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 仰向けに、小さな体が地面に横たわる。ちっぽけな自動拳銃が放った小さな銃弾は、ヒナコの心臓を真っ直ぐに捉えていた。止め処なく胸元から吐き出される真っ赤な血が、旅行用にと新調した服を赤黒く濡らしてゆく。あ、と小さく声を上げた時には、既に少女には指一本動かす力すら残っていなかった。
「あ、ああ……違う、私じゃ……私じゃ無い……」
 めぐみが子供の様にいやいやをしながら、呻き声を上げ後ずさる。見開かれた瞳は、信じられないものを見るかのように酷く狼狽し、大粒の涙をぼろぼろと零していた。そのすぐ目の前の光景すら、ぼやけて遠くのもののように見えることは、ヒナコにとってはもはや重要視すべき問題では無かった。
 ――わたし、死んじゃうのかな。
 他人事のように冷めた思考が、ゆっくりと膠着していくのが分かる。寒さを感じなくなってきた。全ての音がシャットダウンされ、空寂とした静けさだけが存在している。色鮮やかだった木々が、色彩を失い冷たく自分を見下ろしている。
 生きていた世界が、徐々に狭まってゆく。
 温かみを持って接してくれた世界が、自分を突き放しているようで――
 そのモノクロの光景は、昔の記憶を鮮烈に呼び起こした。

 真っ二つになった体。
 手だけが残った母親。
 逃げてゆく友達。


 あの時と、同じだ。
 みんないなくなって、わたし一人になる。
 そんなのやだよ、寂しいよ。
 助けて、翔一さん――


 閉じかけていた瞼の向こうで、めぐみが突然走り始めた。しきりに後ろの様子を窺いながら、銃を握り締めたまま去ってゆく。
 やっぱり、自分はひとりっきりなんだ。
 もう、終わりだ。全てを諦め、瞼の力をそっと抜こうとしたとき。
「ヒナコっ!!」
 視界に、心から望んでいた彼が姿を現す。
 よかった、ひとりじゃない。
 じんわりと、目尻が緩む。
「ありがとう、しょういちさん――」
 長く整った睫毛の下から、一筋の涙がすぅと流れ落ち。
 翔一の腕の中で、弱々しく灯っていた命の炎が、消えた。











 人間の一生には、小さなものから数えてゆけばキリが無いほどの悲しみが溢れているんだと思う。短いとは言えないこの人生の中で、一体どれほどの悲しみを見てきただろうか。きっと、覚えていられないほど、うんざりするような数なのだろう。だがその悲しみの山の中に、今以上のものを見つけることは、翔一にはできなかった。
 声が涸れるほどの、咆哮。胸の内を全て吐き出すように慟哭する先輩と、まるで抱きかかえられ眠っているかのように見えるヒナコを、猛は呆然と見ていた。
 ヒナコの伏せられた瞼、可憐な薄桃色の唇は、まだ生きている人と遜色無いように見える。ただ、胸元から広がり全身を染めている真紅の血液のみが、それだけが異常だった。
「どうして、こんなことに……」
 猛の呟き。少年はよろよろと後ずさると、木に背中を預けそのまま力無く座り込み、ヒナコの名前を呼び続ける翔一に目をやった。
 少女の名前をいくら叫んだところで、もう彼女が返事をすることは無い。
 少女の体をいくら揺すったところで、もう彼女が動き出すことは無い。
 どれほど翔一が涙を流したところで、もう彼女は目を覚まさない。
 これが殺し合い。この島で強制されたこと。自分がいつ奪われる側に回るかも分からない、過酷で不条理過ぎる生存競争。猛は震えを収めるかのように、デイバッグを強く握り締めた。
 その一方で、冷めた思考を持つもう一人の自分がいる。これは殺し合いだ、その事実はこれで目に焼き付けた筈だ。次に狙われるのは自分かもしれない、いつまでもこんなところで失望しているわけにもいかないだろう。銃声を聞き駆けつけてくる人間が、他にもいる可能性は大いにあり得るのだ。逃げ出せ、考え込むのはそれからでもいい。
 打ち勝ったのは恐怖心だった。ヒナコがもう生き返らないのだというなら、いつまでもここに留まるのは死にたがっているようなものだ。生きたいのなら、翔一を連れて、ここから早く逃げ出すべきだ。
