、見つけてみせるから」
「ホント、開司さん――」
こうして目を合わせる間も、ぽろぽろと大粒の涙は溢れ続けている。ふつふつと腸が煮えくり返るのを、開司は感じていた。どうして、何の罪も無い少女が涙を零さなくてはいけないのか。この現状を作り出した全てと、涙を掬うことしかできない自分が許せなかった。
「ああ。約束しただろ。ずっと、一緒にいるって」
全く信憑性の無い口約束。だが、それが彼女を安堵させてくれるのであれば。藁にも縋る思いだった。
少女の涙をそっと拭うと、少し余裕ができたのか小さく頷いた。そして、一歩を踏み出す最後の勇気を貰うため、目を瞑るとそっと唇を閉じた。開司もその思いに応えるため、唇を重ねようと近付ける。
だが次の瞬間、少女の体は荒々しく後ろに引かれ、開司の胸元に温もりだけを残し消えた。
「あ――っ」
「ここにいたのか、早くしろ! 手間取らせやがって……この小娘が!」
振り上げられる、黒服の腕。開司は咄嗟に飛び掛ろうとするも、四方から拳銃を突きつけられ、已む無くその動きを止めた。無慈悲に振り下ろされる豪腕が、少女の頬桁を強く鳴らした。
「野郎……」
歯軋りをする開司へと、黒服が冷酷な一言を呟く。
「恋愛ごっこもほどほどにしておけ。どうせお前ら、どっちかしか生き残れねぇんだ」
「――るせぇ! 早く、早く俺の名前を呼びやがれ!」
「そう慌てるなよ。えぇと――67番、六郷開司さん、よぉ」
黒服はパラパラと手元の名簿をめくると、卑俗な笑みを開司へと向けた。挑発している。誰にでも分かる安い挑発、そしてこの男は、それをしたら開司がどうなるかも把握した上で言っているのだ。
殴りかかりたい。殴りかかって、バラバラにしてやりたい――
胸の中で渦巻く衝動。だが、それをしてしまえば、自分はもちろん、詩乃の命まで危険にさらされるかもしれない。そんなことよりも今は、自分の番号の遅さが呪わしかった。
開司が動かないと分かると、黒服は興が冷めたと言わんばかりに唾を吐き捨てると、詩乃を引き連れつかつかと歩いていった。痛々しく腫れ上がる詩乃の頬、とても直視できるものではなかった。
待ってろよ、必ず俺が、迎えに行くから。
新たな誓いを立てると、開司はその名が呼ばれるのを一心に待ち続けた。
こうして12月28日18時、生き残りをかけた最悪の椅子取りゲームが、その火蓋を切って落とした。
【37 武田剛 死亡】
【残り69人】