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 頑張れ、僕がしっかりしなくちゃいけないんだ――。
 佐藤勇太は、脇に寄り添う佐藤由紀の肩を抱き留めながら、目を瞑り深く息を吐いた。今も、喉まで出掛かっている悲鳴。叫び出してしまうことは簡単だったが、傍らで震える由紀を怖がらせることだけは、絶対にしたくなかった。震えを抑えるように、強く由紀を抱き寄せる。
「勇太君――」
「大丈夫。僕が、いるから」
 途切れ途切れに紡ぐ、何の裏付けも無い言葉。取り得らしい取り得も無い自分に、一体何ができるのだろうか。ホールからの解放直後、唯一の望みをかけて開いたデイバックに入っていたのは、泣きたいくらいに脆弱な棒切れ一本だった。脳裏に広がるのは、どう転んでも行き着く先は死という結末。まるで、断崖の絶壁に立たされた気分だった。
「勇太君……」
 暗闇に溶け込みそうな、か細い由紀の声。だが、体の震えは止まっていた。見上げる瞳、丸いガラス球の中には、自分の姿だけが大写しになっている。そして、唐突に気が付いた。自分にしかできないこと。技能や武器なんて無くても、彼女を抱きしめることはできる。彼女が自分を必要としていて、お互いが同じ気持ちであるなら。
 ――それは、どんな武器よりも強い力なんだ。
 遠い日、学校の屋上で見た夢。あの時思い描いた、男らしい自分の姿に、少しでも近づけているだろうか。隣にいたキャプテンに、勇太は心の中でこっそりと問いかけた。
 がさり、と静寂を破る草葉を揺らす音が響く。縮こまる由紀の体を、勇太は優しく強く抱きしめた。自分がいるから大丈夫だと、その温もりで伝えたかった。温もりは、恐怖心をも覆い隠す。
 ねぇ、キャプテン。今の僕は、あの頃より男らしくなってるかな――。
 二人は、じっと足音の主が姿を現すのを待った。
 ――そして、紅蓮の炎が目の前で渦巻き、成す術も無いまま勇太はその中に飲まれた。











 夜闇を憚り、森を赤く染め燃え盛る炎。肉の焦げ付く異臭に顔を歪めながら、この匂いにも徐々に慣れなくてはいけないのかと思い、漁火剛は小さく舌を打った。地獄の底から響くような呻き声が炎の中からあがる。漁火はうざったそうに耳を塞ぐと、頭の中でイメージした火力のツマミを一気に捻った。途端に、炎が一際盛んに燃え上がる。
 ファイアスターターという能力は、この殺し合いにおいて絶対的な力だった。精神を集中できるだけの気力さえあれば、所構わず炎を発現させることができる。奇襲にさえ気をつければ、漁火が負けることはほぼあり得なかった。
 リッチモンドの演説が終わったとき、心の中で何かが躍りだすのを漁火は感じていた。
 常日頃から感じていたモヤモヤとした気持ち。炎をコントロールする力、それと同時に付きまとっていたのは幼児的なまでの破壊衝動だった。気のゆくまで、炎が輝く様を見てみたい。建物でも植物でも、人間でもいいから燃やしてしまいたい。かろうじで留めていた自制心は、この島で粉々に砕かれた。
「人を燃やすと、こんな風になるんだな。面白え」
 炎の中で、その全身を墨に変えながら悶え狂う二人を見下ろす。それまで溜め込んでいた気持ちが晴れてゆく。それと同時に、もう戻れないという恐怖心も鎌首をもたげる。だが、そんなことは百も承知だった。
 戻れなくていい。むしろ、こういうことこそ望んでいたことなのだ、と。
「楽しそうだな、漁火君。でも、森での火遊びは危ないから止めておいた方がいいぜ?」
 よく聞きなれた、人をおちょくるような軽い声。漁火は振り返ると、声の主へと笑いかけた。
「何もかも燃えちまうなら、俺はそれでも構わねえんだよ、六郷。森だけと言わず、島全体が燃えてもいい。それだけ燃やしたら、一体どれだけ大きな炎が見れるんだろうな。俺にはちっとも検討がつかねえけど、すっげえ楽しそうだと思わねえか?」
「い、漁火君――?」
 上ずった声で、落田が名を呼ぶ。口を結んだ開司の頬に、一筋の冷や汗がすぅと流れた。
「――思わねえよなあ、お前は。というより、思えねえのか。そりゃそうだよな、そんなことすれば、この島のどっかにいるお前のカワイイ彼女まで、丸焦げになっちまうかもしれねえしな」
「分かってるなら、話は早い。どうやら脳までは焦げついてないようだな。安心したぜ、漁火君」
 腰元に手を伸ばしながら、開司が肩をすくめる。その時、バチリと火花が目の奥で散るのを、漁火は鋭い痛みとして感じた。舌打ちが、口から漏れる。
「それだよ、その態度――。前から気にいらなかったんだよ、お前のそういう、人を頭からおちょくる余裕綽々な態度がよお」