 軽薄すぎるかと、一瞬心が咎める。人一人死んで、どうして自分はここまで冷静でいられるのかと問い質したくなる。結局、自分は助かりたい、生き延びたいという考えだけ持った浅ましい人間なのかと。
 ――そうではないと、信じたかった。
 ふらつく足取りで、ヒナコを腕の中に抱いたまま項垂れる翔一の後ろに立つ。肩を叩くことは、なぜかとても憚られた。
「翔一さん……」
 返事は返ってこない。ただ、体中から溢れる悲しみのオーラだけがひしひしと伝わってくる。悲しみの深淵にいる翔一の気持ちを理解することはできなかったし、した振りをするのはとても失礼なことだと思う。
 決心して、肩に軽く手を添える。巌のように張った肩すらも、とても小さく見えた。
「猛――」
「翔一さん。薄情な奴だと思われるかもしれませんけど、敢えて言います。逃げましょう。いつまでもここにいたら、誰か来る可能性がある」
 感情を押し殺した声。自分でもみっともないと思うが、ヒナコの姿を見るだけで、足がガクガクと目で見て分かるほど顕著に震えだす。
 自分が同じようになるのが怖い。今すぐ逃げてしまいたい、それでも。
 それでも俺は、翔一さんに生きてもらいたいんだ!
「翔一さん!」
 内心の覚悟を吐き出すように、声を張り上げ強く呼びかける。焦燥に駆られ、知らず怒った物言いになった。すいません、と小さく呟く。翔一からの返答は無い。もう、ダメなのか――諦めかけ、俯き顔を苦渋に歪めたとき。
「約束を、したんだ」
 聞きなれた、だが抑揚の無いいつもと違う声。
 それは、搾り出すような、とてもゆっくりとした呟きだった。
「一緒に、初日の出を見る。そんな、些細な約束だった。お願いするまでも無い、当たり前のこと。俺は確かに、ヒナコとの晩飯を飲み会ですっぽかすような、ろくでもない甲斐性無しだ。それでも、一緒に日の出を見て、長い長いキスをしてやることくらい、出来た筈なんだ」
「翔一さん……」
「夢の果てが、これだ。ヒナコは、死んだ。最期まで、俺の名を呼んで、死んだ」
 言葉の端々に鼻を啜る音が混じる。手を乗せた肩が、小刻みに震えている。
 翔一は、声を殺して泣いていた。
 重く押し黙ったままの少女を胸に抱き寄せ、暗闇の中に溶け込むように、静かに泣いていた。
「こんなに血を流して、どれだけ痛かったのか」
 ヒナコの髪に、顔を埋める。だらりと地面に垂れた少女の腕は、真っ赤な筋が何本も流れている。
「一人っきりで、どれだけ寂しかったのか」
 夜風がさぁと二人の間を走り抜ける。木々の濃いここからは、煌く夜空を見ることができない。明かりの無い森の中で、翔一がこのまま暗闇の中に消えてしまうような錯覚に陥った。
「一度垣間見た死の世界が、どれだけ怖かったことか」
 何も、言うことは出来なかった。
「だが、それでもヒナコは、俺をなじりはしなかった。約束も守れず、大事な時に傍にいてやれない。最期まで、ヒナコの為に、何もしてやれなかった。だが、ヒナコは、そんな俺に、笑ってくれた」
 堪えきれなくなった嗚咽が混じる。辺りは風の音以外何も聞こえない。木々のざわめきさえ、翔一の言葉に耳を澄ませているかのように静かだ。翔一はヒナコを抱きかかえたまま、背中を丸め俯いている。まるでその姿は、教会で祈る熱心な信者のように見えて。
 そして猛は、これが自分に語られているのではなく、翔一が懺悔しているのだ、と理解した。
「何もできなかった俺に、ありがとうって、言ったんだ」
「――っ」
 感情の導火線に火がつく。顔を覆う猛の両手の指の隙間から、涙がぽつりぽつりと零れ落ちる。立っていることができないほど、脳をミキサーでかき混ぜられたように様々な感情が溢れ出てくる。恐怖、悲しみ、そして腸が煮えくり返るような、激しい憤りと憎悪。どうしてこんな人間が死ななくてはいけないのか。彼女は最期まで、ただ翔一と二人でいたかっただけなのに。
 もし、命の炎が燃え尽きるその瞬間、翔一と出会い、一人きりで逝くことが無かったということを僥倖と言うのならば。
 神とは、どれほど惨い仕打ちをするのだろうか!