「悪いね、この性分は生まれつきなんだよ――ああ、こっちからも聞いておきたかったことがある」
 開司の顔から、すっと笑みが消える。代わりに表面に出てきたのは、見つめているだけで戦慄が走るほどの冷たい殺気だった。指を持ち上げると、漁火の横で燃え上がる炎を示す。
「その二人、どうして殺したんだ」
「理由なんかねえな。強いて言うなら、そこにいるから殺した」
「そ、そんな理由で――っ」
 思わず糾弾しようとした落田を、開司が手で制する。迸る殺気が、さらに増大したように感じられた。
「その言葉で十分だ。君は、俺が殺す」
 静かな言葉に秘められた、抑えられぬほどの憎悪。全てを言い終えぬうちに、開司は銃を引き抜くと、躊躇うことなく引き金を引いた。一発、二発。轟音が耳朶を叩く。漁火は地面を転げるようにしてその身を近場の木の裏に隠すと、頭の中で炎のイメージを作った。何故か思い浮かぶのは、住み慣れたボロアパートにあったコンロで、この場の雰囲気にあまりにもそぐわぬそのイメージが笑いを誘った。
 なんでもいいさ、燃やせるならな――
 木の陰から飛び出す。同時に漁火を襲う、数発の凶弾。当たったら致命傷になるかもしれないというのに、どうしてか込み上げてくる、ぞくぞくとした震えのような嬉しさを抑えることができなかった。開司が苦心して狙いをつけても、夜の森、さらに動く標的とあっては、中々弾を命中させることはできない。だが、自分は違う。開司の位置は確認した。あとは、その位置に向けて、ツマミを捻ってやるだけでいい。
「焼け死ね、開司い!」
「――っ!?」
 驚愕の色を貼り付けた開司、野生の勘で危機を悟ったのか、瞬時にバックステップを踏んだ。刹那、すぐ直前まで立っていた位置から、赤くうねる火柱が吹き出した。開司の鼻先を、熱い炎が掠める。少し離れた場所に避難していた落田が、叫び声を上げた。
「開司君!」
「ヘーキ、ヘーキ。ちょっと熱かったけどね」
「――その余裕顔。燃やしちまいてえよなあ!」
 鼻の頭をエンドグリップで擦りながら、手を振り無事を伝える開司。休む間なく、森の中を駆け巡る。開司の走り抜けた後を、僅か一、二秒のタイムラグを置いて炎が追ってゆく。リミッターを外せば、炎の制御はとても簡単なことだった。自然と、笑みが零れた。
「はは、ははははは――どうしたんだよ、六郷。俺を殺すんじゃ無かったのか。余裕たっぷりにあんな大口を叩いてたわりには、ちっとも攻撃できてねえじゃねえかよお!」
「――口。閉じてないと、後ろが見えるような穴が開くぜ」
 走りながら狙いを澄まし、狙撃。だが漁火は、その一瞬だけ木に身を隠すと、また炎での追跡を再開する。悔しげに奥歯を噛み締めながら逃げ続ける開司の表情は、どんなアクション映画よりも漁火の心を晴れやかなものにさせた。
「なあ六郷。ずっと走ってんのも、そろそろ疲れただろ?」
「そうでもないね。セカンドでボール追いかけてるときの方が、もっと疲れるよ」
「減らず口もそこまでにしてやるよ」
 新たな炎のイメージを構築する。ちょろちょろ逃げるネズミに効果的なのは、逃げ道すら覆ってしまう小屋型のネズミ捕りだ。逃げる先が分からないのならば、炎でぐるっと囲ってしまえばいい。
「――燃え尽きろよ、六郷!」
 イメージ通りに、炎を走らせる。緊張した面持ちの開司を覆い隠すように、炎の壁がその行く手を遮った。勝った。勝利を確信し、小さくガッツポーズを作ったとき。炎の向こう側から何かが飛んでくると同時に、漁火は激しい光と鋭い耳鳴りに襲われた。
「な、なんだあああっ」
 意識が乱れる。漁火が耳を押さえ地面に転げると同時に、開司を覆っていた炎の壁が消失した。膝から崩れる開司を、スタンを投げた落田が慌てて支える。
「し、しっかりするでやんすよ!」
「――っ。悪い、ちょっとクラッとしただけだ」
「あんな炎に囲まれて、それだけのはずは無いでやんす! どっかで傷を見て、応急処置をしないとどうなるか分からないでやんすよ!」
 熱く火照る顔で弱々しく微笑む開司を、落田が一喝する。開司も、自身の体が今まで経験したことが無いほどに熱くなっているのを理解していたのか、それ以上は何も言わなかった。落田は開司の腕を肩に回すと、引きずるようにしてその場から退避した。
「クソ……あの野郎、逃げやがったか」
 若干視力の回復した漁火が、獲物を逃がした悔恨の呟き漏らす。だがそれと同時に、ふつふつと喜びに似た感情が沸き上がってくるのを感じていた。
 銃相手でも、全然苦戦しねえ。もう、俺を止めることは何人たりともできやしねえ――!
 止まる必要は無い。漁火は、これから見れるであろう惨劇を思い浮かべ、満足気に舌なめずりをした。











 無数の星が、眩しいほどに明かりのない夜を照らしている。二羽大鉄は、まだ若かった頃、社会に反発するように生きていたときのことを、星のよく見える断崖で一人思い返していた。今となっては、もう昔の話だ。大鉄は無意識のうちに顎鬚をさすりながら、昔はこんなものも無かったな、と苦笑を漏らした。
 悪ぶっていたあの頃。何かに急かされるように、ビッグになりたいと思っていた。真面目に働けば努力は報われると説教を垂れていた祖母、いつか見返してやろうと思っていた。普通に生きるのが嫌で、弟の制止も聞かずに家を飛び出していった。鉄砲玉のようなガキだった。もちろん、社会はそんなに甘くは無かった。財産を築くどころか、普通に暮らすのが精一杯の生活。時間が過ぎるにつれ、どんどん焦りも増していった。どんなことをしてもいいから、ビッグになったという証が欲しかった。だがその頃から、人殺しだけは絶対にしなかった。いつか帰る自分の居場所。そのつながりを、断ち切ってしまいそうだったから。
 ――でも、こうなっちゃもうおしまいかね。
 仕組まれた殺し合い。一人一人の意志など無関係に、この世界では武器を持たねば生き残ることはできなくなってしまった。逃げることはできない、誰かを殺すか殺されるかの二者択一。どちらかを選べと問われ――大鉄は、後者を選んだ。
 視線を足元に向ける。荒々しい波が、険しく反り立つ崖にぶつかっては細かく飛散している。その光景が、これから自分の身をもって再現されるんだと思うと、ぶるっと寒気が全身を走った。大鉄とて、進んで死にたいわけではない。踵を返し、ここから遠ざかりたくなる――その衝動を、ぐっと堪えた。
 難しいことじゃない。人殺しは、『しちゃいけないこと』なんだ。
 祖母が昔、教えてくれたことが脳裏をよぎる。自分でも不思議なまでに、気分はとても落ち着いていた。
 真っ向から吹き付けてくる風が、怖い。せめて何も見ないようにと、大鉄は両目を固く閉じると、震える両足にぐっと力を込め、跳んだ。
 ――幸恵、ばあちゃん、鉄哉。帰れなさそうだ……ごめんな。
 体が宙に浮く感覚。一瞬の浮遊感のあと、すぐに大鉄の体は重力に従い落ちてゆく――はずだった。
 気がついたとき、大鉄は何者かに両手首を掴まれ、崖先に宙ぶらりになっていた。
「あ、あれ……浮いてる?」
「……どうやら、間に合ったようだな」
「キーッ!」
 頭の上から、低い声と高い声が聞こえた。極端な二人だな――どうでもいいことが頭を過ぎる。
 大鉄がぼんやりと海を眺めている間、まるで何かのアトラクションのように、軽いとはいえないその体が軽々と持ち上げられてゆく。あっという間に大鉄は、飛び降りたはずの崖の上に引き戻されていた。
 崖下の光景が見える。その高さを再認識して、背筋を何かが走るのを感じた。
「……アンタ、立てるのか」
 低い声の大柄な男が問いかけてくる。大鉄は、地面に手をつきながら崖から離れると、ゆっくりと両足を起こした。
「この通りだ。お前たちのお陰で、なんとも無い」
「……そうか。それなら、よかった」
「キーッ!」
 どこからか甲高い声が聞こえた。きょろきょろと辺りを見回し、やっと男の肩の上にいるのだと気がついた。こちらは、随分と小柄な――改めて、不釣合いな二人だと思った。
「……お前は、死にたかったのか」
 大柄な男が、深刻な面持ちで尋ねる。大鉄は、そっと首を振った。
「死にたくなんて無いさ。できることなら、生きて帰って、呆れるほどに普通な日常に戻りたい。でも、ここでは殺すか殺されるかの二択だ。俺は、誰かを殺して手に入れる日常なんて――いらないからな」
「……そうか」