 怒りに打ち震える拳を、爪が食い込むほど強く握る。やり場の無い矛先、それでも収まることは無く、猛は太い木の幹を殴った。痺れるような痛みとともに、じわじわと破れた皮膚から血が滲み出る。
 ヒナコさんの痛みは、こんなものじゃなかったんだ――!
 吹き荒れる暴力の嵐。ヒナコを殺した女性を力一杯殴り飛ばしたかった。どれだけ泣き、詫びたところで恐らく自分は許さないだろう、とことん痛めつけ、ヒナコと同じ思いをさせ、そして――そして、どうするのか。
 はっと息を呑み、我に返る。脳髄を麻痺させていた興奮が波を引いてゆく。
 一体俺は、その女性をどうする気だったんだ?
 自分の感情のままに殴り、怒りを剥き出しにしてぶつけ、果ては命を奪い、立場を逆転させる。それでは、自分もただの人殺しではないか。憎悪の連鎖、発展の無い無意味な怒りの生産。自分が憎んだ立場に進んで立つのだから、皮肉にもならない。
 だが、ならば何もせずに指を咥えているだけなのか。ヒナコの死に対して、ただ込み上げる怒りを鎮めてすすり泣くことしかできないのか。
 俺は、どうすればいいんだ?
 答えはすぐ傍にありそうなのに、何もすることができず歯痒い。今更になってじんじんと疼きだした拳についた木屑を払い、ポケットに突っ込み舌打ちした。
「猛」
「は、はい」
 突然名前を呼ばれ、慌てどもりながら返事をする。翔一の声調は、普段と変わらぬ早口気味に戻っていた。
「この殺し合いの終わりにあるものを、覚えているか」
「終わりにあるもの――?」
「ああ。勝ち残った、たった一つのイスに座った人間へのご褒美についてだ」
 ご褒美、という言葉に猛の眉が釣り上がる。まるでこの殺し合いを、ゲームか博打あたりとしか考えていないリッチモンドの台詞だった。あの、まとわりつくような低い声、忘れるはずもなかった。
「確か……なんでも、好きな願いを叶える、ですよね」
 この、子供騙しのような言葉こそが、リッチモンドが参加者に与えた爆弾だった。
 金でも、どこかの会社のポストでも、新しい人生でも、とにかくどんなことでも叶える。生き残りが望むのであれば、死者の蘇生もしてみせる。猛からすればまるで信じられないその言葉は、時として人を狂わせる劇薬になる。リッチモンドには、この絵空事を現実にするような雰囲気が確かに漂っていた。
「そうだ。例えそれが、死者蘇生であっても、な」
 一言ずつ、確認するように吐き出す。猛の表情、僅かに険が走る。脳の奥で、危機を知らせる動物的な勘が頭をもたげ始めている。
「約束を、したんだ。一緒に、初日の出を見るってな」
 既に聞いた独白。だが今度は、猛に向けられた言葉。翔一は立ち上がり、抱きかかえていたヒナコを草叢にそっと寝かせた。寂しげな笑みで、少女の髪をそっと撫でると、その表情は揺るぎ無い鋭い眼光を持った、いつもの翔一のものとなった。
「なら、守るのが筋なんだろうな」
 ヒナコを見つけたときに取り落としていたナイフを、長身を折り曲げ拾う。そして、鈍く光る切っ先を、猛の胸元に向ける。
「翔一さん、まさか」
「分かってる。これが、正しい答えじゃないんだろうってことは」