「でも、これから、どうしたらいいんだろうな」
 助けてくれたことに関しては、素直に大柄な男に感謝していた。だが、これしかないと判断した故の行動だったため、それ以外のことはさっぱり考えていなかった。もちろん、もう一度ダイブをする勇気はさっぱり無くなっていた。
「……生きていれば」
「え?」
 聞き逃してしまいそうな、低い呟き。背を向けた大柄な男の言葉に、大鉄は耳を澄ました。
「生きていれば、考えられる。諦めなければ、何度でも立ち上がれる。俺の知っていた男は、こうして自分の願いを叶えた。死んだら、何もかもが終わりだ」
「あ、ああ――」
「……着いて来い。安全な場所まで案内する」
 大鉄の返事も聞かずに、男はずんずんと進んでゆく。大鉄は慌てて男の後を追うと、上ずった声で尋ねた。
「な、なあ。お前、名前は? 俺は、二羽大鉄」
「……小山だ」
「キーッ!」
「……こっちは、森本だ」
 小柄な男の翻訳をする小山に、大鉄は深々と頭を下げた。
「そうか。小山と、森本。ありがとな、何から何まで」
「……気にするな。俺は、目の前で誰かが死ぬところを見たくなかっただけだ」
「キー、キーッ!」
 淡々と低い声で呟く小山と、その肩の上で楽しそうにはしゃぐ森本。その二人に導かれ、大鉄は森の中へと歩を進めていった。











「ああもう、なんだってんだよアイツは!」
「七瀬君、もうちょっと静かにね」
 地団太を踏み憤りを露わにする猛を、東がやんわりとなだめる。怒りの対象は、もちろんスカした台詞を残していった開司だ。腕組みをする少年は、今にも頭から湯気を出しそうな勢いだ。
「だってアイツ、メチャクチャ言うんですよ? これは殺し合いなんだから、お前は殺されても仕方が無いだとか、俺はお前を生かしているだけだ、とか。誰だってムカつきますって」
「それは、そうかもしれないけど。それを抜きにしても、俺は私怨があるように感じるよ」
「う――」
 思わず黙り込む、猛。東の言う通りだった。罰の悪そうな顔で俯くと、苦悶の胸中を曝け出した。
「――アイツの言うこと。ムカつくけど、正しいのかもしれないって、思うんです」
「それは、どうしてだい」
「俺の尊敬してた三矢翔一さんが、奪う側に回ったんです。全員を殺して、彼女との約束を果たす、って。翔一さん、すごく苦しんで、悩んで、その末に出した結論がそれだったんですよ。俺は、それでも翔一さんにそんなことはして欲しくなかった。でも、俺じゃ止められなかった」
 悲痛に顔を歪める少年。東は、黙って先を促した。
「今から考えると、翔一さんもアイツも、同じことを言ってたんです。結局この島では、リッチモンドの決めたルールに従って、殺し合いをするしかないんだって。――俺は、認めたくなかった。他のもっといい手段があるって、信じたかった。でも……もしかしたら、アイツが正しいのかなって、思えてきちゃって」
 何かに突き動かされるように、自分の信じる道を選んでいた開司と、悩みぬいた末に苦渋の決断を下した翔一。何も背負っていない自分の言葉は、その二人にはどう聞こえたのだろうか。そう考えると、少年の心はますます重く沈んでいった。
 ついには頭を抱えてしまった猛の肩に、東はポンと手を置いた。弱々しい表情で顔を上げる猛に、子供を褒めるときのような穏やかな笑みを返す。
「七瀬君。すごく、悩んだみたいだね」
「はい……」
「でもね、こんな言い方しちゃ君には悪いかもしれないけど、すごく君らしくないと、俺は思うよ」
 猛、何のことか分からないとばかりに、きょとんとした表情になった。
「俺の知ってる七瀬君は、どんなときも真っ直ぐに突っ込んでいく、とても威勢のいい奴だった。自分の納得できないことがあればぶつかっていく、ど根性の男。最近じゃ、ちょっと珍しかったね」
「どんなときも、真っ直ぐ……ですか」
「君の話をしてるんだぜ、七瀬君」
 戸惑いがちに復唱する猛に、東は思わず苦笑した。それでもしっくりこないのか、猛は何度か小声で呪文のように繰り返しては、小首を傾げていた。
「でも、俺は、翔一さんの苦しみを全て理解できるわけじゃないし――」
「七瀬君。君が本当に望んでいることは、なんだい?」
 俺が、本当に望んでいること――胸に手を当て、しばし自分に問い質す。所詮人間同士は他人の関係だ、その気持ちを推し量ろうとしたところで、それはただの憶測に過ぎないのかもしれない。翔一の涙の意味も、開司の背負う約束の在り処さえも、猛は――いや、他の誰であっても、到底理解できないのだろう。
 自分が望んでいることは、限りなく残酷なことなのかもしれない、それでも、俺は――。
「俺は、翔一さんを止めたいです。全てを失う前に、この手で」
 小声で、だがはっきりと芯の通ったその声に、東は満足気に頷いた。
「うん。まだちょっと頼りないけど、今はそれでいいかな。――そうだ、七瀬君。野球部のときの君の口癖、言ってみなよ」
「口癖、ですか?」
「ああ。ピンチのときもチャンスのときも、君はよく『ガッツだー!』って言ってただろ?」
「い、言ってましたっけ。覚えてないな……」
 照れを隠すように頭をかきながら、猛は苦笑した。高校の頃の記憶は、どうしてか酷く曖昧になっていた。
「口癖だから、無意識のうちに言ってたのかもしれないね。どちらにせよ、君にはこれ以上無いほどぴったりな言葉だよ。まだ覇気が足りないみたいだし、気合を入れてみたらどうだい?」
「気合、ガッツ――そ、そうですね。それじゃ、ちょっと――」
 猛が臍の前で両拳を握り込み、まさに気合を発しようとした、その時。
 断ち割るようにして、近場から甲高い少女の悲鳴が響いた。二人は一様に目を丸くすると、ほぼ同時に少女の名を叫び、走り出した。











 血の流れる足を引きずりながら、森の中を迷走する。倉見春香は涙の滲む目を擦りながら後ろを振り向き、その背後からゆらゆらと迫り来る追っ手の姿を確認し、ひぅと小さく息を呑んだ。もっと早く逃げようと、足を前へ前へと突き出してゆくが、足同士がもつれ、前のめりに倒れてしまった。
「い、た――っ」
「追いかけっこはもうおしまいかよ、お嬢ちゃん」
 顔に粘っこい笑みを張り付かせながら、布具里珠男が少女に近付く。春香は逃げようと腕を前に伸ばすも、土のみが掘り返されるばかりでちっとも前には進まない。
「悪いね、俺もホントはアンタみたいなカワイコちゃんは殺したくないんだけど――」
 春香の後頭部に、銃口が押し付けられる。固い。ああ、ここで私は死んでしまうんだ――拍子抜けしてしまうほどに、頭の中は整然としていた。死ぬその瞬間、痛みが無いことだけを祈って、春香は両の瞳をを固く閉じた。
「野良犬に噛まれたと思ってくれよ」
「うぉらあああああああああああっ!!」
 地面が揺らいだのかと錯覚するほどの雄叫びが、死に際の静寂を破った。
 何事かと辺りを見回した布具里。がら空きの腹部を、草陰から飛び込んできた猛が猪の如く体ごとで飛び込み、薙ぎ倒してゆく。組み合うようにして吹っ飛ばされた布具里は、太い木の幹に後頭部を強かに打ちつけ昏倒した。
「大丈夫か、春香ちゃん」
「あ――東先輩、七瀬先輩!」
 東は、倒れたままの少女に駆け寄り抱き起こした。その表情が苦痛に歪むのに違和感を覚え、視線を下に移動させると、べっとりと真紅に濡れそぼっている右足が見えた。
「春香ちゃん、こ、これは――」
 遅れてその有様を目の当たりにした猛が、驚愕の声を漏らした。
「た、大した傷じゃないんです――っ!」