 でも、と。
 唇を歪めた翔一は、荒ぶる呼吸に肩を上下させながら、堰を切った感情が流れるままに、叫んだ。
「俺には、これしか思いつかねえんだよ!」
「落ち着いてください、翔一さん! 絶対間違ってますって!」
 頭の中、警笛がけたたましく鳴り響いている。冷静な自分の、いや、誰かの声が聞こえる。
 逃げろ、さもなくば、闘え。
 肩に提げたデイバッグの中には、ナイフが相手であっても引けを取らない銃が眠っている。それを用いれば、対等以上の優位に立つことができる、だが。
 俺には、銃を翔一さんに向けることなんて、できない――。
「翔一さんが、人殺しになってヒナコさんを生き返らせても、きっとヒナコさんは悲しみますよ!」
「だろうな」
「だろうな、って――」
「言っただろう。これが正しい道だとは、思っていない」
 研ぎ澄まされた双眸、相手をその場に縫い止める眼光。その中に、凄愴な決意を宿らせ。
「だから、最初のお前には詫びておこう。すまない、猛。そして、さよならだ」
 謝罪の言葉を吐ききるのと、両足が大地を蹴り飛ばすのは、ほぼ同時だった。
 一瞬にして、間が縮まる。刀身は灰色の軌跡を描きながら、真っ直ぐに猛の胸へと迫る。足から根が生えたようにそこから動くことができず、猛はその光景を、映画か何かのワンシーンのように呆然と眺めていた。
逆手に持たれたナイフが、胸筋を切り裂かんとその寸前まで迫った時。一本の腕が挿し伸ばされるのを、視界に捉えた。
 刀身と猛の間に割り込まれた、黒光りする小銃。二人の視線が、腕を辿りその持ち主へ移る。
「二つ、いいことを教えてやる」
 そう言うや否や、乱入者の長い足が持ち上げられ、がら空きになった翔一の脇腹に重々しい一撃が叩き込まれる。為す術もなく、翔一の体は木の葉のように軽々と吹き飛んだ。
「ナイフを逆手に持つなら、大振りをするべきじゃない。こんな風に、側部がノーガードになるからな」
「テ、メェ」
「そしてもう一つだ」
 長い前髪の奥から、すっ鋭くと睨みつける細い双眸。そして男は手馴れた仕草で、ゆっくりと起き上がる翔一に銃口を向けた。驚きの声が、猛から小さく漏れる。
「殺し合いなんてのは、野蛮な動物のすることだぜ。頭があるならもっと冷静になろうぜ、なぁ?」
 ――六郷開司は、口調とは裏腹に苦々しげな面持ちで、冷ややかに告げた。











 殺し合いの計画に選出された七十人を収容したホール。建物から五十メートルほどの木は、全てばっさりと切り倒され、そこに身を隠す場所は存在しない。もっとも隠れ場があったとしても、この区域に侵入すればそれは信号として主催者側に伝わり、首輪が爆破されるため、結局は意味が無い話であった。
 そのエリアに入るか入らないかというところで、変化の無い本部の様子をじっと監視する六人の影があった。外藤侠二をはじめとする、極亜久高校野球部OB。武田と翔一を除くと同じメンバーとなる同窓会のときとは異なり、その空気は重く沈んでいる。押し黙ったまま、誰一人として口を開こうとはしない。
 外藤は、合流してからずっとホールを見続けていた。薄暗く暗渠に浮かぶ白塗りの外壁を、ただひたすら瞬きも忘れたかのように睨み続けている。肩に提げられた機関銃が時折下がるのを、思い出したように直す以外は、身動ぎ一つせずただ注視していた。
 ずっと気を張ったままでは体に良くないと判断した亀田が、恐る恐る声をかける。
「あの、外藤さん……」
 外藤の口は、真一文字に結ばれたままだった。視線すら全く動かさない様相に、果たして自分の言葉は本当に届いているのかという不安に駆られる。
「外藤さん、聞こえてるでやんすか?」
「……なんや」
 無愛想な言い草。それでも返事が返ってきたことが嬉しかったのか、亀田は寂しげな笑みを浮かべやんわりと諫言した。
「ずっとそうしてたら、疲れるでやんすよ」
「構わん。それに、ワシは疲れてへん」
 顔を見る素振りもせず、外藤が言い捨てる。亀田の眉が八の字に曲がった。
「そんなわけないでやんすよ。少しは休まないと、体力が――」
「やめとけよ亀田。今の外藤さんは、何を言っても聞かないさ」
 肩に手を乗せ、三鷹が制止する。亀田は何か言いたげに口を開いたが、すぐに残念そうに首を振りその場に座り込んだ。
「武田のことで、頭が一杯なんだろうな。自分の責任だと思ってるんだろう」
「そんな……誰の責任でも、ないでやんすよ」
「そりゃ、そうだけどよ。外藤さんのことだから、一人で責任背負い込んじゃってるんだろうな」
 土を打つ音に、二人が振り返る。村上の拳、地面をへこませ抉っていた。面体は外藤と同じように、あるいはそれよりも深く苦悶の色が濃く現れている。その横に並び座る水原もまた、瞑想のように目を閉じてはいるが、額には皺が幾本も刻まれその心境を表していた。
「あの時、ワシらが武田を守ってやれば……クソッ」
「誰の責任でも、ないでやんすよ」
「責任とか、そんなものはどうでもいいんです!」
 水原の怒声。ひ、と平山が息を呑む音が耳に遠い。水原との付き合いの中で、彼がここまで荒々しい感情を剥き出しにするのを亀田は初めて見た。
「ただ、友を殺されたことがひたすら悔しい! それではダメなんですか!?」
「い、いや水原。誰もダメとは言ってねえよ。ただ、気に病みすぎるのはよくないっつーか」
「友が死んで、その態度は薄情というものではないんですか! 三鷹君、君は武田君が死んだというのにどうしてそんなに平然としてられるんです?」
 あけすけな水原の物言いに、三鷹の眉根が釣り上がる。
「お前、勘違いしてんじゃねえの? 俺だって悲しいし、悔しいに決まってんだろ」
「だったら! それ相当の態度というのもがあるでしょう!」
「悪かったな、俺は現実主義なんだよ。いつまでもウジウジ悩んだところで、武田は帰ってこねえだろ」
「っ……見損ないましたよ。あなたが、そこまで淡白な人だとは思わなかった」
「――んだと、コラ。勘違いするなって言っただろ!」
 一方的な物言いに、声を張り上げ水原の胸倉を掴みかかる。平山、頭を抱えて目の前の光景を見ないように震えている。亀田が二人を引き離そうと間に入るが、頭に血が上った三鷹に突き飛ばされ、強かに尻を打った。その場の誰もが、正気を失っていた。
 一体、どうすればいいんでやんすか!?