 春香は笑顔で強がってみせるも、その足を折り曲げようとした瞬間に激痛が走り、その場にうずくまった。
「銃創だな。これじゃ歩けない……七瀬君、おぶってここから逃げられるかい?」
「任せてください! さ、春香ちゃん、俺の背中に」
「スイマセン、先輩……」
 猛は身を屈め少女を担ぐように背負うと、軽々と立ち上がり今にも駆け出さんと足踏みをした。
「それじゃ、とっとと逃げましょう! 早くしないと、多分すぐに――」
「――七瀬君。それなら、もう手遅れだよ」
 落ち着き払った東の言葉に、猛はハッと息を呑んだ。捻じ伏せたはずの布具里が、緩慢な動作ながらも地面に膝立ちになっていた。勢いが足りなかったのか。ギリと強く歯を食いしばり、走り出そうとしたその背中に、悲壮な決意の込められた言葉がかけられた。
「俺が、時間を稼ぐ。七瀬君は春香ちゃんと一緒に、安全なところまで逃げてくれ」
「な――!」
 衝撃の発言に、思わず息を呑み振り返る。支給品の木刀を正眼に構えた東、憎らしげな視線を向ける布具里へと悠然と立ちはだかっていた。
「な、何してるんですか、東さん。木刀なんかで、銃に立ち向かえるわけ無いじゃないですか!」
「こうしなくちゃ、全員がやられる。やらなくちゃいけないんだよ」
「そんな――。だったら、俺が代わりに!」
「そういうわけにはいかないだろ、七瀬君。君には、やらなきゃいけないことがあるはずだ。そしてそれは多分、他の誰も君の代わりになることはできない。君なら、きっとできるはずだ」
「東さん――」
 東は顔だけを動かし少年を横目に見ると、肩越しに親指を上げ歯を見せて微笑んでみせた。
 はたして、行くべきなのか。恐らくここで意地を貫き、勝ち目の無い戦いにその身を投じれば、三人揃って凶弾に倒れることは間違いないだろう。東の判断は正しいのかもしれない、だが。堂々巡りになる思考回路。それを断ち切ったのは、目の前で飛び散る、赤い飛沫だった。
「え――?」
 一瞬、何が起こっているのか、さっぱり理解できなかった。背中の少女のけたたましい悲鳴と、皮肉なまでに安っぽい銃声が、耳の中で大きくうねる。血溜まりに倒れ伏す東の姿が大写しになり、ようやく少年は、第三者の介入に気がついた。
「あ、東さん!!」
「あー、ダサ。随分と安っぽい三文芝居よね。青春ゴッコでもしてるつもり?」
 気だるそうな声を聞き、東に近付こうとした足を止めた。その相貌にはとても似つかわしくない小銃を構えた和桐沙耶が、銃口を少年に向けながら姿を現す。背で、春香が身じろぎするのを感じた。
「お前が、東さんを」
「撃ったけど? 当たり前でしょ、殺し合いなんだから」
 何の躊躇も無しに、つまらなさそうにそう言うと、まだ銃口から硝煙が出たままの小銃を少年に向けた。心臓の鼓動、破裂しそうなほどに早く。もう逃げることも隠れることもできない。
「逃げるんだ、七瀬君っ!!」
「な――生きてたのっ!?」
 頭の中が真っ白になりかけた、その時。虫の息だったはずの東が起き上がり、沙耶へと猛然と突っ込んだ。不意を喰らった沙耶、あらぬ方向に銃弾を発しながら、仰向けに倒れた。
「東さんっ!」
「逃げろ、早く……これが、最後の、チャンスだ」
 今にも掻き消されそうな呟き。口の端から血の気泡を吐き出しながら、東はそれだけを言い切ると、引き攣る口を動かし笑顔を作った。だが、それも束の間のことで――東は、最後に苦しそうに血の塊を吐き出すと、もたげていた首をがくりと下げた。
「あ――あ、ああああああ……」
 言葉を忘れたかのような呻き声。獣のように荒い呼吸を整えようともせず、少年は泣き出しそうな顔のまま、東と沙耶に背を向けると、当て所も無く駆け出した。

【03 東優 死亡】
【28 佐藤勇太 死亡】
【29 佐藤由紀 死亡】
【51 布具里珠男 死亡】
【残り59人】