「やめるんや、お前ら」
 睨みあっていた二人の視線が、声の主に移る。応えるように、外藤はゆっくりと振り向いた。
「今はワシらがいがみ合う時やない。三鷹、手ぇ離し」
 三鷹、罰の悪そうな顔で手を離すと、軽く咽る水原とは目を合わせず、そのまま両手をポケットに突っ込んだ。そして外藤の咎める視線から逃れるように、二人に背を向けた。
「だが、三鷹の言うことは間違っとらん」
「そんな! 外藤さん、どうしてあなたが」
「水原」
 信じられない、といった様子で開口した水原は、外藤の憂いに満ちた表情を目にし口を噤んだ。
「その通りなんや。武田が死んだ事実は、変えようが無い。これはもう、どうしようもない」
「で、ですが! それではあまりにも、武田君が」
「せやな。このままじゃ、武田も浮かばれんやろな」
「まさか外藤さん、アンタ――」
 訝しげな三鷹の問いに、外藤は憮然たる視線を返答とした。
「あの野郎をぶちのめす。ワシは、リッチモンドがくたばるまでは絶対に死なん!」
「そ、それは僕も賛成ですが。しかし、どうやって?」
「そうでやんすよ。ここから先に進むと、首輪が爆発するんでやんすよ?」
「装備はたしかに何人分かはあるけどよ、突撃はキツいぜ外藤さん」
 矢継ぎ早に繰り出される質問。外藤はそれには答えず、再び五人に背を向けた。
「ワシにも、分からん。だから今できるのは……こうして、見るだけなんや」
 悔しげに、言葉を切る。誰も返事を返すことはできなかった。ヒートアップし立ち上がっていた水原たちは、自然とその場に座り込み、また以前と同じように黙り込む。亀田は、今度こそ見ているだけしかできなかった。
 結局、何もできないんでやんすか――
 自分の無力さ加減に腹が立つ。仲間が死んだとき、自分は壇上に上がることもせずただ恐怖に打ち震えていた。そして今も、仲間が割れそうになったときすら、何もすることができない。思い返せば、昔から常に何もできなかったような気さえする。そう、高校時代から、ずっと自分を引っ張ってきたのは。
 三矢君、どこにいるんでやんすか?
 どこにいるかも分からぬ親友の名を、亀田は心の中でそっと呟いた。











 真っ直ぐに翔一の眉間へと向けた銃口。だが、長身の男は怯む様子無く、鋭い眼光を開司に返した。
「撃たないのか」
「撃たれたいのか?」
 おちょくるような返答。だが、その言葉の中に剃刀のような鋭さが含まれているのを、猛は背筋を走る寒気で感じた。翔一、口だけで微笑むと、大振りのナイフを目線の高さで構えた。
「余裕だな。その態度、後悔するなよ――っ!」
 翔一の体躯が沈む。赤黒い外套をたなびかせ、開けられた距離を瞬きの間に踏み込む。息を呑む間も無く、眼前に迫るナイフに、開司は目の前の男の身体能力の高さを思い知った。背後で未だに呆然としている少年を、力一杯突き飛ばす。舌打ちと共に横に飛び、受身を決めつつ発砲。轟音が脳を揺すぶる。威嚇の為に発せられた弾は、開司の狙い通り翔一の脇を抜け樹木に深い穴を彫りこんだ。これで少しは勢いも弱まるだろうと、息をつこうとした、その一瞬。
「らああっ!!」
 躊躇う事無く突っ込んで来る翔一の覚悟に、開司は初めて体中から嫌な汗が吹き出てくるのを感じた。
 コイツ、死ぬのが怖くないのか?
 目の前を閃光が走り抜け、前髪が数本散った。紙一重のところでそれを避け、返しの一撃を小銃で受け止める。火花が散る。ぎりぎりと鍔迫り合いのようにかち合うお互いの得物、少しずつ押し寄せられる刀身に、開司は自分の不利を悟った。力勝負ならば、どうやら自分の勝ち目は薄いらしい。臍下丹田に力を込め、覇気の一声と共に全力で押し返す。バックステップで距離を取り、両者は再び睨み合いとなった。
 額に汗が滲むのを感じながら、開司は努めて何とも無い風を装った。
「フン。今までは暗くて分からなかったんだが、なるほどな」
「何の話だ」
「お前のことだよ、三矢翔一。野球界屈指のパワーヒッターが相手じゃ、いくら俺でも敵わないよな」
「褒めたところで、見逃す気は無いぞ」
「誰が逃げるって? 得物を見てから話そうぜ」
 小銃を器用に手の中で回すと、不敵な笑みと共に突き出す。だがその内心は、文句を言い出したくなるほどに焦り、苛立っていた。コイツ、完璧にブッ飛んでやがる。飽く迄表面には出さず、心の中で舌打ちをした。こういうヤツは、殺してもいいんじゃないのか――生かしていたって、他の連中が危険に曝されるだけじゃないのか? 浮かんでくる疑問。だが、それによって血に塗れた手を見て、詩乃は何を思うのだろうか。今更な話だ、開司は思う。今までだって、仕事で、反乱で、この手は幾度と無く汚してきたではないか。
 だが――その背景には、必ず『正義』があった。自分が、この歴史の流れを守っているんだという使命感、間違った支配から収容者たちを解放するんだという義勇心。果たしてこの戦いの何処に、自分の行動を裏付けてくれる『正義』があるのか。
 分からない――だけど、一つだけ分かっていることがある!
 右手をグリップの下部に添える。これで万が一つにも、この一発を外すことは無い。開司の真情の変化を悟ったのか、翔一の相貌に険が走る。背後で、少年の険しい声がした。
「アンタ……一体、どうするつもりなんだ」
「見りゃ分かるだろう、少年。この男はここで殺す。どうも芯からイカレちまってるみたいだからな」
「そ、そんな――」
「――出来るか、お前に」
 猛の言葉を遮り、翔一がはっきりと言い放つ。まるで人の心を見透かしたかのような言葉に、開司は改めて目の前の男に恐怖を覚えた。深く息を吸う。トリガーを握った指先、ほんのりと赤みを帯びていた。
「やらなきゃ、こっちがやられる。俺は死ぬわけにはいかない。これだけで、結論を出すには十分だろ」
「ああ。だが、俺も死ぬわけにはいかない」
 睨み合う二人。覚悟は出来た。僅かなきっかけで、二人の時間は動き出す。
 俺は、どうすればいいんだ。猛、荒くなる呼吸と早まる鼓動を聞きながら、その場から動き出せずにいた。飛び出したい。飛び出して、正気に戻ってくれと翔一に懇願したい。だが、脳裏に焼き付いたままの動かぬヒナコの映像が、事あるごとにフラッシュバックしその思いをうやむやにする。死ぬことが怖い。痛みで苦しみながら死んでゆくのが、とても恐ろしかった。猛にはもう、祈ることしか、出来なかった。
 頼む。誰か、助けてくれ――






 その願いが、天に届いたのか。






 二人の間に、何処からか球体の何かが投げ込まれる。翔一も開司も、完全に不意打ちを喰らった形になり、慌ててその物体を凝視した、瞬間。眩いばかりの閃光が、辺りを包んだ。二人の視界が、一瞬にして白い闇に閉ざされる。堪らず地面に膝を突いた開司へと、落田太二が息を切らし走り寄った。
「無事でやんすか、開司君!」
 声をかけるも、落田が投げ込んだスタン・グレネードは二人の聴覚も奪い去っているため、開司は苦悶の表情を浮かべるばかりだ。反応を示したのは、猛の方だった。
「ゆ、湯田君!?」
「ん、アンタは誰でやんす? もしかして、アンタも開司君を狙っていたんでやんすか?」
「俺は、そんなんじゃ!」
「だったら、アンタもとっととここから逃げるでやんすよ! ほらほら、こっちでやんす!」
 落田は開司の腕を肩に回すと、うろたえるばかりの少年に、着いて来いと手招きをする。猛は言われるがまま数歩よろよろと歩き出すと、くるりと反転し地に伏せる翔一へ叫んだ。
「翔一さん! 俺は、俺は――っ」
「何してるでやんす! 早く来るでやんすよ!」
 落田、咎めるように少年を急かす。言いたいことが多すぎて、何を言えばいいのか分からなかった。様々なことが一度に起こり混乱する頭を掻き毟ると、猛は思いつくままの言葉を口にした。
「絶対、あなたを止めてみせますから!!」
 それだけ言い放つと、少し離れた場所でその光景を見ていた落田に頭を下げる。落田は何も言わずに、顎で行く方向を示し、開司と共にその場から離脱した。猛も、その後に続く。少し進んで、後ろを振り向いた。
 膝立ちで目頭を押さえる翔一は、泣いているようにも見えた。



【18 唐沢ヒナコ 死亡】
【残り67人】